お嬢様は老夫婦を助ける
「こちらへどうぞ」
リュシアンは老夫婦を、出入りする関係者専用の通路へ誘う。
そこは煉瓦が敷かれ、半円状のアーチに蔓薔薇が絡んだ美しい通路だ。
通路はアランブール伯爵邸に直接繋がっている。
畑を横切ったらすぐに屋敷に辿り着くことは可能だが、それをしないのには理由がある。
まず、外部から来た者の靴に付着した菌が畑に広がり、そこから野菜が病気になる可能性があるのだ。
ただ、それを客人全員に説明するのは骨が折れるし、ある意味失礼となる。
そのため畑を通らずこの美しい客人専用通路へ案内し、アランブール伯爵邸まで歩いていくようにしていた。
「あ、あの、お嬢さん、その、私らは……」
「わたくしの知り合い、ということで、話を合わせていただけます?」
「よろしいのですか?」
「ええ。奥様のほうが、かなり具合が悪そうにお見受けしたので」
「ありがとうございます」
具合が悪そうにする妻は、ロザリーが支えながら歩いていた。顔色が悪く、今にも倒れそうな雰囲気だった。途中で、コンスタンタンの姿を発見する。
「あ、あそこにいるのが王の菜園を守護する騎士隊長で、アランブール伯爵家の跡取りであるコンスタンタン様ですわ」
「ああ、あちらが……」
先ほどの騎士の対応を思いだしたのか、夫のほうの表情が険しくなった。
すかさず、リュシアンは事の次第を説明した。
「ここは王の菜園で、多くの秘密がありますの。皆、さまざまなものから守るために、一生懸命で」
「ああ、そう、ですよね。勝手を申したのは、私どものほうです。図々しくも、助けを求めてしまい……」
「いいえ、困った時はお互い様ですわ」
コンスタンタンに事情を話さなければならない。リュシアンは夫婦の名を尋ねた。
「ドラン商会の、ドニ・プレーと申します」
「わたくしは、リュシアン・フォン・フォートリエと申します」
「私は、雑貨の輸入業を営んでおりまして、今は息子に代替わりをしていて地方に住んでいたのですが、そこは雪深くなるため、春になるまで王都で暮らせばいいと招かれたのです」
「そうでしたのね」
軽く挨拶を交わしたあと、リュシアンはコンスタンタンのもとへと走った。
「アランブール卿、ちょっとよろしいですか?」
「アン嬢、どうかしたのか?」
全力疾走で近づいてきたので、コンスタンタンは驚いたようだ。
息を整えながら、リュシアンは事情を説明する。
「あの、あちらのご夫婦なのですが、奥様が具合を悪くされていて……その、よかったら少しだけ休ませていただきたいのですが」
「それは、構わない。もしも辛いのであれば、一晩泊っていったほうがいい。奥方のほうは、私が運ぶ」
「ありがとうございます」
コンスタンタンは迷うことなく、滞在どころか宿泊の許可まで出してくれた。
すぐさま向かおうとするコンスタンタンの腕を、リュシアンは取る。
「あの、アランブール卿!」
「なんだ?」
「先ほど、騎士様があのご夫婦を門前払いしているところに出くわしてしまい……その、知り合いだと嘘をついて、中へ案内してしまったのです。勝手なことをしてしまい、申し訳ありません」
「いや、気にするな。病人は、無視できない。ただ、王の命令は絶対で、関係者以外立ち入り禁止の命令は破ってはいけない。だから、それは必要な嘘だっただろう」
そう言って、コンスタンタンは老夫婦のもとへ向かった。
リュシアンは胸を押さえ、コンスタンタンの背中を見つめる。
なんて優しい人なのだろうと、心をときめかせていたのだ。
◇◇◇
コンスタンタンは奥方を背負い、アランブール伯爵邸まで歩いていった。
すぐに医者を呼び、診断してもらう。ただの疲労で、大事ではなかったようだ。
「アランブール卿、ありがとうございました」
「いや、気にするな。家令は、医者を呼ぶまでもないと言っていたのだが──」
聞けば、コンスタンタンの母親は酷く病弱で、何度も医者を呼んでいたらしい。最期は医者の到着が間に合わず、苦しみながら息を引き取ってしまったようだ。
「だから、具合が悪い者を見てしまうと、つい過保護になってしまう。他人でも、人が苦しむさまは、見たくない」
「そう、でしたのね」
だからあの時、すぐさま老夫婦に手を貸してくれたのだろう。
なんと言葉をかけていいのかわからず、リュシアンは口を閉ざす。
ここで、居間から「ははは!」と、明るい笑い声が聞こえた。グレゴワールのものだった。
コンスタンタンは眉間に皺を寄せ、溜息をひとつ落とす。
「ドラン商会は、王都で有名な雑貨商らしい。両親の結婚式のさいにも、ドラン商会がさまざまな品を手配してくれたのだとか」
「まあ! ご縁のあるお方でしたのね」
ドラン商会はその昔、貴族向けの高級な商品を扱う店だったらしい。今は代替わりし、庶民向けの雑貨を売る店となっている。
グレゴワールは前商会長であるドニとは面識はなかった。しかし、当時用意してくれた品物に大変満足していた記憶があったようで、深く感謝しているようだった。
「病人がいるというのに、あのように盛り上がって……」
「暗くなっていても病気は治りませんし、明るく笑うと悪いものが吹き飛ぶという迷信もあります。もちろん、療養するかたのことを考えて、寝室では静かにしていないといけませんが」
コンスタンタンは目を見開き、驚いた顔でリュシアンを見る。
「あの、わたくし、変なことを言いました?」
「いや、違う。私と父は、その考えに至らなかったから」
病弱な母親が倒れるたびに、家は静まり返り暗い雰囲気になっていたようだ。
病人がいるから、大人しくしておいたほうがいい。そんな考えがあったので、なるべく笑顔も見せなかった。
「いつも暗い顔ばかり、見せていた気がする。なんだか、自分だけ健康なのが、悪いことのような気がして。母の記憶の中にある私は、笑顔はなかったのではと」
今さら気づいても遅い。コンスタンタンは拳を握り、無念とばかりに呟く。
「わたくしは、そう思いませんわ。お母様は、今も、アランブール卿を見守っていらっしゃると思います。だから、これからの人生で、たくさんたくさん、笑えばいいのです」
「そう、か……。そう、だな」
顔を上げたコンスタンタンは一瞬だけ泣きそうな表情を浮かべたものの、頭を振って暗い表情を払う。
「アン嬢、ありがとう。今まで、気づかなかったことに気づかせてくれて」
コンスタンタンはそう言って、晴れやかな笑顔を浮かべた。




