お嬢様はいろいろ考える
エステル王女を王の菜園で受け入れてほしいという話を聞いた時、リュシアンはこれまでにないほど動揺していた。
もしも王女の不興を買ってしまったら、アランブール伯爵家に迷惑をかけてしまうからだ。
迷惑どころではない。不敬罪になったら、騎士隊に連行されてしまうだろう。
考えただけで、ぞっとする。
王女は王太子の声かけすら反応しないという。果たして、どのように話しかけたらいいものなのか。
リュシアンは他の貴族令嬢が好むものにはまったく興味がなく、知識は野菜と農家の夫人から習った家庭料理しか知らない。
一週間に一回でもいいので、姉たちが誘ってくれた茶会に行っていたらよかったと後悔している。
もはや、不安しかない。
そんなことを考えていたら、コンスタンタンが思いがけないことを言ってくれた。
王女を受け入れることは、リュシアンの負担となる。許されるならば、引き受けたくないと。
もしも引き受けたのならば王太子からの信頼は今まで以上となり、アランブール伯爵家の名は上がるだろう。しかし、コンスタンタンはリュシアンのために断ろうとしている。
大切にされているのだと、心から実感しジンと胸が熱くなった。
コンスタンタンの判断を聞いたおかげで、リュシアンは王女を受け入れる決意が固まった。もしも、王女を受け入れると決まった時に備え、貴族女性が興味を持ちそうなことを研究しようと心に決めた。
リュシアンの行動は早かった。
まず、ソレーユに貴族女性の趣味と嗜みについて質問した。
「そうね。みんな、刺繍をして父親や男性に贈ったり、詩を書いてサロンで発表したり、それから、歌劇団の公演を観に行ったりしているわ」
「歌劇団、というのは?」
「おとぎ話歌劇団を存じませんの!?」
「お恥ずかしながら」
おとぎ話歌劇団とは貴族女性だけで構成された劇団で、私設劇場で年二百回以上公演を行っているらしい。
「その昔、演劇の舞台に上がれるのは男性だけで、女性は許されていなかったの。そんなのおかしいと声をあげたとある貴族令嬢が百年前に作ったのが、おとぎ話歌劇団なのよ」
「まあ! そんな長い歴史がありますのね」
「ええ、そうなのよ。少年から成人男性、老人、動物と、さまざまな役を振り分けて、女性だけで舞台を作るの」
「なんだか、楽しそうですわ」
「楽しそう、ではなく、楽しいのよ!」
ソレーユは前のめりになりながら、話を続ける。
「私も一回、娘役の選考会を受けようと思いましたの」
「ソレーユさんが、娘役を?」
「ええ。だって、現実では王子様に片膝突いて求婚されるなんてことなんて、ないでしょう? だから、物語の世界だけでも、されてみたいと思って」
「誰もが一度は、憧れる世界ですわね」
「本当よ」
窓の外に向けられたソレーユの瞳が、寂しげに揺れる。
彼女は王太子と結婚するはずだった女性だ。幼少期より、国母となるために努力をしてきたに違いない。
その運命も、あっさりと覆されてしまう。
美しいソレーユと、精悍な王太子はさぞかし似合いの夫婦となっただろう。
しかし、人生は物語のように甘くはないのだ。
「ねえ、リュシアンさん、今度、おとぎ話歌劇団の舞台を観に行きましょうよ」
「ええ、ぜひ!」
「約束よ」
リュシアンはソレーユと共に、貴族女性に人気だというおとぎ話歌劇団を観に行くことを約束した。
それから瞬く間に時が過ぎ、なんだかんだとあって王女の受け入れが決まった。
エステル王女としてではなく、シルヴァンと名乗り男装してやってくるらしい。
おとぎ話歌劇団の流行で、女性が男装することは流行っているとソレーユから聞いていた。王女もまた、おとぎ話歌劇団に触発されて男装を決意したのか。
男装した王女がやってくることは秘密で、男性として扱ってほしいと依頼される。
果たして、男性の格好をしただけで、周囲に男性だと信じ込ませることは可能なのか。
完璧な男装だと言っている言葉を、信じる他なかった。
想定外だったことは、王女が王の菜園に並々ならぬ興味を持っているということ。畑に興味があるのならば、話す話題も尽きないだろう。リュシアンは心から安堵する。
それから、ロザリーと共に王女の作業用のエプロンを縫ったり、王女専用の農具を買いに行ったりと、忙しい日々を過ごす。
そんな日々の中、コンスタンタンと過ごす時間を設けていた。
夜、夕食を終えたあと、紅茶と菓子を囲んで一日にあったことを報告し合うのだ。
王の菜園内に開かれる、喫茶店で出すメニューの試食会も兼ねている。
「今日は、ニンジンのグラッセを作りましたの」
作り方は至ってシンプル。
人差し指ほどのニンジンの皮を剝いて鍋の中に入れて、水、バター、塩を入れて煮詰める。水分がほぼなくなったら、ニンジンのグラッセの完成だ。
「王の菜園のニンジンは大変甘いので、砂糖なしのレシピで作ってみました」
「いただこう」
コンスタンタンはニンジンをよそった皿を受け取り、無表情のままで食べ始める。
小さなニンジンなので、一口で食べることができるのだ。
いつも、反応を見る時はドキドキしてしまう。コンスタンタンは素直な評価をしてくれる。いまいちな時ははっきり言ってくれるので、絶大な信頼を寄せていた。
コンスタンタンは、口元をわずかに緩ませて目を細める。
「これは、世界一のニンジンのグラッセだ。本当においしい」
「よかったです」
両手で胸を押さえ、ホッと胸をなで下ろす。
今日はロザリーの手を借りてニンジンを掘ったことと、ソレーユと共にニンジンのグラッセを作ったことを報告した。
「今日も一日ご苦労だった。大変だっただろう?」
「いいえ、楽しかったですわ」
リュシアンが微笑むと、コンスタンタンも同じように返してくれる。
最近は、コンスタンタンも笑ってくれるようになった。
だが、コンスタンタンの笑顔は破壊力がある。リュシアンは顔が熱くなるだけではなく、胸がドキドキして落ち着かなくなるのだ。
笑顔はリュシアンが五回笑ったら、一回返すだけでいい。でないと、動悸が収まらない。
「アン嬢、何か、困っていることや願い事はあるか?」
これは茶会の締めくくりに、毎日コンスタンタンが聞いてくれることである。
いつもなら、「何もございません」と返していた。
今日は、勇気を出して願い事をしてみる。
「お願い事が、ありますの。わがままかも、しれませんが……」
「そんなことはない。なんでも言ってくれ」
「では、一つだけ」
リュシアンは姿勢を正してから言った。
「わたくしのことを、アンと呼び捨てにしていただけませんか?」




