お嬢様は攫われる
ロイクールに誘拐されたその日、リュシアンはロザリーと共にニンジンの収穫をしていた。
「うう~~! 抜けない~~!」
「あら、ロザリー、力任せに引っ張ったら、折れますわ」
「わかっていますが、根が強くて」
「きっと、ニンジンは土が温かくて居心地がいいから、外に出たくないのでしょう」
「アンお嬢様、面白いこと言わないでください~、脱力します」
「ふふ。ロザリー、代わっていただける?」
「ええ、私が抜けないのに、アンお嬢様が引っ張って抜けるわけがないですよお」
そう言いながらも、ロザリーはニンジンを引く作業をリュシアンと交代する。
「行きますわよ……よい、しょっと!」
一回引っ張っただけでは、抜けなかった。
「言うことを聞かないと、おいしいグラッセにしてあげませんからね!」
そう言いながら引っ張ると、スポン! と綺麗に抜けた。が、勢い余って、リュシアンは背後に倒れてしまう。
「きゃあ!」
「わあ、アンお嬢様ー!」
ニンジンの葉がクッションになったので、泥も付かなければ衝撃もなかった。
ロザリーの手を借りて、起き上がる。
「うふふ、驚きました」
「私もです」
「でも、抜けましたわ」
「ええ、よかったです。って、このニンジン、大きくて二股に分かれています」
「あら、本当!」
ニンジンは他のニンジンよりも一回り大きく、おまけに根が二つに分かれていた。
「だから、なかなか抜けなかったのですねえ」
「驚きましたわ」
通常、このような規格外のニンジンは処分となる。しかし、ここは生まれ変わった王の菜園。どの野菜も同じように、おいしく調理され食べられる権利を持っているのだ。
「綺麗に洗って、皮を剥いて、切り刻んだらどれも同じ野菜ですのに」
「本当ですよお」
リュシアンはニンジンに付着した泥を落とし、籠の中へと入れる。
「アンお嬢様に収穫された野菜は、世界一幸せ者ですね」
「そうだと、いいのですが」
ここで、籠がいっぱいになる。
ロザリーと二人で騒いだら、喉が渇いてしまった。
「ロザリー、休憩にいたしましょう。紅茶を用意していただける?」
「あー……、一回、屋敷に戻りません?」
「まだ作業はありますし、泥だらけなので、ここで休憩するほうがよろしいかと」
「わかりました。なるべく早く戻ってきますので」
「ええ。お願いいたします」
「アンお嬢様、一人でいる間、お仕事するのはナシですからね!」
「ええ、わかっていますわ」
休憩用に用意していた敷物に座り、しばしリュシアンは休憩する。
ぼんやりと畑を眺めていたが、ふいにひゅうと強い風が吹く。
先ほどまでそんなに寒くなかったのだが、肌寒さを感じて自らの肩を抱いた。
ロザリーに外套を一枚頼めばよかった。そう思ったのと同時に、背後から気配を感じて振り返る。
「ロザリー、早かっ──」
そこにいたのは、ロザリーではない。
帽子を深く被り、丈の長い外套を纏った男性が立っていた。
手に持っていたステッキで、帽子の縁を上げる。
見えたのは、眼鏡。それから、琥珀色の瞳と黒い髪。
それは、リュシアンがよく見知った人物だった。
「あなたは──ランドール卿!」
「他人行儀な呼び方ではなく、婚約者らしく名前で呼べばいいものの。それよりもアン、こんなところで、泥だらけになって、何をしているのですか?」
「わたくしは、仕事をしていただけです」
「あなたは、そのように汚れ仕事をすべき存在ではない」
「なぜ、あなたにそのようなことを言われなければいけないのです? これが、わたくしのお仕事ですわ」
「違う!」
強く否定され、リュシアンは傷ついた。
同時に、思う。コンスタンタンならば、リュシアンがしたいと思うことを応援してくれる。否定なんて、絶対にしない。
そう思ったら、どうしてか泣けてきた。
「アン、どうして、泣くのですか!?」
「……」
「貴族令嬢が、泥だらけになって仕事をするなんてありえない。これは、普通の感覚です。あなたが、おかしなことをしているのですよ!?」
それは、間違いではない。しかし、それを正面切って言わなくてもいいのではと思う。
リュシアンのすることが気に食わないのならば、無視していたらいいのに。
ロイクールはリュシアンを深く傷つける言葉を平然と吐くのだ。
「……」
「泣いていないで、なんとか言ったらどうなんです!」
「……」
「アン、あなたは、そんなに気弱ではないでしょう!?」
ロイクールの言う通り、リュシアンは以前よりも弱くなっていた。
以前だったら、泣かずに言い返していたのかもしれない。
しかし今は、コンスタンタンに出会ってしまった。彼ならば、こんなことを言わないと考えたら、泣けてくるのだ。
「なんとか言ったらどうなのです!」
そう言われ、振り絞って出た言葉は、ロイクールに対してもっとも言ってはならぬ言葉であった。
「コンスタンタン様、助けて……」
「は!?」
「コンスタンタン様……」
周囲にコンスタンタンがいると思ったのか、ロイクールは辺りを見回す。
「奴が、どこかにいるのか? 出かけていると、聞きましたが」
「……」
「アン、質問に、答えてください」
「コンスタンタン様は、おりません」
「だったら!!」
ロイクールは叫び、リュシアンの腕を掴んで立たせ、連行するかのように引きずり始める。
「い、痛っ!」
腕を引かれ、歩きたくなどない、そう思って足に力を入れた。だが、リュシアンの力は非力で、あっさりと引きずられてしまう。
「嫌、嫌ですわ!」
「いいから、来るんです!」
「誰か、誰か!!」
そう叫んだ瞬間、叢からガサリと音がなった。
ロイクールは肩を震わせ、大袈裟な様子で驚く。
顔を覗かせたのは、鵞鳥のガーとチョーだった。
「あなた達、ランドール卿を、突いて!」
リュシアンの命令に従い、ガーとチョーはロイクールの足を突く。
「い、痛っ! こ、こいつ!」
しかしながら、鵞鳥の攻撃など大した影響は与えられず、リュシアンは王の菜園の出口まで引きずられてしまった。
運悪く、誰ともすれ違わなかったのだ。助けは呼べなかった。
出口には複数の男達が待機しており、リュシアンはあっという間に取り囲まれてしまう。
こういう場合、暴れ回ったり悲鳴を上げたりしたら、逆に危険な目に遭う。
リュシアンは大人しく、ロイクールの指示に従うことにした。
ガーとチョーは乱暴に首を掴まれ、麻袋に詰め込まれロイクールの荷鞍に積まれる。
鵞鳥は放してくれと懇願したが、拒絶された。
馬に跨るように言われ、渋々応じる。
リュシアンはロイクールと共に馬に乗り、王都を去ることとなった。




