表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/31

5話 いつだって、やられっぱなし

「……臨むところ!」


 ――結果から言えば、イマイチだった。


 なにせ歩にとって馴染みの商店街なら、ご近所さんである白にとってもそれは同じなのだ。エスコートもなにも歩の案内した場所の全てを白は知っていたわけで。むしろ……


「ここの花屋、実はちょっとした隠れ名物があるんですよ」


 白の方が商店街をよく知っていた。歩の知らない場所だって知っていた。

 そんなこんなで白は歩を引っ張って、商店街の一角にある花屋へと有無を言わさず連れ込んでいく。

 いつの間にか、引っ張り引っ張られる側が反転リヴァースしていた。


(なんで、どうしてこうなった……?)


 白に連れられながら歩は困惑した。だが抵抗はできない。なぜならエスコートするためのネタが早々に尽きてしまったからだ。さすがにここで下手な意地を張ってから『連れていくところがありません』はダサ過ぎる。ゆえに歩は早々に観念して、白に主導権を明け渡す方を選んでいた。


(大丈夫。挽回のチャンスはまだあるはず……!)


 なにが大丈夫なのか。そもそもなにを挽回するのか。本人にすらよく分かっていないが意気込みだけは十分に、歩は白に連れられて花屋へと入った。


(花屋なんて、初めて入った)


 男子高校生が花屋に立ち寄る理由なんて、それこそ花が趣味でもなければ早々ないだろう。そして歩にそういう趣味はなかった。

 だからこそ……店内の隅から隅まで咲き誇る綺麗な花々は片っ端から歩の眼を惹いた。彼女にとって、そこはちょっとした異世界だった。

 歩は興味津々で、上から下へ、右から左へあちらこちらに視線を動かす。それはやがて壁際に置かれた棚と、並べられた花瓶。そして花瓶に生けられた花々へと移った。


「すごいなぁ。なんかこう見ると、一個くらい育ててみてもいいかも……あっ。これもすっごい綺麗だ……」


 そこで歩の視線を射止めたのは、一輪の白い花だった。目を惹いたのは雄大な曲線を描く六枚の花弁。その名前は、花が生けられた花瓶に記されていた。


「白百合、かぁ」


 花の名前を読み上げて、それからぼそりと呟いた。


「白、かぁ」


 歩の頭に思い浮かぶ別の白。自然と頬が緩んで、その直後にふと気づいた。

 白と百合。百合というのは、ある種の隠語らしい。そう、確か、女の子同士の――


「歩さん。外出ましょうか」

「はひぃ!?」

「? そんなに驚くことないじゃないですか」

「あ、いやべつに……で、でるの? もう?」


 歩の頬にはうっすらと朱が差している。だが白はそれに気づいてないかのように淡々と言った。


「目的は済みましたから。店内で食べるわけにもいかないですしね」

「……食べる?」


 首を傾げた歩に対して、彼女はその手に持った紙袋を掲げて見せた。

 

「言ったでしょう? 隠れた名物があるって」


 ◇■◇


 それからふたりは、花屋の店先に置かれているベンチに並んで座った。多種多様な花の香りが穏やかな空気を形作っている。そんな中で、白は歩に説明を始めた。


「菜の花、というのは知ってますよね」

「まぁそりゃ。春の花ってイメージだけど……」

「いえす。だから春になると、あの花屋では菜の花を使った手作りのクッキーが期間限定で売られているんですよ」


 そう言いつつ、白は膝に置いた紙袋から丸いクッキーを取り出した。

 食欲をそそるクリーム色の生地の中、異物のように混じった緑色の欠片が菜の花なのだろう。なにやら微妙にゲテモノっぽさがある。歩の中で興味と恐怖が同時に沸いてきた。そんな歩に向かって白が言った。


