ロザリーの結婚 前編
ロザリーはそれはそれは大きな悩みを抱えていた。
部屋の隅で小さくなり、はあとため息をつく。
十八歳の誕生日を迎えたばかりのロザリーに、思いがけない話が飛び込んできたのだ。
それは、貴族の養子にならないか、という打診である。
これまで、いくつか結婚話はあった。だが、貴族に養子へ、という話は初めてである。
すぐに、「よろこんで」と言えるものではなかった。
なぜならば、ロザリーは貴族とは“住む世界が違う人々”だと思っているからだ。
リュシアンに仕えるようになって、ロザリーは貴族的なふるまいやマナー、歴史について学んだ。
けれども、リュシアンのように優雅な物腰やお喋りができるわけではなかった。
貴族とは“なる”ものではなく、“生まれる”ものなのだと、ロザリーは個人的に思っている。
小さなねずみがいくら頑張ろうと、優雅な猫にはなれない。
ロザリーがいくら頑張ったところで、貴族になれるわけがないのだ。
農家の娘として生まれたロザリーは、驚くほどの出世を遂げた。
リュシアンに仕えた結果、王妃の侍女のひとりに選ばれたのだ。
けれど、それも若干の居心地の悪さを覚えている。
王の菜園にいるときはそうでもないのだが、王宮にいると針のむしろに座っているような気分になるのだ。
王妃の周囲に、ロザリーを庶民の生まれだと嘲り笑う者は一人もいなかった。
それでも、自分の居場所はここではないのでは? と思っていた。
このまま考えていても、答えはでてこないだろう。
ロザリーは勇気を出して、リュシアンに相談することにした。
するとリュシアンは、ロザリーをぎゅっと抱きしめる。自分の都合に、ロザリーを巻き込んでしまったと、ポロポロ涙を流してくれた。
これからは、王宮の仕事は同行しなくてもいい。勤務先は王の菜園に固定すると言ってくれる。
けれど、それでいいのか。ロザリーは疑問に思う。
ロザリーの喜びは、リュシアンに侍ること。
別れ別れになったら、また悩むのではないかと。
そんなロザリーに、リュシアンは新しい仕事を与えるという。
それは、新しくやってくる王の菜園の“園長”の世話係である、と。
これまで、王の菜園の運営は王宮の財務府が担っていた。
そのため、何か起きたら王宮まで足を運び、判断を仰がなければいけなかったのだ。
けれど、今後は王の菜園に本部を置き、スムーズな運営ができるようにするという。
園長は年若いので、傍付きを選ぶならば年が近いロザリーがいいのではと、コンスタンタンと話をしていたらしい。
やってきた“園長”は、思いがけない人物であった。
「よお、ロザリー! 三年ぶりか?」
チャコールグレイの髪にワインレッドの瞳を持つ、整った顔立ちの青年である。
気さくな様子で片手を挙げて挨拶してくる人物に、ロザリーは覚えがなかった。
「えーっと、どちら様でしたっけ?」
「うわ、ひでえ」
青年はロザリーの前に立ち、見下ろしてくる。
猫のようなつり上がった瞳に、サラサラの髪。にっかり微笑む笑顔を見て、ロザリーはようやくピンときた。
「あ、シルヴァンさん!?」
「そうだ」
シルヴァン――彼は王太子と婚約していた隣国の王女の身代わりとして、この国へやってきた。
王家の血を引いているものの、母親は侍女。生まれたときから塔に閉じ込められ、外の世界を知らないまま育った。
初めて外に出たのは、逃げた王女の身代わりのためという。
そんな事情があるとはつゆ知らず、ロザリーはシルヴァンをコンスタンタンの親戚と紹介され、楽しく過ごしていたのだ。
出会った当初、シルヴァンは十三歳。
それから三年が経ち、シルヴァンは十六歳となったのだ。
「立派になられていたので、わかりませんでした」
「そうか?」
「はい!」
事件のあとシルヴァンは隣国から亡命し、当時王太子だったイアサントが後見人となった。
「あれから、いろいろあって――ロザリーにも会いに行きたかったんだけれど、陛下が一人前になってから行けって言うから、ずっと会えなかったんだ」
「そうだったのですね」
当時、ロザリーはシルヴァンを弟のように可愛がっていた。
三年前だというのに、シルヴァンにそのときの面影はまったくない。
背はロザリーを追い抜き、今では見下ろすくらいだ。声だって、低くて別人のようである。体も、大人の男の人みたいにがっしりしていた。
「すっかり、お変わりになって」
「ロザリーもな」
「わ、私もですか!?」
変わったところと言えば、エプロンドレスから、リュシアンに下賜されたドレスを着て仕事をするようになった点くらいか。
そう思っていたのが、シルヴァンは思いがけないことを言う。
「なんか、きれいになった」
「きれいになった!?」
「なんで信じられないみたいな顔をするんだよ」
「だって、だって……!」
ねずみがどれだけきれいになろうとしても、ねずみであることに変わりない。他の人から見ても、感想は「ねずみ」だろう。
そう思っていたが、シルヴァンにはロザリーがきれいに見えるのだという。
突然、シルヴァンはロザリーの左手に触れ、顔を近づける。
指先に、付くか付かないかくらいの口づけが落とされた。
貴族の、挨拶である。
ロザリーは顔がジワジワ熱くなっていくのを感じていた。
それだけでもドキドキするのに、シルヴァンはさらにとんでもないことを口にしたのだ。
「結婚指輪がないから、安心した」
シルヴァンは実に嬉しそうに、にかっと微笑みながら言う。
それは、どういう意味なのか。
ロザリーは思わず頭を抱えてしまった。




