堅物騎士は、問題に対し一歩踏み出してみる
執務室にある家具は、すべて外に出された。
すべてといっても、本棚に執務机、椅子、テーブルに長椅子があるばかり。
リュシアンに、本はすべて虫干ししたほうがいいと言われた。どうやら、『熟れた体を持て余す公爵夫人』の本文が、ところどころ虫食いしていたようだ。
リュシアンは腕を捲り、カーテンを窓から外そうと手を伸ばす。しかし、位置が高く、指先が届いていなかった。跳び上がって取ろうとしたので、コンスタンタンは待ったをかける。
「アン嬢、私が外す」
「あ、ありがとうございます」
カーテンをコンスタンタンに任すと、今度は別のことをするようで小屋から飛び出していった。
「アンお嬢様、井戸はあちらにありました」
「ロザリー、ありがとう」
外から元気のいい声が聞こえる。
黒い虫が飛来した時、もうダメだと思った。しかし、リュシアンは虫を叩き落しただけでなく、ブーツの底で踏み潰した。
そこまで思いきったことができる女性を、コンスタンタンは知らない。
見た目は可憐で儚いのに、リュシアンは強かだった。
なんとも頼もしい女性だと、コンスタンタンは思う。
リュシアンはバケツを抱えて戻ってきた。
「アランブール卿、水を流すので外に待機をお願いいたしますわ」
「わかった」
侍女に掃除をさせるのではなく、リュシアンが直々にするようだ。
コンスタンタンが外に出ると、豪快に水を流していた。
そのあと、サラサラと振りかける白い粉はなんなのか。
「あれ、重曹なんですよ」
心の中の疑問が読まれたようで、ぎょっとする。隣には、リュシアンの侍女のロザリーがいた。
黒い髪に、茶色い目をした愛嬌のある娘である。口元に手を当てて微笑むリュシアンとは違い、ロザリーは白い歯を見せながらニカッと笑っていた。
「重曹は、研磨と消臭の効果があるんです」
「なるほど」
男しか出入りしていなかったので、独特の臭いが立ち込めていた。床にはこぼしたジュースや食べ物がこびりついている。
それらを、重曹が一掃するようだ。
リュシアンとロザリーはブラシでせっせと床を磨いていた。
手伝おうかと申し出たが、狭い部屋に三人もいらないと断られてしまう。
「アランブール卿は、陳情書の調査をお願いいたします」
「承知した」
そんなわけで、コンスタンタンは虫干し中の本の中から陳情書を発掘し、調査することに専念する。
綺麗に整理整頓していなかったようで、陳情書はあちらこちらから発見される。
管理していたのは、コンスタンタンの父グレゴワールだ。
真面目だが、几帳面な性格ではない。書類仕事は苦手だったのか。もう少し、どうにかならなかったのかと、脱力してしまう。
パラパラと、陳情書のページをめくった。
王の菜園は、特に大きな改革などなかったようで、ほぼ毎日「特になし」と書かれていた。
グレゴワールは王の菜園の騎士隊長を、三十歳の頃から二十五年勤めていた。
陳情については、グレゴワールに直接聞くほうが早いかもしれない。
リュシアンに一言断りを入れ、王の菜園から徒歩十分ほどのアランブール伯爵邸に戻る。
腰を痛めているグレゴワールは療養中だ。しかし、ゆっくりできない性質のようで、屋敷の中を歩き回っているという。
医者は適度な運動が必要と言っていたが、活発に歩き回るのはよくないだろう。
コンスタンタンは父親に正しい療養をと何度も言ったが、聞く耳などまったく持たなかった。
今日も、グレゴワールは体を動かしていた。その姿は厨房付近で発見される。
「おお、コンスタンタン、どうかしたのか?」
「父上のほうこそ、そこで何を?」
「ちょっとした散歩だ」
執事は二時間前に、グレゴワールは私室から出て行ったという。
ちょっとした散歩を、二時間も行っていたことになるのだ。
コンスタンタンは額に手を当て、腰の完治は遠いなと思った。
「それで、お前は何用だ?」
「父上に聞きたいことがあって……ここで聞いても?」
「もちろん。時間は無限にあるわけではないからな」
父親の、こういう話が早いところは好ましい。コンスタンタンは手短に質問した。
「王の菜園の使わなかった野菜について、何か意見したことは?」
「いや、ない。ずっと昔から、王の菜園の野菜は国王と王族の物で、それ以外の者達は口にしてはいけない決まりだ」
騎士は王命に従い、王の菜園を守ることだけをすればいいのだ。
アランブール伯爵家の騎士は、何代も何代もそうして仕事をこなしてきた。
「なぜ、そのようなことを?」
「いや、アン嬢が、野菜を捨てるのはもったいないと話していて」
「そうか。外の人から見たら、そう感じるのもおかしくないかもしれないな」
グレゴワールは、今まで疑問にも思っていなかったらしい。典型的な騎士らしく、決められた道だけを見つめて歩いてきたようだ。
「それで、お前はどうするのだ?」
「どう、とは?」
「王の菜園の野菜が捨てられることに対し改めて疑問に思い、どうするのだ」
「私は──」
王の菜園の野菜は国王の所持するものである。
しかし、だからといって食べ物を粗末にすることはよくない。
だから、新たな決意を口にした。
「無駄な野菜を、出したくない」
「そうか」
グレゴワールはそれ以上何も言わず、コンスタンタンの背中を叩く。
王の菜園の野菜の無駄を、なくしたい。
そうと決まったら、提出する書類を作らなければならなかった。
「コンスタンタン、畑に戻るのならば、茶と菓子でも持って行くといい」
掃除も一段落しているころだろう。コンスタンタンは厨房の料理人に茶と菓子の用意を頼んだ。