「歩さん、口を開けてください」


 クッキーに興味を惹かれていた歩は、なにも考えずについ口を開けてしまう。すると白は歩の口にいきなりクッキーを突っ込んだ。


「むぐっ」


 歩は反射的に口を閉じてしまった。思わずかみ砕いてしまったその直後、


「んっ!」


 歩は目を大きく見開いた。それから二度三度噛んで、飲み込んで。


「美味しい!」

「でしょう? 甘みの強い生地に、菜の花の淡い苦みがアクセントとしてよく効いてる。後に少しだけ残る草の香りも、春らしくて風情を感じる……気に入ってくれましたか?」

「うん!」


 歩は強く頷いた。それを見た白は膝の上にある紙袋を、隣に座る歩の膝へと移した。それでも白の膝にもまだひとつ紙袋は残っていた。


「二袋買ってますから、一袋あげます。ちょっと一休みしましょうか」

「ありがと。あ、お金返すよ」

「500円ですけど、律義ですね。奢ってもいいのですが」

「それはだーめ。ていうかむしろ、僕が奢るけど」

「私が勝手に買ったのに奢らせるのはそれこそ駄目でしょう。そういう意味じゃむしろ私が奢るべきとも言えますかね」

「そっちも律義じゃん。僕が好きで貰うんだから、せめてその分は払うよ」


 歩は笑いながら財布を取り出して、白に500円を渡した。それから紙袋を開けて、クッキーを一枚取り出した。早速口に入れて咀嚼してみれば、思わず頬が緩んでしまった。

 改めて感じる、強い甘みと淡い苦み。そして鼻孔を駆け抜ける爽やかな春の香り。


(ほんとに白の例えそのまんまだ。なんていうか、口が上手いよなぁ。それに僕の知らなかった物を知ってる……ちょっと、へこむなぁ。でもクッキーは美味しい……)


 頬を緩ませながらも、眉尻を下げてしょげた表情を作る。ある意味器用なことをしつつ、クッキーをもさもさと食べていった。

 そうして時は、ゆったりと流れていく。春の香りに加えて、気温や風もまた春らしく穏やかだ。だから、歩はもうへこんでなかった。春の心地よさに身を任せながら、クッキーをまたひとつまみ……


「あっ」


 紙袋にはもうなにも入ってない。知った途端、一気に喉が渇いてきた。クッキーに口内の水分を吸われていたことに気づいたのだ。


(自販機、どっかに置いてないかな)


 早速、飲み物を探しに行こうと席を立つ――


「麦茶で良かったですか?」


 直前に、一本のペットボトルが席に置かれた。つい視線を向ければその中身には透き通った茶色の液体が。そして外側に張り付けられたラベルには『天然ミネラル麦茶』と書かれている。

 ペットボドルを置いたのは、白だった。


(めっちゃ気も利くんだ……)


 歩は感心した。そんでもってまたへこんだ。エスコートするどころか、完全に主導権を握られている。だから……歩が財布から取り出したその150円は、彼女にとってなけなしの矜持だった。


「ありがとう……あとお金……」

「120円でしたよ。ていうかこれくらいほんといいですよ」

「むしろ僕のために受け取ってください。釣りはいらねぇ……」

「釣りってたがだか30円……まぁいいですけど、変なところで意固地ですね……」


 白になんとかお金を押し付けて、それから麦茶をラッパ飲みし始めた。まるでやけ酒でも煽るかのように、空を仰いでぐびぐびと飲む。ボトルの中身が減って、また減って、そして――


「あれ? お前、歩だよな」

 

 真正面から聞こえてきた。それは突然の声だった。白の声でも、ましてや歩の声でもない。それは凛々しいハスキーボイスだった。

 歩が上げていた顔を正面に戻すと、目の前に何者かが立っていた。歩はペットボトルを口から外してその人物に焦点を合わせる。歩と同世代らしき、その人物に。

 耳がはっきり露出するほどばっさり切られたベリーショート。線は細くも端正な顔立ち。クールな切れ長の眼に、真っ直ぐで高い鼻梁。要するに、そいつは結構なイケメンだった。

 だが……歩は動じなかった。なぜならその顔は、歩にとって特になじみ深い顔だったからだ。だから歩は目の前のイケメンに、気さくな返事を返すことができた。


「そりゃ僕は僕だよ。そんなに変かな、けい


 歩の言葉に目の前のイケメン――本名、『裏野うらの 慧』は平然と答えた。


「そりゃ変だろ。なんだその服」

「お前なー、人の服を平気で変とかなー、お前の服こそ……くそ、なにも言えない……!」


 慧の服装は、ボタンを留めてない黒のジャケットと中から覗く灰色のシャツ。そして濃い青のジーンズだ。極めてシンプルな装いではあるが、白や(着替える前の)歩と違ってずぼらな感じが微塵もないのは着こなしが成せる技か、あるいは顔面と言う才のおかげか。

 そんなイケメンの後ろから、またも別の声が飛んできた。


「えー、可愛いじゃん」

「でも小寺くん、ちゃん? どうしたの?」

「てゆーか横の人、誰?」


 イケメンは、女子連れだった。しかも3人。

 そしてこれもまた歩の見知った顔だった。なぜなら彼女たちは、歩のクラスメイトだったから。ちなみに慧のクラスメイトでもある。つまり歩と慧もまたクラスメイトであった。


(クラスメイトの女子3人を連れ立ってるイケメン……中々不埒な絵面だよなぁ)


 歩は謎の感心を覚えたが、すぐにそれを振り払ってもうひとつの問題について考える。

 すなわち……白と一緒にいるこの現状を、どう説明するべきなのか。遊びで告白されて断って、それからなし崩し的に普通に遊ぶことになった。とはなんとも説明しづらく――


「私と歩さん、どんな関係に見えます?」

「なに言ってんの!?」


 白が隣で爆弾発言をぶっこんできた。それに応えて、慧は腕を組み考える素振りを見せる。

 ついでに後ろの女子たちもざわついて、早速口々に憶測を……


『彼氏か!?』

「なんで!?」


 女ども、迷いなき満場一致であった。歩は驚愕に目を剥いた。


(女になってからまだ1か月。復学してからまだ1週間しか経ってないのに、なんだそんなに僕は彼氏ができそうに見えるのか!?)


