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6話 始まる僕のリヴァース・ラヴ

 白の瞳の全容を見るチャンスは中々訪れなかった。歩がチャンスを探す一方で、白は歩をとある公園へと連れてきていた。

 バスで10分、歩いて5分のところにあるその公園は、白に告白? された近所の公園とはわけが違っていた。

 なんちゃらドーム数個分とかありそうな広さに加えて、アスレチックやキャンプ用の設備まで充実している大型の緑地公園だ。

 しかし白は園内の諸々をガン無視して歩き続けていた。歩もまた、過ぎ行く景色に目移りしながら白の背中を追っていく。白のペースに合わせて早足で歩きながらその背中に声をかけた。


「なんか色々あるけどいいの? あ、ほら屋台とかも出てる!」

「園内を散歩するのも悪くはないですが……目的がありますから。時間もあまりないですし」

「時間?」

「もうすぐ、夕日が落ちますから」


 そう言われて空を見上げてみれば、確かに空の色が変わりかけていた。広がる青にわずかに混ざる赤色を見つめながら、歩は白に問いかけた。


「なにがあるのさ。イベント?」

「それは着いてからのお楽しみ……ほら、もうちょっとですよ」


 そう言って、白が一度足を止めた。彼女が首を向ける先には森があり、そして一本の看板が立っている。

 この先、展望台。掠れた文字でそう書かれているぼろっちい看板の隣には、生い茂る木々に挟まれる形で一本の細い道が伸びていた。


「こんなの、この公園にあったっけ?」


 歩は首を傾げつつ、脳裏に一枚の地図を描いた。それは公園に入ったときに見かけた、公園内の案内図。確かそこには……


「ここは地図には載ってない。いわゆる隠れスポットなんですよ」

「あ、やっぱり載ってなかったよね。でもなんで?」

「数年前に一度大きくリニューアルしたんですよ、この公園。その時にどうもここが忘れ去られたらしく、それからほったらかしになってるんです。というわけで足下整備されてないので気をつけてくださいね」

「それって大丈夫なの……?」

「多少の安全性はともかく、怖い場所ではありませんよ。行き慣れてる私が保証します……ここは、お気に入りなんですよ」


 そう告げたのを最後にして、白は一足先に森の中へと歩いていく。その背を見ながら歩は呟いた。


「お気に入り……」


 彼女みたいな変人が気に入る場所って、自分みたいなパンピーからすれば怖い場所じゃないのか。そう歩は警戒したが、しかし警戒と好奇心を天秤にかけてみれば、結局は好奇心が勝ったわけで。


(白みたいな人が気に入る場所。なにがあるんだろう)


 だから歩も、森の中へと足を踏み入れた。

 そうして歩き始めた森は、実際のところ森と言うよりも山だった。登るほどにきつくなっていく斜面がこれでもかと教えてくれた。

 加えて道は白の言う通り、舗装も階段もない剥き出しの地面だった。だから歩は何度か躓きそうになったが、それでも白を追いかけることはなんとかできた。そうしているうちに、やがて道の向こうに光が見えた。胸の鼓動も足の歩みも自然と早まった。


(白ちゃんのお気に入り……ちょっと、どきどきしてきたかも)


 木々に囲まれた薄暗い世界。その最奥で輝く光の中に、白の姿が溶けていく。

 歩もそれを追いかけて、光の中へと足を踏み入れ――



「わっ……!」


 全身に風を感じた。

 光に目が眩んだ。

 歩は一瞬だけ目を閉じて、それからすぐに開いてその景色をちゃんと見た。

 先ほどまで木々に囲まれていたはずの暗い世界が、反転していた。


「すごい……」


 目の前には草原が広がっていた。

 背の高い木々ばかりが生えそろう山と違って、ここだけは視界を遮らない背の低い草ばかりが地面を覆っている。

 そしてその向こう側には、紅い街が広がっていた。いつの間にか、夕日が落ちかけていたのだ。

 蒼の空、灰色の街を呑み込む赤い光。ほんのひとときだけ生み出される別世界。ここはそんな景色を思う存分見渡せる特等席だった。


「時間がない。そう言った理由が分かりました?」


 昼と夜のわずかな隙間。夕焼けの空を背にして白が問いかけてきた。黒髪の隙間からわずかに見え隠れする瞳と共に。


「うん……」


 歩が目の前の景色に惚けながら頷くと、白は口元を緩めてそれから歩に背を向ける。そして草原の上に腰を下ろした。歩も自然とその隣に座った。ふたり一緒に街や空と向かい合う形となった。

