お嬢様は堅物騎士に懇願する
コンスタンタンの目は、極限まで見開かれているような気がした。そこまで、突飛で驚くべき願いだったのか。リュシアンは首を傾げる。
婚約しているのに、名前に「嬢」を付けて呼びかけるのは、少々他人行儀な気がしてならないと考えていた。
それ以上に、リュシアンはコンスタンタンに特別な名前で呼んでほしいと思ったのだ。
けれど、難しいのであれば強制しない。
「あの、無理にとは言いません」
「いや、アン嬢が──いいや、アンがそのように望むのであれば、これからそうする」
「!!」
コンスタンタンは照れくさそうにしながらも、リュシアンを「アン」と呼んでくれた。
呼ばれた瞬間、心の中が喜びで満たされる。
嬉しくて、正していた姿勢が崩れてしまった。緩みきった口元は、両手で隠す。
「コンスタンタン様、ありがとうございます。とても、嬉しいです」
「こんなことで喜ぶのならば、何回でも呼ぼう」
ただ、呼び捨てにされただけなのに、呼ばれるたびに胸がドキンと高鳴る。
リュシアンはコンスタンタンにとって特別な存在なのだと、実感することとなった。
「コンスタンタン様、ありがとうございます」
「いや、いいが」
コンスタンタンは顎に手を当て、何か考え込んでいた。
「いかがなさいましたか?」
「いや、私も、アンに特別な呼び方をしてほしいと思ったのだが……何がいいものかと」
「コンスタンタン様の愛称はなんですの?」
「私の愛称、だと?」
そう言ったあと、コンスタンタンは遠い目となる。
聞いてはいけない質問だったのか。リュシアンは反省し、それ以上聞かないことにした。
「タンタンだ」
「え?」
「母は、私をタンタンと呼んでいた」
「まあ……!」
コンスタンタンの愛称は「タンタン」らしい。可愛らしい響きの愛称だ。
幼少期は、「タンタン」という愛称が似合う、愛らしい子どもだったのだろう。その頃のコンスタンタンにも会いたいとリュシアンは思ってしまった。
「なんというか、母以外呼んでいなかったものだから……」
「わたくしは、呼ばないほうがよろしいですか?」
「いいや、アンが呼びたいのであれば、別にかまわない」
「ありがとうございます!」
さっそく、リュシアンは呼びかける。
「タンタン様!」
コンスタンタンは恥ずかしそうにしながらも、コクリと頷いてくれた。
愛称で呼びかけると、愛おしい気持ちが膨らんでいく。
コンスタンタンの愛称を教えてもらったことを、リュシアンは心から嬉しく思った。
「とても愛らしい愛称です」
「今の私には似合わないだろう」
「そんなことはありませんが、タンタン様と呼ぶのは、二人きりの時だけにしておきますね」
「そうしてくれると、非常に助かる」
こうして、二人は互いに愛称で呼び合うようになった。
◇◇◇
あっという間に王女改めシルヴァンを迎える日となった。
事情を知るアランブール伯爵家の親子は、朝からソワソワしていた。
それも無理はないだろう。他国の王族の身柄を引き受けるのだから。
やってきたシルヴァンは、驚くべきことに十三歳の少年だった。
護衛騎士と駆け落ちした王女の身代わりとして、女装をさせられた状態でやってきたのだという。
もしも、この件が露見したら、両国の間で戦争が起きるだろう。
今後、どうするのか。
コンスタンタンとグレゴワールは、すぐに答えが出せなかったようだ。それも無理はないだろう。じっくり話し合ったのちに、どうするか決めるという。
それまでの間、シルヴァンは王の菜園に滞在し、ゆったり過ごすよう勧めていた。
そんなシルヴァンに農業を教えるのは、リュシアンの仕事だった。
翌日より、農作業の授業を開始する。
まずは、リュシアンの侍女を紹介した。
「シルヴァンさん、こちらはソレーユさん」
「よろしく」
「ええ、よろしくお願いね」
ソレーユとシルヴァンは、ごくごく普通に握手を交わす。
一方、リュシアンは二人の邂逅をハラハラと見守っていた。だが、事情を互いに知らないため、挨拶はつつがなく終わる。
「こちらはロザリー」
「よろしく」
「よろしくお願いいたしまーす」
ロザリーの元気な挨拶に、シルヴァンは目を丸くしていた。
「あんた、元気だな」
「元気だけが取り柄なのですよ~」
「笑顔も可愛いじゃん。気づいてないだけで、他にもあるんじゃないか?」
「え?」
「ん?」
顔を真っ赤にして固まるロザリーに、リュシアンは助け船を出した。
「ロザリーは、明るくて、健康で、働き者で、可愛くて、言い切れないほどいいところが、たくさんありますわ」
「え、ええ~! アンお嬢様、おだてても何もでませんよお」
いつものロザリーに戻ったところで、作業を開始する。