 削れる削れる男としてのプライドが。でもこんな可愛い服着せられて、年下の女子にいいように手玉に取られて、ぶっちゃけ今更ではないだろうか。歩がちょっぴり泣きそうになった時、


「そっか。キミが噂の『白ちゃん』か」


 そう言ったのは慧だった。「歩から話は聞いてるよ」そう告げてからさらに語る。


「前髪が長くて変わった性格の中学二年生。そんでもって……女子なんだろ? 年上をからかうその気概は個人的に嫌いじゃない。だからって褒めもしないがな」


 慧はそう言いつつも、本気で咎める様子は見せない。余裕を一切崩さずに、白を真っ直ぐ見つめている。白もまた、慧から視線を逸らすことはなかった。

 ちなみに、慧を取り巻く女子たちが「彼氏じゃないのかー」「じゃただの友達か」「そっか残念だなぁ」と口々に言い合ったりそれに歩が「ははは……」と乾いた笑いを浮かべたりもしていたが、まぁそれはそれとして、白は慧に言葉を返した。


「さすが、やはり聞いてましたか。――歩さんの幼馴染なだけあって」

(……あれ? ぼく、白ちゃんに慧のこと話したっけ?)


 歩が内心で疑問を持つ一方、慧が白の言葉に動じることはない。それどころか、にやりと笑って自慢げに言い放った。


「おう、10年の付き合いは伊達じゃないぜ。こいつのことなら、こいつ以上に知っているさ」


 それはさすがにねーよ。歩はそうツッコミを入れようとしたが、その前に白が口を開いていた。


「なるほど。幼馴染にして親友ということですか。これは手強い……」


 そう言いつつも、白の口調はなにひとつ変わっていない。それどころか平然と、スーパー爆弾発言で返してきた。


「ま、私が女でもそれが恋人じゃないという証拠にはなりませんがね。それとも同性愛は苦手なタイプですか?」


 白の言葉に、慧の後ろの女子たちが再び色めき立った。キャーキャーワーワーと姦しい声に、歩は慌てて否定しようと口を……

 

「それはないな」


 開けない。歩に先んじて、慧が否定の言葉を発していたからだ。歩が口を挟めないまま、話は進んでいく。


「それはない? それは恋人の話ですか、同性愛の話ですか」

「前者の方な。しっかし話に聞いてた通りの変人……ってか、いい根性してるなキミ。そういうやつは嫌いじゃないが、俺を騙すには相方が悪いな。もし本当に恋人なら、歩の反応を見れば一発だ。残念だがこいつはそういうやつなんだよ」

「ふむ。さすが幼馴染で親友なだけあって、歩さんのことを分かってらっしゃる。あなたの目から見てもそういう人なら、本当にそういう人なんですねこの人」


 歩は、さすがに堪らず口を挟んだ。今度はようやく挟むことができた。


「ねぇねぇねぇねぇふたりとも? さっきからぼくのこと馬鹿にしてない? もしかして裏で組んでる?」

「「馬鹿にしてないし、組んでもない」です」

「やっぱり組んでるじゃないかバーカバーカ!」

「歩さん。人間、日頃の行いがイメージを形作るんですよ」 

「つまりお前が単調過ぎるってこったな。反省しろよ」

「仲良いなーもー! なんだよもー!」


 ぷりぷり怒って抗議する歩だが、慧はそれを見て満足そうに笑みを深めた。そして、


「じゃ、俺たちそろそろ行くわ。ふたりもデート、楽しめよ」


 慧はベンチを離れて歩き出す。その背に向けて、白と歩がそれぞれ言葉を投げかけた。


「わざわざどうも。そちらも良き休日を」

「だーかーらー、デートじゃないってのー」


 慧はふたりの言葉に返事をする代わりに、歩きながらひらひらと手を振った。その背に取り巻きの女子たちも付いていく。慧たちの背が遠くに離れるのを見送りながら、白が歩に話しかけた。


