お嬢様は口論する
リュシアンはロイクールが差し出した文章を、繰り返し読む。
だが、何回読んでも、リュシアンとロイクールが両家同意の上で婚約を結んだという文章しか書いていない。
「まさか、知らなかったと言わないでしょうね?」
「そ、それは──」
父親の手紙には、そんなことなど書いていなかった。そう思い返していたが、ふと気づく。
あまりにも同じ用件しか書いていなかったので、最新の手紙を何通か読んでいなかったことを。
その中に、もしかしたら婚約について何か書かれていたのかもしれない。
リュシアンは血の気が引いて、体がぐらりと傾く。
そんな彼女を、コンスタンタンが背後から支えてくれた。
「さて。何から話をしましょうか。まあ、とりあえず、座ってくださいよ」
厭味ったらしく言うロイクールの命令に、リュシアンは従いたくなかった。
唇を噛みしめ、ロイクールを睨みつける。
「おやおや、反抗的な態度を取るとは。これから結婚するのに、よくないことですよ、アン。座ってください」
「い、嫌です」
「アン嬢、いったん座ろう。顔色が悪い」
コンスタンタンがリュシアンの腰を支え、ゆっくりと座らせてくれる。
ロイクールの言葉には激しい嫌悪感があったが、コンスタンタンの言葉にはまったく嫌な感情は抱かない。
それどころか、リュシアンを案じてくれていたので、心遣いに胸が熱くなった。
「不快ですね。なぜ、そのようにくっついて座っているのですか?」
「アン嬢の具合がよくないのが、お前には見えないのか?」
「傍で支えると? そんなの、する必要はありません!」
ロイクールは立ち上がり、つかつかとリュシアンのほうへやってくる。
「アン、こちらに来て座るのです。そんな男の傍にいることなど、赦しません」
リュシアンを立ち上がらせるため、ロイクールは腕に手を伸ばす。
咄嗟に、リュシアンは身を竦めた。が、ロイクールが腕を掴むことはなかった。
コンスタンタンが、ロイクールの手首を掴み、行動を阻んでいるからだ。
「な、何をするのですか!?」
「嫌がっているのが、わからないのか? それに、具合を悪くしているアン嬢を無理矢理立たせるなど、ありえないこと」
「なっ!!」
ロイクールは頭に血が上ったのか、みるみるうちに顔を真っ赤にしていく。
あろうことか、止めの一言をリュシアンが言ってしまった。
「ランドール卿、帰ってください。わたくしは、あなたが、怖い……」
「なん、ですって?」
「結婚も、できません」
「何を言っているのですか? 親の決めた結婚は絶対です。あなたは、そのために育てられたはずです」
「わかっています。わかっているのですが……無理なのです」
ロイクールはコンスタンタンに掴まれていた手を払いのけ、リュシアンの頬を叩こうと手を振り上げる。
リュシアンは叩かれると思い、目を瞑った。
衝撃は──こない。
コンスタンタンがリュシアンの体を抱き寄せ、庇ってくれた。
結果、ロイクールはコンスタンタンの頭部を叩くこととなる。
「うぐっ!!」
声を上げたのは、ロイクールだった。
どうやら、コンスタンタンの頭部で突き指をしてしまったようだ。
手を摩りながら、涙目でリュシアンを睨んでいる。
「そもそも、あなた達は、正式な婚約を結んだと、嘘を吐いていたのですね?」
「それは……」
「そうだ」
コンスタンタンは潔く、嘘を認めた。
「だが、アン嬢に結婚を申し込んでいたのは、本当だ」
「え?」
「父が申し込んでいたようだが、一足遅かった」
「そ、そう、だったのですね」
どうやら、コンスタンタンはリュシアンの婚約を知っていたらしい。
知らないのは、リュシアンだけだったようだ。
「コンスタンタン様は、お嫌ではなかったのですか?」
「アン嬢との結婚が、か?」
「ええ」
「嫌なわけがないだろう」
「コンスタンタン様……!」
リュシアンは、アランブール伯爵家で迎えられるべき女性に相応しいと言われたようなものである。
嬉しくなって、頬が上気していくのを感じていた。
「あなた達は、いつまでくっついているのですか! アン、このような小癪な男から、離れるんです!」
再び、ロイクールはリュシアンに手を伸ばす。が、またしてもコンスタンタンに阻まれた。
「あなたは、どうして自分の婚約者でもないのに、邪魔をするのですか?」
「アン嬢が、嫌がっているからだ」
「いいえ、アンは、嫌がっていません!」
「嫌ですわ」
「……」
リュシアンはコンスタンタンの胸にしがみつく。
彼の腕の中にいたら、絶対に安全だという安心感があった。
「アン、あなたは、騙されているのです。都会の男にたぶらかされて、浮かれているだけなんですよ。時期がきたら、捨てられることは目に見えています」
「コンスタンタン様はそのような男性ではありません」
「アン水準の女なんて、星の数ほどいるのです」
「でしたら、わたくしと結婚せずに、星々の女性にアプローチをされてはいかが?」
「……」
ああ言えばこう言う。
ロイクールは次々とコンスタンタンの悪口をまくし立て、二人の仲を裂こうとしていた。
最後に、宣戦布告を受ける。
「今から、王太子殿下にあなた方の嘘を報告しに行きます! いいですね?」
これには、リュシアンも返す言葉が見当たらない。不安げに、コンスタンタンを見上げる。
「好きにしろ」
「え?」
「いいから、報告してこいと言っている。早く行け」
「あ、え……、わ……わかりました。今から、報告にいきます。あとで泣きを見ても、知りませんからね!!」
ロイクールは大股で応接間を出て行き、帰っていった。
コンスタンタンとリュシアンは、抱き合った姿のまま、呆然とする。
嵐のような時間だった。
「コンスタンタン様……」
「大丈夫だ。王太子殿下は、ランドール卿に会う時間など、あるわけがない」
そう言って、コンスタンタンはリュシアンの背中を優しく撫でてくれた。




