お嬢様は野菜ジュースを作る
リュシアンは眉間に深く刻まれていた皺を、指先で解す。皺が一向に伸びなかったのは、リュシアン自身に襲いかかった問題のせいだろう。
幼馴染の青年、ロイクールのせいでさんざんな目に遭った。
被害がリュシアンだけならばよかったが、今回はコンスタンタンにまで及んでしまった。申し訳なさ過ぎて、泣きたくなる。
そもそも、ロイクールは幼少時から困った男だった。自信過剰で、高慢で、いつも自分が一番偉いと思っている。いたずらが大好きで、リュシアンが嫌がれば嫌がるほど、楽しくなってしまう困った性分の持ち主なのだ。
ロイクールの尊大な態度は子どもの時からで、今日もコンスタンタンに偉そうな態度で話しかけていたので顔から火が出るかと思った。
もしかしたら、自分勝手な性格が原因で、婚約者が決まらないのかもしれない。
リュシアンだったら応じるし、貞淑な妻となると思ったのか。
彼の妻になるなんて、ありえないことだ。
毎日からかわれたり、いじわるされたり、上から目線で命じられたり、そんな結婚生活など我慢ならない。
今回、コンスタンタンのおかげで難局を乗り切ることができた。
とりあえず、彼から結婚を迫られることはない。
けれど、問題が綺麗さっぱりなくなったわけではなかった。
ロイクールは騎士となり、王都に住むと宣言した。彼がいる場所では、コンスタンタンに婚約者役を頼む必要があった。
「ロザリー、どうしましょう。アランブール卿に、ご迷惑をかけてしまいましたわ」
「アランブール卿がいいって言っているんですから、甘えていいのでは?」
「社交界のシーズンに婚約者役を頼むなんて……」
「だったら、本当の婚約者になるのはいかがですか?」
「なっ!」
ロザリーの思いつきに、言葉を失う。
コンスタンタンと結婚するなど、ありえないことだ。
「ダメですわ。絶対に、ダメ!」
「なんで、ダメなんですか?」
「だって、アランブール伯爵家は歴史ある名家ですし、わたくしみたいな辺境貴族の娘が、つり合うはずありません」
「そうでしょうか? 遠目で見たら、お似合いだなと思うのですが」
「絶対に、ありえません!」
リュシアンの実家の歴史は浅く、結婚しても大した利益はもたらさないだろう。
それに、コンスタンタンはきっと、色白で、虫も怖がるような儚げな娘を結婚相手に望むに違いない。
リュシアンみたいな、土いじりが趣味で肌が焼けているたくましい女性は範疇外に決まっている。
「ああ、肌といえば──」
連日、厚化粧をしているからか、肌が荒れていた。
化粧を落とし、鏡を覗き込んでは溜息をつく。
以前までは、毎日厚化粧をすることはなかった。化粧は薄く施し、太陽の光を目一杯浴びていた。そのツケが、今になって巡り廻ってきたのだ。
リュシアンはサッと立ち上がり、目つきを鋭くさせる。
「アンお嬢様、いかがなさいましたか?」
「美容の野菜ジュースを作りますわ」
「今からですか?」
時計は二十二時を差している。厨房の火は消されているであろう時間帯だ。
「今から飲んだら、きっと眠っている間に肌に作用するはずです」
さっそく、リュシアンは行動に移す。
実家から送られた野菜のうち、老化を防ぐアボカド、肌に弾力を付けるトマト、栄養豊富なニンジン、ホウレンソウを籠に詰める。他に、果物と蜂蜜も持って行く。
最後に化粧を落としてしまったので、顔が見えないようにケープを纏い頭巾を深く被った。
「ロザリー、行きますわよ」
「はい」
アランブール伯爵家の厨房はいつでも使っていいと、料理長から許可を得ている。
リュシアンは速足で、向かった。
ロザリーの言う通り、厨房は誰もおらず、火も消されていた。火おこしなど朝飯前のリュシアンにとって、たいした問題ではない。
