お嬢様は絶品アップルパイを焼く
料理人らが休憩時間のうちに、厨房の一角を借りて調理を行う。
ソレーユは緊張しているのか、視点が定まらずにキョロキョロしていた。
一方、ソレーユと同じく初めて菓子作りをするシルヴァンは、ナイフを手に取って太陽にかざすなど、余裕を見せている。
本日の主役は、蜜リンゴ。これを使って、アップルパイを作る。
「本日作りますのは、ひと味違ったアップルパイ、ブールドロですわ」
「ブールドロ? 初めて聞くわ」
「忙しい方向けの、アップルパイですの」
「どういうことなの?」
「リンゴをカットせずに、丸ごとパイに包むのですよ」
「な、なんですって!?」
リュシアンがもっとも大好きなアップルパイが、ブールドロなのだ。最初に口にした時の衝撃は今でも忘れられない。
今日は特別な蜜リンゴを使うので、よりいっそうおいしく仕上がるだろう。そんなことを話しながら、調理道具の準備を行う。
パイ生地は、昼間に仕込んでおいたものを使う。
「まず、リンゴの皮を剝いて、芯の部分をくりぬきます」
ソレーユは食事以外でナイフを持つのは初めてのようだ。グリップを握る手が、微かに震えていた。
「ソレーユさん、大丈夫です。慣れたら、簡単に剝けますので」
「え、ええ」
「リンゴにそっと親指を添えて、ナイフの刃を滑らせます」
まず、リュシアンがやってみせる。シャリ、シャリと音を立てながら、リンゴの皮は剝かれていった。ふわりと、甘い匂いが漂う。
「と、このような感じですわ」
「簡単に見えるけれど、実際にやるのは難しそうね」
「最初から上手くできる奴なんていねえよ」
シルヴァンはそう言って、リンゴとナイフを手に取る。不器用な手つきで、リンゴの皮剥きを始めた。
「ロザリー、シルヴァンさんの皮剝きを見ていてくださいね」
「了解です」
「では、ソレーユさん、やってみましょうか」
「え、ええ」
ソレーユにとって、人生で初めてのリンゴの皮剝きが開始となった。
「ナイフは、自分がいる位置と平行に持って、リンゴを持つ手はゆっくり回していってください」
「右と左、別の動きをするのね」
「ええ。手を切ってしまうので刃の進行方向に、指を添えないようにしてください」
ソレーユは今まで見せたことがないくらいの、真剣な眼差しをリンゴとナイフに向けていた。深呼吸を繰り返し、気合いをしっかり入れてからリンゴを剝き始める。
「ふっ……ぐうっ!」
ソレーユは苦悶の声をあげつつ、リンゴに刃先を滑らせている。初めてにしては、なかなか上手い。
ただ、前屈みとなり、リンゴとナイフを持つ手が震えていた。力みすぎだった。
「ソレーユさん、お上手です。もうちょっと、肩の力を抜いたら完璧かと」
「わ、わかったわ」
そう返事はしたものの、ソレーユの姿勢が変わることはなかった。
途中から、ヒー・ヒー・フーという、謎の呼吸で剝き始める。何かが、生まれそうになっていた。
壮絶すぎるリンゴ剝きを目の当たりにしたシルヴァンは、ぽつりと呟く。
「ありゃ、殺し屋の目だ。本の挿絵でしか見たことがないけれど」
「蜜リンゴ殺人事件、ですね」
ロザリーの返しに、シルヴァンは噴きだして笑っていた。
なんとか、十個の蜜リンゴを剝き終えた。ソレーユは汗だくだった。
「皮剝きって、こんなにも大変なのね。毎日、野菜や果物を剝いている料理人は、鉄人なのかしら?」
「慣れたら、スルスルと剝けるようになりますわ」
「だといいけれど」
続いての工程に移る。
「次は、リンゴの中心をくりぬいて、中に砂糖とバター、干しぶどうを混ぜたものを詰めます」
リンゴの芯のくりぬきはロザリーとシルヴァンに頼み、リュシアンとソレーユはバターに砂糖と干しぶどうを混ぜる作業を行った。
「これなら、私にもできそうだわ」
「お願いいたしますね」
「ええ、任せてちょうだい!」
ソレーユは胸をどん! と打ち、張り切って砂糖をまぶしたバターを混ぜ始めた。途中から、干しぶどうも加える。これを、ロザリーとシルヴァンがくりぬいたリンゴに詰めるのだ。
「パイ生地に包む前に、リンゴにシナモンをまぶします。お好みでどうぞ」
リュシアンはたっぷりまぶしたものが大好きなので、全面にシナモンをまぶしていった。ロザリーはさらさらと初雪が地面に積もるように、少しだけまぶしている。
ソレーユもリュシアンと同じように、たっぷりまぶしていた。シルヴァンはシナモンが苦手なので、まぶさずに焼くようだ。
「では、蜜リンゴをパイ生地に包みましょうか」
正方形にカットしたパイ生地の中心に、蜜リンゴを置く。生地の端を、くりぬいた穴に入れ込む。刷毛で卵黄を塗り、生地と生地を接着させる。そんなことを繰り返すと、蜜リンゴはパイ生地にすっぽりと包まれた。
卵黄に水を加えたものを、全体に刷毛で塗っていく。これを、三十分焼くのだ。
ソレーユは焼き具合が気になるのか、窯の前から動こうとしない。シルヴァンもだった。
そんな二人の様子を、リュシアンはロザリーと共に見守っていた。
ついに、焼き上がる。きれいなキツネ色になっていた。
「ああ、なんておいしそうなの」
「一つ、焼きたてを味見してみましょう」
リュシアンはナイフで切り分ける。パイ生地はサクサク。中の蜜リンゴはジャムのようにトロトロになっていた。
ソレーユは立ったままで、パイを頰張る。
「んん!」
瞳はキラキラと輝き、口元は弧が描かれる。
感想を聞かずとも、おいしいということがわかった。
シルヴァンも、世界一おいしいアップルパイだと言って大絶賛していた。
「これ、本当においしいわ。こんなにおいしいアップルパイ、初めてよ!」
「よかったです」
ここで、リュシアンはもっともおいしい食べ方を紹介する。それは、パイにアイスクリームを添えるのだ。
「それ、食べてみたいわ!」
「でしたら、みなさんを呼んで、試食会を開きましょう」
「ええ!」
皿に盛り付け、保冷庫からアイスクリームを持ってくる。
アップルパイの隣にアイスクリームを添え、王の菜園の薬草園で育てていたミントを添えた。
そろそろ、コンスタンタンが戻ってくる時間だろう。三時のおやつの時間だった。
アップルパイのアイスクリーム添えが載ったワゴンを、ソレーユが押しながら歩く。
「リュシアンさん、お菓子作りって、楽しい上に幸せになれる、すばらしいことなのね」
「ええ」
「もっと、他のお菓子も作ってみたいわ」
どうやら、ソレーユは菓子作りにハマってしまったようだ。
「私が、一番お菓子を食べてほしいと思う人には、もう逢えないけれど……」
それは、間違いなく王太子のことだろう。話を聞くリュシアンは、胸が締め付けられる思いとなる。
どうにかして、ソレーユの作った菓子を王太子へ届けることはできないものか。
そんなリュシアンの願いは、すぐに叶ってしまった。
「――ソレーユ?」
「え?」
客間の前にいたのは、コンスタンタンと王太子だった。