 白は再び口を開いた。落ちゆく夕日を眺めながら。たまに吹いてくるそよ風をただ受け入れながら。


「この時間が、昼から夜へと移りゆく景色が好きなんです。誰も立ち入らない隠れスポット。ひとり静かに、夕日が落ちるまでを眺めて過ごす……それが私のお気に入り。どうです? 気に入ってもらえました?」

「うん。なんか、実は白ちゃんのお気に入りっていうからどんなものが出てくるのかとビビってたけど……本当に綺麗だ。でもいいの? 僕なんかに教えちゃって。今、ひとりがいいって……」


 歩が白の方を見て問いかけると、白もまた歩に顔を向けて答えた。


「少し迷いましたけど……あなたの心を射止めるためなら、大盤振る舞いも悪くない。そう思わせてくれるくらいには今日は楽しかったですよ」


 白の小さな口が小さな笑みを作って見せた。それとほぼ同時に彼女の口元が、その顔が紅色に染まり始めた。照れている? いや違う。夕日がどんどん落ちてきているせいだ。

 世界の全てが、そして歩自身もまた一層濃い紅色で染め上げられていく。

 だがその中で、唯一染まらないものがあった。歩の眼前に存在する真っ黒な前髪。昼も、そして夕暮れさえも訪れない絶対的な夜の空。

 しかし不意にそよ風が流れた。それは夜空にわずかな亀裂を作り、隙間から綺羅星を覗かせる。その星は、明るい茶色の瞳は明確に歩を見据えていた。


(気になる。なんでこんなに)


 胸の鼓動が加速していく。呆然と見つめていると、白が小首をかしげた。隙間から覗く瞳が楽しそうに弧を描き。


「どうです、射止められました?」

「っ……!」


 歩の心臓が飛び跳ねた。


(綺麗だ。全部、綺麗だ)


 瞳だけじゃない。いつの間にか、白そのものに歩は惹かれていた。

 夕日が色濃く浮かび上がらせる。顔を形作る綺麗な曲線も、光を返すきめ細かい肌も。やはり彼女は女性だと歩は思った。

 脳裏に元カノの姿がうっすらと過ぎった。初めての彼女で、大事にしたくて、それでもこの体のせいでフラれてしまった。歩はそんな傷心を埋めたがっていた。

 それに、白は高身長だ。性格だって大人びている。なにより、変人だ。歩が憧れるオンリーワンだ。白には、歩の憧れる要素がこれでもかと詰まっていた。

 しかもシチュエーションだって完璧だ。ふたりだけの静かな空間。夕日が彩る素晴らしい眺め。そしてなにより秘密の穴場。これ以上ないほど完璧にイカしているから――歩は気づいてしまった。


(……完全に『とっておきのデートスポットに心打たれて恋に落とされちゃう彼女』じゃんこれ!)


 なんか、1周回って気づいてしまった。

 それを皮切りに、今までやられっぱなしだった事実がぶり返してきた。歩は途端に腹立たしくなってきた。


(そうだ僕はなにを思ってた? あの目を見たがっていたはずじゃないか)


 それを忘れて流されていた自分に腹立たしくなっていた。


(こんなんだから"諦め癖"だって直らないんだ)


 歯噛みする。嫌いな自分に歯噛みする。そして歩はもう一度街を見下ろした。

 夕焼けは一層濃くなっていた。夕日の影となった街はその大半が黒く塗りつぶされていた。景色は刻一刻と移り変わっていく。これが白の好きな場所。歩だって。


(静かに眺めていたいよね。でも、だからこそ)

「……ぶっ壊さなきゃ」

「え?」


 歩の呟きは、白も確かに聞き取っていた。

 だがその場に、そして白が見てきた歩にはなにひとつそぐわない言動で、だから白は聞き返そうと。


「歩さん、今なんて――」

 

