お嬢様は幼馴染と対峙する
あと少しで中庭に出ることができる。歩みをさらに速くしようとしたその時、リュシアンは声をかけられた。
「アン!」
瞳が零れそうなほど見開いているのは、幼馴染のロイクールである。
リュシアンは弱みを見せないよう、コンスタンタンに身を寄せて挨拶をした。
「ごきげんよう、ランドール卿」
もう、王都では幼馴染ではない。だから、名前を呼ばずに家名で呼びかけた。すると、ロイクールは深く傷ついた表情を浮かべる。
他人行儀に接したからなのか。しかし今は、仮とはいえコンスタンタンと婚約を結んでいる。親しげに話しかけるわけにはいかない。
そもそも、故郷にいた時も、親しくともなんともなかった。
ロイクールはリュシアンに意地悪をして、一人楽しんでいたのだ。いつか仕返しをしてやろうと考えていたが、思いがけず達成してしまった。
だが、せいせいするわけではない。
いつも自信満々で高慢なロイクールの、捨てられた子犬のような顔はできれば見たくなかった。
もやもやとした気持ちに蓋をして、毅然とした態度でロイクールを見る。
「あの、アン」
一歩、ロイクールが近づいて来る。リュシアンは一歩下がった。
「私達、やり直しませんか? これからは、素直になって接するので」
「や、やり直すも何も、わたくし達は、最初から何も始まっておりません」
「何も、始まっていないと!?」
ロイクールの大きな声に、周囲の視線が集まる。それよりも、ロイクールの怒気のこもった声が恐ろしくて、リュシアンはコンスタンタンの背後に隠れた。
二人の間にコンスタンタンが割って入る。
「あとは、外で話したほうがいい」
「あなたには関係のないことです! これは、私とリュシアンの問題ですので!」
「落ち着け。ここは人の耳目がある」
「少し黙っていただけますか!? そもそも、あなたがアンを唆したのでしょう!?」
「ランドール卿、お止めになって。話は、別の場所で──」
「アン、少し大人しくしていてください! この人はきっと、王の菜園でアンをこき使うために婚約を結んだ腹黒い男なんです! 騙されないでください!」
「わたくしのことはなんと言っても構いません。けれど、コンスタンタン様を悪く言うことは赦しませんわ!!」
リュシアンは自分でも驚くほど、大きな声を出してしまった。
何か面白い見世物が始まったかのように、周囲から好奇の視線が集まっていた。
どうしてこうなってしまったのか。リュシアンは顔から火が出るほど恥ずかしくなる。
コンスタンタンにも迷惑をかけてしまった。
この場を、どう収拾つけたらいいのだろう? 自身に問いかけるが、答えは出てこない。リュシアンは泣き出してしまいそうになった。
「アン嬢、大丈夫だ」
「!」
コンスタンタンがリュシアンの肩を抱き寄せ、耳元で囁いてくれる。
今まで聞いたことがないような優しい声を聞き、リュシアンの眦から涙が溢れてきた。
しかし、大丈夫とはどういうことなのか。その答えは、すぐに理解することになる。
「──なんだか、楽しそうな話をしているね」
やってきたのは、輝く白銀の髪を持つ美貌の男だった。
深い海の色と同じ瞳は切れ長で、目鼻立ちは芸術品のように整っており、口元には優雅な笑みが浮かんでいる。年の頃は二十代半ばくらいか。
顔だけ見たら優男のようだが、しっかり鍛えられた体躯は頼もしさを感じる。
彼は社交界の高嶺の花──イアサント・ロドルフ・ニコラ・デュピュイトラン。
「久しぶりだね、コンスタンタン」
「王太子殿下も、お元気そうで」
「おかげさまでね。それよりも、隣にいる可愛らしい方を紹介してくれるかい」
「ああ、彼女は──リュシアン・ド・フォートリエ」
名前を呼ばれた途端、ハッと我に返った。まるで、舞台を観ているような感覚に陥ってしまったのだ。
これが現実であることに気づくと、リュシアンの心臓はバクンと大きく跳ねた。
膝を折り、深々と頭を下げた。
「はじめまして、リュシアン嬢。驚いたな、コンスタンタンの噂の婚約者が、こんなに可愛らしい人だったなんて」
「!」
どうやら、コンスタンタンとリュシアンの婚約は王宮で噂になっていたらしい。
情報の出所は、ロイクールしかいない。
「コンスタンタンも水臭いな。挨拶くらい、来てくれてもいいのに」
「申し訳ありません。殿下もお忙しいと思って」
「忙しいけれど、君の大事な結婚の話を聞く時間くらいいくらでも捻出するのに」
「ありがたきお言葉にございます」
この短時間で、王太子がいかに人徳者であることがわかった。
コンスタンタンの言葉の節々から、尊敬がにじみ出ているのも感じた。
それなのに、リュシアンは大変なことをしてしまった。嘘の婚約が、広まってしまったのだ。王太子はコンスタンタンの婚約を祝福してくれている。
本当の婚約ではないのに。そんなことを考えていたら、胸がじくじくと痛んだ。
「おや、彼女、大丈夫かい? 顔色が悪いようだが」
「会場の熱気に酔ってしまったようで、夜風に当たりに行くところだったのです」
「そうだったのか。足を止めて悪かったね」
「いえ、お声かけいただき、嬉しく存じます」
「相変わらず堅いヤツだな」
王太子はそう言って、コンスタンタンの肩を叩く。リュシアンには片目をパチンと瞑って見せて、そのまま去って行った。
コンスタンタンは胸に手をあて、忠誠の恰好を取る。リュシアンも膝を折り、頭を深く下げた。
王太子の姿が見えなくなると、コンスタンタンはリュシアンの手を取って歩きだす。
視界の端にロイクールが見えたが、呆然とした表情のまま動こうとしなかった。




