奥様は、突然の体調不良に戸惑う
このところ体調が悪かったリュシアンは、自身の体にある違和感を覚えていた。
そこまで働いていないのに足がむくみ、肌が荒れたり、熱っぽさや頭痛がしたり。
体調不良が重なることは初めてで、何かの病気なのではないかと不安になってしまった。
リュシアン以上に心配していたのは、コンスタンタンである。
彼は母親を病気で亡くしているので、余計に敏感になっているのだろう。
少しだけ眠ったら治る。そう思っていたのに、症状は治まらず。
医者に診せたら、ただの疲労だと言われてしまった。
しばらく働かずに、ゆっくりしておくといい。コンスタンタンはリュシアンの手を握り、噛んで含めるように言った。
こうなったら、体調がよくなるまで大人しくしているしかない。
これ以上コンスタンタンに心配をかけさせないために、リュシアンは療養することにした。
しかし、休めど休めど、体調はよくならない。
今日は、大好きなミートパイを受け付けずに、吐き出してしまった。
体調がいっこうによくならないので、苛立ちも募っていく。
病気でないと診断された以上、ゆっくり休むしかない。わかっているのに、焦ってしまう。
そんな中で、ロザリーがリュシアンにある提案をした。
母クリスティーヌを呼んだほうがいいのではないかと。
たしかに、母がいたら心強い。リュシアンやコンスタンタンの心配も、なんてことないと励ましてくれるだろう。
早速、ロザリーが手紙を送ってくれたようだ。
コンスタンタンにもクリスティーヌがやってくることについてロザリーが報告したようだが、上の空だったという。
コンスタンタンにもずいぶん心配をかけてしまった。
だが、クリスティーヌがやってきたら、コンスタンタンも元気になるだろう。
リュシアン自身もきっと、明るく振るまえるはず。
その予想は、見事に的中した。
リュシアンのもとへまっすぐやってきたクリスティーヌは、リュシアンの顔をひと目見た瞬間に思いがけないことを口にする。
「あなた、妊娠しているのでしょう。体調不良は妊娠初期に見られる、悪阻です。何も、心配いりません」
「妊娠、ですか?」
「ええ。間違いないでしょう」
「で、でも、お医者様は、体調不良だろう、って」
「妊娠の診察は、医者でも難しいと聞いたことがあります」
「そう、だったのですね」
「痩せ細って、可哀想に。リュシアン、お母様がついているので、何も心配はありませんよ」
そう言って、クリスティーヌは優しく抱きしめてくれた。
リュシアンは眦から、涙が溢れてくる。
妊娠した喜びというよりは、まず、安堵感が押し寄せてきた。
病気ではなくて、よかった……!
「母上はどうして、わたくしが妊娠しているとわかったのですか?」
「勘です」
「え?」
「ロザリーの手紙にあったあなたの体調不良が、妊娠初期の症状とよく似ていたので、そうじゃないかと思ったのです。憔悴しきっている様子を見て、ますます間違いないなと」
「そう、だったのですね」
クリスティーヌはリュシアンの背中をポンポンと叩くと、すぐに離れていった。
まだ、胸を借りていたい気分であったが、甘やかしてはくれないらしい。
「では、他の方に挨拶をしてきますね」
「はい」
ポツンとひとり残されたリュシアンは、呆然とする。
「わたくしが、妊娠?」
命が宿っているらしいお腹にそっと触れてみても、いまだ実感がない。
コンスタンタンはどう思うだろうか?
そんなことを考えていると、じわじわと喜びが浮かんでくる。
それから数分と経たずに、コンスタンタンがやってきた。
「アン!!」
「コンスタンタン様!!」
夫婦は抱き合い、新しい命の誕生を喜びあった。
なんてすばらしい日なのか。リュシアンはしみじみ思った。
◇◇◇
妊娠は喜ばしいことである。
そういう気持ちは常にあるものの、妊婦はなかなか大変であった。
まず、悪阻に悩まされ、満足に食事ができない日々が続いた。
気分転換に王の菜園に散歩に行こうとしても、引き留められてしまう。家の中にいるように命じられた。
病人のような扱いに、リュシアンはため息ばかり出てしまう。
コンスタンタンだけは、リュシアンをこっそり外に連れ出してくれた。
ただし、常にリュシアンを横抱きにしている状態であったが。
アランブール伯爵邸の裏に造られた温室に行き、コンスタンタンが手入れをしているのをリュシアンは眺める。
土の中には雑菌があるので、触れないように言われているのだ。
過保護だと思ったが、心配をかけたくないのでリュシアンは大人しくしていた。
子どもが生まれたら、一緒に温室で野菜を育てたい。
ささやかな夢を、リュシアンは胸に抱いていた。
そして、妊娠十ヶ月目――ついに臨月となる。
いつ生まれてもおかしくない状態であった。
クリスティーヌとロザリーが常に目を光らせ、若干恐ろしいとリュシアンが思うほど出産を心待ちにされていた。
妊娠四十週目。
リュシアンは無事、元気な男の子を出産した。
生まれたばかりの我が子は全身真っ赤で、顔はくしゃくしゃ。
決して可愛くない見た目なのに、心から愛らしく思った。
コンスタンタンも、リュシアンのもとにやってくる。
「アン、ありがとう……!」
「はい」
「しばし、ゆっくり休んでくれ」
クリスティーヌとロザリーが、産湯に入れてくれるようだ。
コンスタンタンがしたいと名乗り出たようだが、「子どもは繊細なのです!! 私がやりますので!!」と怒られていた。
出産を経て満身創痍なのに、リュシアンは笑ってしまう。
幸せだと、改めて思った。
生まれた子どもは、リュシアンと同じ金の髪に、コンスタンタンそっくりの精悍な顔立ちだった。
そんな子どもを見つめながら、コンスタンタンは言った。
「この子どもが大きくなったら、職業は好きに選ばせようと思う」
コンスタンタンは幼いころから、父親の背中を見て騎士になりたいと強く思った。
けれど、子どもはそうであるとは限らない。
可能性は無限大である。
大人が強制して、決めていいものではない。
そんなコンスタンタンの言葉に、リュシアンは大きく頷いた。
「元気に、すくすく育っていただけたら、わたくしにとっては、とてつもない親孝行だと思います」
「そうだな。立派に親孝行してくれると、嬉しい」
アンリ=シャルルと名付けたコンスタンタンとリュシアンの子どもは、両親の背中を見てすくすく育った。
野菜を愛するばかりではなく、騎士となり、王の菜園を守るようになるのだが――それはまた別の話である。




