お嬢様は呆れる
王都から山間部へ向かう街道を、ロイクールが操る馬は駆ける。
ロイクールと密着する形で馬に跨ることとなったリュシアンは、心の中で盛大な溜息をついた。
どうしてこうなったのか……。
麻袋に詰め込まれたガーとチョーが、ガアガアと激しく鳴いている。
リュシアンは鵞鳥の言葉は理解していないが、彼らが「ここから出せ!」「この野郎!」と訴えているのだけは大いに理解できた。
幸いなことに、詰められたのは辛うじて呼吸ができる麻袋である。密封された革袋でなくてよかったと、心から思った。
それにしても、どこに連れ去るつもりなのか。最初は、ランドール家のタウンハウスだと思っていたが、馬は王都とは逆方向に走り出した。
ロイクールは尋ねても答えないだろうから、聞かない。無理矢理誘拐するような真似をして、どういうつもりなのか。
腹が立ったので、話しかけたくもなかった。
おそらく、リュシアンを実家に連れて帰ろうとしているのだろう。
結婚の話を、進めるためにこのようなことをしたのか。
考えれば考えるほど、リュシアンは苛立ってしまった。
それよりも、アランブール家に連れ去られた証拠を残せなかった。リュシアンは唇を噛みしめ、悔しく思う。
ハンカチやリボンを落とすだけでも、違ったかもしれないのに。
そして、リュシアンが姿を消したことによって騒ぎとなり、アランブール家に迷惑をかけてしまうことを思ったら申し訳なくなる。
じわりと眦に涙が滲んだが、泣いている場合ではない。
どうにかしなければと、しっかり前を向いた。
王都から連なる街道を走ること一時間、道は二手に分かれる。
右は整備された平坦な街道で、左は馬でギリギリ登れるくらいの険しい山道だ。
あろうことか、ロイクールは険しい山道に行こうとしていた。さすがのリュシアンも、見過ごすことはできない。
「ランドール卿、そちらは険しい山道ですわ。馬に慣れた男性でさえ、キツイと聞いたことがあります」
「こちらのほうが近道ですので。なるべく、移動時間は短いほうがいいかと」
「二人乗りでは、難しいです。しかも、今から行ったら、野宿ですわよ? 考え直していただけます?」
「大丈夫です。数時間もあれば、町に辿り着きます」
ロイクールは何を言っても聞かない。
リュシアンは深い溜息をつき、天を仰ぐ。長い夜の始まりだった。
ロイクールは馬を休ませずに走らせ続けた。リュシアンが馬を休ませるように言っても、聞かなかったのだ。
その結果、馬は途中で動かなくなってしまった。
ロイクールは馬から下りて引っ張ったが、ビクともしない。
「くっ、この、こいつ! ポンコツ馬が!」
「乱暴は止めてくださいまし」
ロイクールが馬を叩こうとしたので、リュシアンは鞍から飛び降りて制する。
「なぜ、馬を庇うのです!?」
「お馬さんは悪くありません。何時間と続けて走らせるランドール卿が悪いのです」
ロイクールはリュシアンをジロリと睨む。このままではいけない。そう思って、鞍からガーとチョーを下ろし解放した。すると、ガアガアと鳴いてロイクールを突こうとする。
「う、うわっ! アン、何をするのですか!」
「それはこっちの台詞ですわ。長時間麻袋に閉じ込めるなんて、酷いとしか言いようがありません。そんなことよりも、太陽が出ているうちに先に進みませんと、夜になってしまいますわ」
戻るよりも、先に進んだほうがいい。そのほうが、早く森を抜けることができる。
リュシアンは優しい声で、馬に語りかけた。
「ごめんなさい。あなたはもう、必要以上に頑張ってくれたけれど、もうちょっと、先に進みませんこと?」
鼻先を撫でてあげると、馬は歩み始める。
「いい子。もうちょっと行ったら、きっと水辺があるはずですわ。そこまで、頑張りましょう」
リュシアンは手綱を握り、馬を引く。そのあとを、ガーとチョーが付いてきた。
ロイクールは、何も言わずともあとを付いてくる。
先の見えない坂道を、リュシアンは登ることとなった。
幸い、峠で湧き水を発見することができた。
馬とガーとチョーに水を飲ませたあと、リュシアンも喉を潤す。
「そんな、どこの水かもわからないものを、よく飲めますね!」
ロイクールの言葉に、リュシアンは耳を疑う。
「あの、これは湧き水ですけれど?」
「雨が降って溜まった水でしょう? お腹を壊しますよ?」
「……」
ロイクールの言う通り、湧き水のもとを辿れば雨水だ。しかし、ただの雨水ではない。天から降り注いだあと地中にしみ込み、何層にもわたって濾過された状態で地上に湧き出てくる。
もちろん、完全に安全な水であるとは言えない。いくら濾過された状態で湧き出ていても、一度沸騰させてから飲んだほうがいいだろう。
だが、リュシアンは、湧き水を飲みなれていた。今まで腹痛を引き起こしたことなどない。
湧き水を飲んだことのないロイクールは腹痛を起こす可能性もあった。だから、強く勧めることはしない。
「まあ……飲むか飲まないかは、ご自由になさってくださいな」
ホー、ホーと、夜行性の鳥の鳴き声が聞こえた。リンリンという虫の大合唱も始まっている。
周囲は真っ暗で、満天の星が広がっていた。
これ以上、進まないほうがいいだろう。
ここで、ガーとチョーがガアガアと鳴いた。
どうしてか、「ここをキャンプ地とする!」と言っているように聞こえてしまった。