 白の声はそこで途切れた。

 そして春の風が、吹きすさぶ。とびきり大きな風だった。

 始まりを告げる春の風が、木々を激しく揺らして草花を舞い散らせる。どこからともなく流されてきた一凛の花が、草原を越えて麓の街へ落ちていく。だがそれを見送る者は誰もいない。なぜならば。


「確かに射止めるつもりではありましたが」


 ――白は歩を”見上げていた”。


「それにしたって、存外強引なところもあるんですね。あなた」


 風が収まったときにはもう、白は歩に押し倒されていた。白の上には、歩が覆いかぶさるようにまたがっていた。

 歩はとても怒っていた。眉根を寄せて、唇を引き結び、白をじっと見つめている。対する白も平然と、乱れた前髪の隙間から茶色の瞳を光らせて歩を見据えている。


「その瞳にはずっとペースを奪われていたけど、もう」


 もう奪われない。歩は腹をくくっていた。だから堂々と言い放った。


「女同士だし問題ない。最初に言ったのはキミでしょう?」


 そう言って、それから歩はいきなり白の前髪へと手を伸ばした。理由はひとつ。その髪を払って、瞳の全てを見るために。

 上から下へと手が落ちる。白との距離をゆっくりと詰めながら、ふと気づいた。


(そういえば、やっと目線で勝てたな)


 身長差があった。見上げてばかりで、引っ張られてばかりだった……しかしこうなってしまえば、身長もなにもない。むしろ今は自分の方が上にいるのだ。そんな幾ばくかのカタルシスと共に、歩は白の前髪に触れ――


「え?」


 る、その瞬間。


 歩の世界が反転リヴァースした。


 景色がギュンと回った。

 ドサリと体が草原に投げ出された。

 無理矢理仰向けに寝かされた。

 視界は空を見上げていた。

 夕方の終わり、夜の始まり。赤くて暗い空が見えて、しかしにゅわっとなにかが空を覆いつくして、それから。


「!?」


 歩の視界の中心で、星が鮮烈に煌めいた。


 遮る夜空はそこにない。白の前髪は、彼女が歩を見下ろすことによって垂れ下がっていた。彼女の瞳が、眼の全てはもう露わになっていた。

 眼の輪郭は、アーモンドの種子のように綺麗な流線型を描いていた。

 二重まぶたが、それをくっきり浮かび上がらせた。

 そして髪の毛と同じく夜の色を湛えた細いまつ毛が、重ねてその瞳を縁取っていた……そう、瞳だ。なによりも惹かれるのが、爛々と輝く茶色の瞳孔だ。

 夕日を跳ね返し、あるいは夕日と混ざり合って、いっそ紅色にすら見えている明るい茶色。

 燃えるような光を湛えたその瞳。

 なによりも真っ直ぐで、気高く、そして本気を感じさせる光。


(どうしよう。どうしよう)


 あまりにも鮮烈に、なにかが心に刻まれた。

 歩の中でなにかが反転した。


(キミはこんな瞳で見つめてたの? こんな瞳で、僕を見つけてくれたの? こんな瞳に、認められたら)

「歩さん?」


 どこからか聞こえた誰かの声は、しかし胸の鼓動にかき消された。

 どくどくどくと、心音が何度も何度も耳を打つ。だけどそれすらも今は遠くに聞こえている。


 見えない。その瞳しか、見えない。 


「……歩さん?」


 白は、もう一度呼びかけてみた。

 ついさっき、むりやり押し倒し返した歩に対して呼びかけてみた。

 しかし彼女はぼんやりと白を見つめるばかりで、なにも返事を返してこない。その大きな目だってなにやら泣きそうなくらいに潤んでいる。

 だから白はいぶかしんで瞳を細めた。すると歩は「はわっ」と一度だけ反応して、またぼうっと白を見上げる。白はわけが分からず眉根を寄せた。今度はなにも反応がなかった。


 ――白はまだ気づいていない。彼女が押し倒して歩を見下ろしたことで、自分の髪も垂れ下がって己の瞳が露わになったその事実に。白はまだ気づいていない。自分が押し倒したことによって歩の中で始まったものに。


「好きです!」


 春は始まりの季節だ。

 たった今、"彼女"にとって、そうなった。

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