堅物騎士と、お嬢様の事情
リュシアン・ド・フォートリエ──子爵家の七番目の娘らしい。
なぜ、女性であるのに男性名がついているのか。
血抜きで汚れた手を井戸で洗っている時に、教えてもらった。
「わたくし、八人姉弟の七番目の子どもで、上の六人は全員姉で……」
男がほしかった父は、次こそ男児だと予めリュシアンという名前を用意し、生まれる前に教会で祝福を済ませてしまったのだ。
「けれど、生まれたのはわたくし。名前は、教会に提出したあとなので、変えることができなかったそう」
だから、アンと呼ぶことを強要したのか。なんだか気の毒になる。
「幼いころのわたくしは病弱で──」
ちらりとリュシアンを横目でみる。肌の色は白く、首筋の血管が浮いていた。
病弱だった母親を思いだしてしまい、背筋がぞっとする。
「五歳辺りまで伏せりがちだったのですが、六歳あたりから元気になって」
「今は健康、なのですか?」
「ええ。リュシアンという男性名が、病気から守ってくださったのだと、お医者様はおっしゃっていました。あとから聞いたのですが、男の子が欲しくて男性名を付けたのは父の冗談で、もともと未熟児だったわたくしが元気になるよう願いを込めて付けた名だったようです」
しかし、男児がほしかった話はあながち嘘ではなかったらしい。
「フォートリエ家にも、跡取りが必要ですので」
「そう、ですよね」
リュシアンが生まれた二年後に、弟が生まれた。
「普通でしたら、皆の注目が弟に集まって面白く思わない事態ですが、わたくしは違いました」
自分に注目が集まっていないことをいいことに、リュシアンは一人遊びに出かける。
友達は農園で働く者達の子どもで、三時のおやつは採れたての野菜である。
領民が、農園で育てた野菜が、リュシアンを明るく元気に育ててくれたのだ。
「椅子に座って礼儀を習うよりも、畑に出て土を触ることが大好きな子どもでした。それは今も、変わりません」
畑に出て鍬を握り、野菜を育ててきたのだという。
華奢なリュシアンが農業をしていたなどと、にわかには信じられない。
そんな彼女にも、十五になれば見合いの話が舞い込んできたようだ。
「フォートリエ子爵家は歴史こそありませんが、裕福なので結婚相手探しには困らなかったようです。六人の姉はみな、結婚して幸せに暮らしています」
しかしいくら見合いをしても、相手から断られるばかりだった。
「わたくし、貴族の娘にしたら、型破りだと言われましたの」
コンスタンタンはそうですねと返しそうになり、口から出る寸前で言葉を呑み込んだ。
「結婚したら、畑に出たらダメなのですって。家の中にいて、女主人を務めることができない人は、お断りだって」
それが、結婚した貴族女性の普通なのだろう。
母親が病弱だったコンスタンタンには、あまり想像できないことであるが。
そもそも、王都から遠く離れたアランブール伯爵邸を訪れる物好きなどほとんどいない。
「困り果てたお父様が、そんなに畑が好きならば、王の菜園に農業指導に行ってこいっておっしゃって。ついでに、畑に出ることを許してくださる旦那様を探してくるように言われましたの」
「なるほど。なぜ、あなたのようなご令嬢がここにと思っていたのですが、疑問が解けました」
「ごめんなさい。初対面なのに、このように喋り倒して」
馬車で三日もかかる地から、はるばるやって来てくれたのだ。屋敷に招いて、もてなさなければならない。
案内しようと一歩踏み出したら、遠くから叫び声が聞こえた。
「お嬢様~~!!」
それは、リュシアンの侍女の叫びだった。
年頃は彼女と同じくらいか。陽に焼けた健康的な肌に、エプロンドレスを纏った姿で現れる。侍女の後ろから、白と黒の二羽のガチョウもついてきた。羽をばたつかせ、必死の形相で走っている。グウグウグワグワと鳴きつつ、リュシアンのもとへたどり着いた。
「馬車から降りた途端、走り出すとは……!」
「ごめんなさい、ロザリー。畑の中に、ウサギが見えたものですから」
「ウサギですか!? でしたら、仕方がないですね」
先ほどまで目を吊り上げて怒っていた侍女だったが、ウサギを出した途端に怒りを収める。
「ウサギは、農家の天敵ですから」
「本当ですわ」
木に吊り下げたウサギを見せると、侍女はリュシアンを英雄のように称えた。
どうやら、農家にとってウサギは歓迎しない害獣のようだ。
「アランブール卿、こちらは、わたくしの侍女のロザリー。ロザリー、こちらは、王の菜園の騎士隊の隊長、アランブール卿ですわ」
「はじめまして、騎士様。以後、お見知りおきを」
ロザリーもまた、コンスタンタンに尊敬の眼差しを向ける。
「菜園の騎士様って、本当にいるんですね」
「ええ。夢のようですわ」
なぜ、彼女達は畑の騎士に一目置いているのか。思い切って質問してみた。
「だって、畑は虫に害虫、野菜を盗む者達と、天敵だらけですのよ。それから守ってくれる騎士様がいらっしゃるなんて、素晴らしいとしか言いようがありませんわ」
「ああ、そういうわけでしたか」
大農園で働く人々は、日々野菜を害する存在と戦っているらしい。
そんな者達にとって、畑の騎士は憧れの存在だったようだ。
話はこれで終わりと思いきや、まだ終わっていなかった。
リュシアンは左右を囲むように立つ白と黒のガチョウを紹介する。
「白いほうがガー、黒いほうがチョウですわ。わたくしが、卵から育てたガチョウですの」
ガチョウのガーとチョウは、リュシアンを母親のように慕っているように見えた。
だが、リュシアンはそういうつもりはまったくないらしい。
「ガーとチョウは、今年の聖誕節に丸焼きにしようと思っていまして」
ガチョウは気づいていない。リュシアンが、丸焼きにするためにはるばる故郷から連れてきたことを……。
「アン嬢、我が家の聖誕節は、鶏の丸焼きを食べる」
「まあ、そうでしたの。だったらこの子達もパイに──」
「は、畑の除草作業をさせたらいい」
気の毒なので、ガチョウパイにするのは止めるように言った。