お嬢様はミモザの花に想いを馳せる
ガタゴトと、車輪が音を立てながら馬車は街道を走る。
リュシアンの前には、ランドール家の侍女が二人座っていた。
ロザリーのように、話しかけてくることはない。これが、普通の侍女と主人の関係なのだ。
今まで、馬車移動の時はロザリーと楽しくお喋りしていた。それがないと、移動している時間も長く感じてしまう。
ガーとチョーも、大人しく座っていた。先ほどから、一言も鳴かない。
ロザリーは今頃どうしているだろうか。窓の外に広がる青空を見上げ、そっと溜息を吐く。
きっと、心配をかけてしまっただろう。ロザリーはリュシアンを一人にすることに、不安を覚えていたのだ。そんな彼女に、用事を命じたのは他でもないリュシアンである。
一人になった結果、ロイクールに攫われてしまった。
ロザリーには悪いことをした。心から反省している。
アランブール伯爵家には、コンスタンタンが早馬を打ったという。リュシアンが無事だったことは、知らされることとなるだろう。
帰ったら、謝り倒さなければならない。
窓の外を眺め続けていると、コンスタンタンが馬車に並んで走っているところだった。
マントをはためかせ、暴れ馬として有名だったラピーを風のように操っている。
その様子は、物語にでてくる騎士のように精悍で、かっこよかった。
しばらく走らせたあと、湖のほとりで馬を休憩させる。
仕事が早い侍女らは、敷物を敷いて葡萄ジュースを注ぎ、バターたっぷりのサブレを皿に並べる。
「リュシアンお嬢様、騎士様とご休憩なさってください」
「ありがとうございます」
ガーとチョーは草を食い摘まんでいる。
コンスタンタンは水を飲んでいる馬ラピーにブラシをかけ、乾燥防止のオイルを塗り込んでいた。世話がひと段落ついたところで、リュシアンは声をかける。
「コンスタンタン様、こちらでお休みになられませんか?」
「ああ、そうだな」
湖で手を洗ったコンスタンタンは、リュシアンのもとへとやってきて隣に腰を下ろした。
「お疲れではありませんか?」
「いや、大丈夫だ。アン嬢は?」
「わたくしも、平気です」
ロイクールとの旅の中で、一度も交わされることのなかった会話である。
こうしてコンスタンタンと話していると、リュシアンは気付かされる。
リュシアンはロイクールと対話しようとしなかった。きちんと正面から向き合って、ロイクールと結婚ができない理由をはっきり伝えるべきだったのだ。
リュシアンはロイクールを恐れ、コンスタンタンの背中に身を隠して話そうとしなかった。
中途半端に相手をしていたので、連れ去られるという最悪の事態になってしまったのだろう。
果たして、どこで間違ったのだろうか。リュシアンは記憶を探ってみる。
「アン嬢、ランドール卿のことはもう考えるな」
「え?」
「眉間に、皺が寄っている」
「も、申し訳ありません」
会話が途切れ、気まずい思いをする。
まだ、リュシアンは今回の事件に対して、気持ちの整理ができていなかった。
「アン嬢、サブレはおいしかったか?」
「いいえ、まだ、食べていません」
「食べたほうがいい」
「そうですわね」
リュシアンはサブレを一枚手に取り、半分食べる。サクサクとしていて、バターの豊かな香りがふわりと口の中で感じる。
「あの、とてもおいしいサブレです」
「それはよかった」
コンスタンタンが淡く微笑むので、リュシアンもつられて笑顔になった。
それも一瞬のことで、今度は真剣な表情となって話を続ける。
「ここ数日の中であったことは、忘れるんだ。アン嬢は、何も悪くないから」
「ええ」
「辛いことを思い出すよりも、楽しいことを考えるほうがずっといい。そうだろう?」
「はい。わたくしも、そう、思います」
過去のことを思い出して落ちこむよりも、未来について希望を抱いたほうが幸せだ。
コンスタンタンの言葉は、リュシアンの中にあった前向きな気持ちに小さな火を点す。これを大きくするのは、リュシアン次第。
王の菜園に戻ったら、ロザリーには感謝の気持ちを告げ、アランブール伯爵にはこれからもお世話になることを伝えよう。
思いがけず、リュシアンは気持ちの切り替えができた。
景色を眺めていたコンスタンタンが、湖のほとりに生える一本の樹を指差して言った。
「アン嬢、あそこに、黄色い花が咲いている」
「あれは──」
アカシアという樹で、ミモザとも呼ばれているものである。冬の終わりに可愛らしい房状の黄色の花を咲かせるのだが、ここにあるミモザは一足早く咲いていたようだ。まだ、冬なのでかなり早い開花だ。
コンスタンタンと共に、ミモザの花を見に行くことにした。
「まだ、咲き始めみたいですね」
「そうなのか?」
「ええ。花盛りの時期には、全体が黄色くなるほど花が咲くのですよ」
「なるほど」
フォートリエ子爵家の実家にもたくさん植えられており、毎年ミモザの花を模したミモザケーキを焼いて食べるのは楽しみだった。
コンスタンタンはミモザの花を、目を細めながら見つめている。
「この花は、アン嬢みたいな花だ」
「わたくしが、ミモザみたいだと?」
「ああ。見ているだけで、元気が出るような明るく華やかな花だ」
大好きな花なので、リュシアンは嬉しくなる。
同時に、ミモザの花言葉を思い出した。
──秘密の恋。
本当に、ミモザの花はリュシアン自身を表しているようなものだった。
胸が締め付けられる。
ふいに、風が吹いた。ミモザの花が、散っていく。
リュシアンの胸がドキンと高鳴った。まるで、恋が散るように見えたからだ。
泣きそうになっていたリュシアンに、コンスタンタンが思いがけないことを告げた。
「アン嬢、私と、結婚してくれないか?」




