堅物騎士とウサギ追いし、お嬢様
コンスタンタンは毎日、陽の出前に起床する。
使用人は誰一人として起きていない。
士官学校時代、騎士の世話をするために早起きをしなければならなかった。その時の癖が抜けきっておらず、今でも毎朝太陽が出る前に行動を始めるのだ。
まずは剣を握り、素振りを行う。これで、たいていの眠気は吹き飛ぶ。
続いて、湯を沸かして汗を流す。ここで、髭を剃ったり歯を磨いたりと、身支度を整えるのだ。
最後に、騎士隊の制服に袖を通す。
シャツはアイロンがかけられ、パリッとしている。
士官学校時代は、アイロンがけも仕事の一つだった。コンスタンタンは校内のアイロンがけコンテストで、一位を取ったことがある。恐ろしく几帳面な男なのだ。
身支度を整えると、地平線にうっすらと陽の光が差し込みだす。朝がやってきたようだ。
朝食の時間まで、コンスタンタンは王の菜園を見回る。
歴史ある農場は、国王陛下に新鮮で栄養価の高い野菜を食べてもらうために造られた。
周囲は太陽の光を遮らないよう、塀など存在しない。膝丈ほどの獣除けの柵があるばかりだ。
あぜ道を歩いていると、夜勤中の騎士に出くわす。呑気に欠伸をしていた。舞台俳優のような華やかな雰囲気を持っているのだが、髪は跳ね広がり口髭を生やし、背中は常に丸まっているという残念な男だ。
「おはよう」
「おふぁようございます」
騎士隊の隊長であるコンスタンタンがやって来ても、姿勢を正すことなく欠伸交じりで挨拶を返してくる。
ここの規律はどうなっているのか。近衛部隊では、ありえないことだった。
だが、それも仕方がないのだろう。この畑の騎士こと第十七騎士隊の隊員たちは、よその部隊が持て余し左遷した騎士の集まりなのだ。
隊長を見て姿勢を正すような生真面目さがあれば、ここにはいない。
コンスタンタンの目の前で頭をガリガリと掻く騎士は、上司の妻との不倫が原因で一年前に第十七騎士隊へやってきたらしい。国王の畑の見回りという大任を、文句ひとつ言わずにこなしている。
不真面目な態度はどうであれ、毎日出勤してくるだけマシなのか。
第十七騎士隊には、扱いに困った貴族子息も数名いる。彼らはプライドが高く、畑の騎士であることに怒りを覚えている。
隊員同士の喧嘩は日常茶飯事。それを仲裁するのは、コンスタンタンの仕事のひとつだ。
他、どうしようもない女好きだったり、国王の野菜を盗み食いしたり、仕事をさぼって眠ってばかりいたり。とんでもない問題児の集まりだった。
かつて、第十七騎士隊は精鋭揃いだった。というのも、その昔王都周辺には盗賊団が蔓延り、王の菜園の野菜が盗まれることがあった。
訓練を積み、統率された騎士は勇敢に王の野菜を守る。
彼らの活躍あって、王の食卓に新鮮な野菜が並ぶこととなった。
しかし、その活躍も長くは続かない。
盗賊団が壊滅し、平和が訪れる。役目のない騎士はくさり、解散したほうがいいという声も上がった。
一時期は撤退したものの、市場の野菜の高騰が引き金となり、市民が腹癒せに王の菜園を荒らすようになった。
第十七騎士隊は再結成され、王の菜園を守る任務に就く。
騎士がいないと、なんらかの原因で畑が荒らされる。そのため、第十七騎士隊の存在は絶対必要だ。
それから数百年、第十七騎士隊は国王の畑を守る任務を遂行する。
ただし、その仕事にやりがいはなく、いつしか騎士隊の左遷先となってしまったのだ。
コンスタンタンの父グレゴワールはのんびりとした性格で、畑の騎士は性に合っていたようだ。
一方、コンスタンタンは違った。
この仕事のやりがいを見つけることができず、毎日淡々と過ごしていたのだ。
果たして、ここで何をしようか。
広大な畑を前に、コンスタンタンは自らの未来を思い描けないでいる。
近衛部隊とここは、あまりにも違い過ぎた。
王の菜園には、見渡す限りの畑が広がっていた。
畝から豊かな緑が空に向かって伸び、少しでも太陽の光を浴びようとする。畑だけでなく水田もあり、米が作られていた。温室では南国の果物が栽培されているようだ。
敷地内には農業従事者や騎士隊の宿舎や、倉庫が並びちょっとした村のような雰囲気である。
野菜の世話をする農業従事者は六十名ほど。畑を守る騎士は三十名。三つの班に分け、日勤と夜勤を四勤二休の勤務で行う。
隊長であるコンスタンタンは、一週間交代で日勤と夜勤を繰り返していた。
今日から一週間、日勤である。
仕事はそこまで多くない。朝礼に出て異常がないか確認し、王の菜園を見回り、農業従事者達に要望を聞いて回る。
本日は、フォートリエ子爵家の子息リュシアンを迎える予定だ。
彼はここにどのような変化をもたらすのか。
わずかながら、興味があった。
ひと通り畑を歩いて回ると、太陽が大地を明るく照らす時間帯となった。
朝陽を振り返って瞼を細めていたら、こちらへ接近する何かを捉える。
ぴょこぴょこと跳ねる小さな影は──ウサギだ。
森に近いこの地は、野生動物もよく見かける。
ウサギにハリネズミ、シカにイノシシ、数年前にはクマの発見も記録されていた。
その中でもウサギは、たくさんいる。一日に数回見かけるほどだ。
「──ん?」
コンスタンタンは目を凝らす。跳びはねるウサギを、誰かが追いかけていたのだ。
長いスカートを翻し、ウサギを追っている。
女性がウサギを追う様子は、物語の一ページのように絵になっていた。
ふいに風が吹き、女性が被っていた帽子が飛んでいって容姿が露わとなった。
おさげの三つ編みにした金色の髪は、太陽の光で照らされキラキラと輝いている。
大きな青い瞳は、ウサギを逃すまいとただ一点、まっすぐに向けられていた。
若い女性だ。年の頃は二十歳もいっていないだろう。白い肌の、儚げな雰囲気のある美女だ。
泥がスカートに撥ねることも気にせず、実に理想的な正しい姿勢で走っていた。
なぜ、全力疾走でウサギを追っているのか。
途中、女性は指笛を吹く。ピィーー! と、甲高く大きな音が鳴った。
すると、弾丸のように垂れ耳の小型犬がウサギの前に跳び出してきた。猟犬だろう。
ウサギは犬に驚き、回れ右をする。しかしその先には、女性がいた。
女性はウサギを胸に抱き、捕獲する。
そして、慈しむように抱きしめた。
もしや、飼っているウサギが逃げだしたのか。
その辺にいそうな茶色いウサギだが、女性にとっては愛玩動物なのかもしれない。
だが、それはコンスタンタンの勘違いだった。
女性は満面の笑みを浮かべつつ言った。
「このウサギ、ミートパイにしてやりますわ!」
その発言を聞いた瞬間、コンスタンタンの脳天に雷が落ちた。