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お嬢様は教鞭を握る

 リュシアンは、新しくやってきた王の菜園の農業従事者に基礎知識を教えるため指導する役目を任された。

 以前、子ども達へ畑仕事を教えていた実績を買われたのだ。

 コンスタンタンも同席しているので、ソワソワと落ち着かない。

 今まで、このような大役を任されたことなどなかったので、ドキドキと胸が高鳴っていた。

 子ども相手に授業をしたことはあるが、大人を相手にすることは初めてである。

 王の菜園で新しく働くことになったのは、農業経験のない若者達。リュシアンは気合を入れて、教鞭を執ることとなった。

 十五歳から二十歳くらいまでの五名の男性が、値踏みをするようにジロジロとリュシアンを見ていた。それも無理はないだろう。リュシアンは十八歳の小娘である。何かできるようには、とても見えないのだろう。リュシアンはしっかり自覚していた。

 相手の雰囲気に呑まれてはいけない。

 リュシアンは大きく息を吸い込み、深くはいた。

 そして──余裕たっぷりに見える笑みを浮かべ、話しかける。


「みなさま、ごきげんよう」


 挨拶をすると、背後から噴きだす声が聞こえた。コンスタンタンが笑ったのだ。

 集中が途切れるので、静かにしていてほしい。

 リュシアンは一度振り返り、人差し指を唇に当てコンスタンタンに大人しくするよう注意する。

 コンスタンタンはゴホンと咳ばらいし、気まずそうに会釈していた。


 気を取り直して、挨拶を再開する。


「わたくしは、フォートリエ子爵領出身の、リュシアンと申します。以後、お見知りおきを」


 それから、一人一人自己紹介を聞いて回る。

 一人は騎士隊の最終試験で落ちた少年、一人は腱鞘炎でパン屋を辞めざるをえなかった青年、一人は青果店で働いていたが独立資金を貯めるためにやってきた青年、残る二人は王都に出稼ぎにやってきた青年達。皆、年齢や事情がバラバラだ。


「皆様、農業の経験がないとのことで、基礎から学んでいただきたいと思います」

「あの~」


 一番年若い、少年が挙手する。


「なんですの?」

「農業に座学って必要なんですか?」

「あなたは、野菜がどうやってできるか、ご存じ?」

「土に種を蒔いて、水をやったらできるんでしょう?」

「いいえ、違います」

「どこが違うんっすか?」

「まず、ただの土に、種を蒔いても野菜は満足に育ちません」


 農業では土ではなく、土壌と呼ぶ。


「土壌というのは、肥えた土、作物を育てることのできる土を示します」


 農家がもっとも頭を悩ませるのは、土壌作りだ。肥料の使い方ひとつで、作物のできかたは大きく変わる。それほど、重要なことなのだ。


「わたくしは、農業は頭を使ってするものだと思っていますの。その知識を、本日みなさまに伝授いたしますわ」


 文句や意見は言わせない。

 リュシアンは完璧な笑顔を浮かべ、授業を始めることとなった。


 どっぷりと陽が沈む。

 リュシアンは頬に手を当て、本日の反省を口にした。


「アランブール卿、わたくしったら、ちょっと厳しかったでしょうか?」

「いいや、熱心な指導だった」

「でも、初日から詰め込むように教えてしまって、新しい方々が農業を嫌いになっていたら──」

「その心配はないだろう。皆、真剣に聞いていた。帰るころには、顔つきが朝と違っていたように見えた」

「だったら、よいのですが」


 農業のことになると、リュシアンは我を忘れてしまう。

 自分がフォートリエ子爵家の娘であることなど、記憶の片隅に押しやっているのだ。


「たった一日だけの講習だったが、思いのほかいろいろと知ることができた。畑に入ってカマキリを捕まえた時は驚いたが……」

「申し訳ありません。益虫えきちゅうの説明をしたくて」


 益虫というのは、人間に利益を与えてくれる虫のことを呼ぶ。

 畑では害虫を食べるカマキリにトンボ、クモ、テントウムシの他に、受粉を助けてくれるミツバチも益虫である。


「益虫は薬草を好みますの」


 薬草は害虫が嫌う。植えると益虫が増え、害虫が減るといういいこと尽くめなのだ。


「そういえば以前、野菜と薬草を共に植えるといいという話をしていたな」

「はい」


 薬草は害虫を防ぎ、野菜の生育を助けてくれる素晴らしい存在である。一緒に植えると得ばかりなのだ。


「たとえば、トマトとバジルを植えて、収穫したあとはそのままカプレーゼが作れますし」


 トマトにモッツァレラチーズとバジルを乗せ、オリーブオイルを垂らし、仕上げに黒コショウを振った前菜的料理はリュシアンの大好物である。

 カプレーゼについて考えていたら、無性に食べたくなってしまった。


「アン嬢、感謝する」

「え?」


 突然コンスタンタンから頭を下げられ、リュシアンはハッと我に返る。

 カプレーゼについて思いを馳せている場合ではなかったのだ。


「今日一日、研修を聞いていて畑に対する意識が変わった。虫が多くてもすべての虫を鬱陶しく思わず、益虫は大事にする」

「はい……」


 リュシアンは胸に手を当て、感動していた。

 コンスタンタンはいつだって、リュシアンがやることに敬意を示し、真剣に聞いてくれる。

 なんて素晴らしい男性なのかと、心から思った。


 ◇◇◇


 夕食後──父親から届いた手紙を、リュシアンは苦虫を嚙み潰したような表情で読む。


「アンお嬢様、旦那様はなんと?」

「畑の指導を頑張っているか……だったらよかったのですが」


 父親はリュシアンがきちんと社交界の付き合いをしているか、手紙で確認してきたのだ。


「まだ、旦那様に計画はお話しにならないのですよね?」

「王の菜園への正式な就職は──お父様にはとても言えませんわ」

「ですよねえ」


 リュシアンの父は、女性の幸せのすべては結婚にあると信じて疑っていない。

 この問題については、とりあえず先延ばししておく。


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