堅物騎士は、お嬢様に酩酊する
夜、リュシアンにパーティーに出す料理の味見をするように頼まれた。
夕食後、しばらく執務を行い、ちょうど小腹が空く時間帯である。
リュシアンはロザリーを伴い、籠を片手に持ってやってきた。
廊下が寒かったのか、赤いケープの頭巾を被っていた。
その姿はまるで、童話にある『赤ずきん』のようである。
リュシアンが赤ずきんなら、自分は狼か。
いいや、そんなわけない。
コンスタンタンは首を振って、狼になんかならないと否定する。
「あの……コンスタンタン様、ご迷惑でしたか?」
リュシアンは小首を傾げ、訊ねてくる。
その絶妙に首を傾げる様子は、木の枝に止まる可憐な雪妖精に似ていた。
リュシアンを童話の世界の住人や、小動物に例えている場合ではなかった。
「いや、迷惑ではない。廊下は寒い。早く、中に」
「ありがとうございます」
リュシアンはロザリーと暖炉の前に敷物を広げている。
その上に、瓶詰めやらまな板やらナイフやらを並べ始めた。
まるで、ピクニックのようだった。
「コンスタンタン様、こちらへどうぞ」
リュシアンは隣をぽんぽんと叩く。座るように言いたいのだろう。
「では、失礼する」
ロザリーが籠の中から取り出したのは、酒瓶である。
「じゃ~ん。アンお嬢様のご実家であるフォートリエ領名産の、スパークリングワインですよ~! これ、シャンパンに負けず劣らずで、すっごくおいしいんです!」
「ロザリーのコレクションを、一本分けていただきましたの」
「いいのか?」
「もちろんですよお。王の菜園事業を始める、二人の門出にお祝いさせてくださいな!」
「ですって」
ロザリーはスパークリングワインの栓に布をかけ、ボトルを捻るように開封した。
すると、栓がポン! と小気味いい音がする。
「きゃっ!」
リュシアンは音に驚き、身を竦めていた。
コンスタンタンのほうに身を寄せたものの、腕に指先が触れる寸前で動きを止めたようだ。
なんだったら、ぜんぜん縋っても構わなかったが。
コンスタンタンは微妙に残念な気持ちになる。
「アンお嬢様、銃声には動じないのに、スパークリングワインの栓抜き程度で驚くなんて」
「だって、音が鳴るとは思いませんでしたもの」
「執事さんはいつも、音を鳴らさずに上手に開けますからね。すみませんでした」
銃声は平気なのに、栓抜きに驚くリュシアンが可愛い。
コンスタンタンはしみじみ思ってしまう。
「うんと冷やしてきましたからね! きっと、おいしいですよ」
ロザリーはそう言いながら、細身のグラスにスパークリングワインを注ぐ。
しゅわしゅわと弾けるワインは、焚火に翳すと美しい色合いになる。リュシアンにも教えたら、キラキラした瞳でグラスの向こうのスパークリングワインを眺めていた。
「なんて綺麗な琥珀色なんでしょう。故郷のお酒が、こんなに美しいなんて、知りませんでしたわ。コンスタンタン様、教えてくださり、ありがとうございました!」
ロザリーはリュシアンを笑顔で見守っていたが、ここで彼女の手にグラスがないことに気づいた。コンスタンタンは立ち上がり、棚の中からグラスを持ち出す。
空のグラスを、ロザリーへと差し出した。
「あの、アランブール卿、そちらのグラスは?」
ロザリーの分であると言うと、丸い目が零れそうなほど見開いていた。
「あ、あの、私は使用人ですので」
「もう、労働時間外だ。問題ない」
「ええ、そんなあ。困ります。アンお嬢様~」
「ロザリー、ここでは、コンスタンタン様が法律ですわ」
「ええ、本当ですか~~?」
「もちろんです」
「でしたら、お言葉に甘えて、一杯だけ」
困ると言いながらも、アンがいいと言ったら嬉しそうにスパークリングワインをグラスに注いでいた。
「では、乾杯いたしましょう。え~と、コンスタンタン様、何に乾杯いたします?」
「……」
こういうことは、慣れていない。
同僚だったクレールであれば、ポンポン出てきただろうが。
いつも騎士隊の飲み会の際は、端の方で気配を殺していた。乾杯の音頭を頼まれることなどなかったのだ。
「突然頼まれても、困りますよね。ロザリー、お願いできますか?」
「そうですね~、ごっほん。では、アンお嬢様と、アランブール卿の仮の婚約に、乾杯!」
「ロザリー!」
コンスタンタンはまだ何も飲んでいないのに、噎せてしまった。
ロザリーのおかげで、賑やかな時間を過ごす。
スパークリングワインは火照った顔を冷やすのに、ちょうどよかった。
リュシアンはあまり酒に強くないようで、一口飲んだだけで頬を赤く染めていた。
とろんとした目でナイフに手を伸ばすので、咄嗟に腕を掴んでしまう。
「アン嬢、ナイフは、私が扱おう」
「でも……」
「危ないから、私にさせてくれ」
リュシアンは上目遣いで、コンスタンタンを見る。
瞳は潤んでいて、吸い込まれそうだった。早く目を逸らしてほしいという思いと、ずっと見つめてほしいという思いが、滝のような勢いでせめぎ合う。
「アンお嬢様、ここでは、アランブール卿が法律なんです。言うことは、聞かなくちゃダメですよ」
「……わかりましたわ」
残念そうに、ナイフを差し出してくる。
リュシアンはここで、一口大のオープンサンドを作るつもりだったようだ。
コンスタンタンはまな板の上で、バケットを切る。しかし、上手く切れずにパンが潰れてしまった。
見かねたリュシアンが、コツを教えてくれる。
「コンスタンタン様、パンは切るのではなく、ナイフの刃を当てて、引くのですよ」
「!?」
リュシアンがコンスタンタンの耳元に、熱っぽい声で囁いた。
吐息がかかるほど、近かったのだ。
助言など、頭に入ってこない。
二枚目のパンも、潰してしまった。
「難しい」
「最初から、上手にできる方はいませんので」
そう言って、リュシアンは微笑む。
いつもは天使の笑顔だが、酩酊状態の時は妙に色っぽい。
なんだか見てはいけないものを見てしまった気分になる。
「アランブール卿、カットは私がしますね」
「……すまない」
ロザリーはまな板の上にバケットを置き、薄く切っていく。
バケットを受け取ったリュシアンは、クリームチーズの上にカボチャのペーストを載せ、ディルを添えて、仕上げに黒胡椒を振ったものをコンスタンタンへと差し出した。
「コンスタンタン様、でき上がりました」
昼間、カボチャが好きだと言ったからか。一品目はカボチャを使った品を用意してくれたようだ。
感動していたら、リュシアンは予想外の行動に出る。
「コンスタンタン様、あ~ん」
「……」
リュシアンは完全に、酔っぱらっていた。