そもそも、野菜ジュース作りに火は必要なかった。
力自慢のリュシアンは、ニンジンをゴリゴリとすりおろす。ロザリーはホウレンソウを乳鉢ですり潰す作業に取りかかった。
すべての食材をすったり、潰したりしたあと、ボウルに入れて蜂蜜を加えてよく混ぜる。
最後に、すべて漉したら野菜ジュースの完成だ。
ホウレンソウが多かったからか、緑の健康的な色に仕上がった。
「アンお嬢様、頑張ってくださいまし!」
「ええ……」
すうっと息を大きく吸い込んで──はく。
腹を括ったリュシアンは、野菜ジュースを一気飲みした。
「苦いですわ!!」
「ちょっと、ホウレンソウが多かったですね」
リンゴと蜂蜜の量が少なかったようだ。
しかし、美容のため。肌の調子が整うまで、野菜ジュース飲み続けたほうがいいだろう。
引き続き、野菜を送るよう実家に手紙を書くことに決めた。
水分を絞った野菜は、十分栄養が残っている。
リュシアンは鍋に野菜とミルクを入れ、トロトロになるまでじっくり煮込む。
粉末キノコとニンニク、香辛料を入れ、最後に塩コショウで味を調えたら、栄養たっぷり野菜のポタージュの完成だ。
「わあ、おいしそうにできましたね!」
「ロザリー、あなたが召し上がって」
「いやいや、お嬢様特製のスープなんて、口にできないですよお」
「でも、野菜がもったいないから作っただけで、自分で食べるものではありませんもの」
リュシアンは野菜ジュースでお腹いっぱいになってしまったのだ。
「だったら、アランブール卿に差し入れしたらどうですか?」
「え!?」
「この時間、小腹が空きますし、きっと喜びますよ」
「そう、でしょうか?」
「ええ!」
スープはロザリーに味見をしてもらい、絶品であるという感想をもらった。
ならば、差し入れをしようか。リュシアンは決意を固める。
スープを深皿に装い、クラッカーを数枚添える。
「ポタージュをクラッカーに絡ませて食べるの、おいしいですよね!」
「ええ。わたくしも、そう思いますわ」
あとは、コンスタンタンにスープを持って行くだけだ。
「あ、わたくし、お化粧をしていませんでしたわ」
「暗い中なので、バレないですよ」
「それも、そうね。渡して、すぐに帰ればいいですし」
そんなわけで、リュシアンはコンスタンタンにスープを持って行くことにした。
コツ、コツ、コツという足音が、妙に大きく感じる。
リュシアンはドキドキしながら、コンスタンタンの部屋に足を運んだ。
部屋からは、灯りが漏れていた。まだ、起きているようだ。
扉を叩くと、すぐに返事があった。
「誰だ?」
「リュシアンです」
部屋の中から、何か落下するような音が聞こえる。
タイミングが悪かったのか。
「あの、あとにしたほうが、よろしいですか?」
「いいや、大丈夫だ」
扉はすぐに開かれる。
コンスタンタンの部屋の中は明るかったので、リュシアンは頭巾を深く被り一歩下がる。
明らかに不審な行動だったが、コンスタンタンが追及することはなかった。
「アン嬢、こんな時間にどうかしたのか?」
「あ、あの、昼間、お世話になったお礼に、スープを、持ってきましたの」
ロザリーがコンスタンタンに、スープとクラッカーの載った盆を差し出した。
「アンお嬢様特製ですよ」
「これを、アン嬢が?」
「お口に合えばいいのですが」
「感謝する」
コンスタンタンが受け取ってくれたので、ホッとした。
しばし見つめ合っていたが、廊下の壁かけ時計の鐘の音が鳴ってハッとなる。
未婚の男女が、このままでいいわけがない。そそくさと去ることにした。
「では、おやすみなさい」
「おやすみ」
リュシアンは速足で後片付けをするために厨房に戻った。