「確かにかっこいいですね。顔だけじゃなく、立ち振る舞いにも余裕があって」

「え。白ちゃん、ああいうのが好みなの?」

「誰もそこまで言ってませんが。むしろあなたが最初に言ったんじゃないですか、かっこいいって」

「そうだっけ? まぁ自慢の幼馴染ではあるけどさ……あ。ていうか」


 幼馴染の話ついでに、歩は先ほど抱いた疑問について尋ねてみた。


「白ちゃんに慧のこと話したっけ? 幼馴染がいる、くらいは話したっぽいけど……」


 慧とは、白のことを話すほどの仲ではある。だが白とは、慧のことを話すほど親しくなかったはず。そう思いながら歩は首を傾げたが、白はこともなげに答えて見せた。


「およそなんとなく、ですよ。……あなたたちのやり取りがとても親し気だったから」

「それだけで分かるものなの? ていうかそんな親しかった? べたべたしてるつもりもないんだけど」

「だからこそ、かもしれませんね。いずれにせよ人と人との距離感って、当人が思うより露骨に見えるものなんですよ。そうですね……例えばこれだけ様変わりしたあなたに『服が変』だなんて一言で済ませられるなら、それだけでただの知り合いとは思えなくないですか?」


 そう言いながら、白は歩に指を差す。花柄のブラウスと二重素材のシフォンスカート。歩は自身の服装へと視線を落としてから、怪訝そうに。


「……実際、変っちゃ変じゃない?」

「それもまた当人だからこそ分からないものですね。あともうひとつ付け加えるなら……元男であるあなたの幼馴染は女より男の可能性の方が高いし、ただのご近所さんを話題できる程度にはお互いのプライバシーに通ずる仲かなとも思いましたが」

「へー、よく見てるんだね」


 言いながら、重ねて思った。


(本当に、よく見てる)


 白は歩が知らないことを知っていた。歩が気づかない気遣いをしてみせた。そして、歩には見えないものが見えている。


(よく考えれば、前髪があんなんなのに)


 わざとらしく目元までを隠す前髪で、それでも白の視界は鮮明だった。ともすれば陰気に見えそうな見た目なのに。外の世界、他人との関わりを拒絶していそうな見た目なのに。

 加えて白は話すときの口調だってはっきりしてるし、年上相手でも物怖じとかしない。だったら逆に、その前髪の長さは不可思議だ。髪の向こうには"あの瞳"だって隠れているのだし。

 なんでわざわざ隠すんだろう……心の中で浮かんだ問いは、気づけば言葉になっていた。


「白ちゃんって、なんで前髪がそんなに長いの?」


 その質問に白は小さな口をわずかに開けて、そして閉じた。白からすれば出し抜けな質問だったのだろう。だが沈黙は一瞬だけで、白は再び口を開くとあっさり答えた。


「私は覗き見が好きなんですよ」

「……は?」

「だから覗き見。でもじろじろ見られるのって基本的に嫌じゃないですか」

「はぁ……」

「この前髪があれば視線を悟らせないで済みますから。例えば今こうして、歩さんの胸を見てても全然ばれないわけですよ」

「はぁ、なるほど……って、はぁ!?」


 歩の眼が丸くなる。そして自分で自分の胸に目を落とした。服の中に収まっているのは退院直前、検査のついでで測られた際にBカップと言われた乳房。


(見られてる? "そういう"目で、見られてる?)


 初めての"自覚"。じわりとなにかが上がってきた。それは例えば背筋を這い上がる悪寒だったり、腹の底から沸き上がる羞恥心だったりするが、とにもかくにも両腕はすでに動いていた。


「っ……!」


 両腕でぎゅっと、隠すように胸を抱く。すると発展途上のそれが腕に抱かれてほんのちょっぴり盛り上がった……が、それには気づかないまま白から体半分ほど距離を取って、最後に体を守るように丸めて白を睨み付けた。

 だが白はそんな視線を意にも介さずあっさり言った。


「冗談ですよ。しかしなるほど、こういう時はちゃんと胸を隠すんですね。貞操観念がしっかりしてるのはいいことです」

「ガチで身の危険を感じたら誰だってこうするってば!」

「冗談なのに。ところで男女どちらにせよ、身体的な発達に関しては性別が変わり切って退院した辺りからが本番だと聞きますが……その胸も、まだ大きくなるんですか?」

「ほんとに冗談だよね! 信じていいのキミのこと!?」

「なら私の澄んだ目を見て、って前髪が邪魔でしたかははは。これは失敬」

「むっ、か……!」


 一方的にセクハラされて、一方的にからかわれた。歩はさすがに腹が立ち、こうなったらと胸をかばう両腕を外して、そこから右腕を伸ばし始めた。向かう先は、白の前髪。


「だったら、目を見せてよ」


 ずっと気になってたその瞳。黒い髪からわずかに覗く茶色の瞳。こうなったらむりやりにでも、白日の下に晒してやろうとした。しかし。


「おっと」


 歩の右手は白の眼前で、彼女の左手に絡み取られた。歩の五指の間に白の五指が入っていく。指の間に指がうずまる。手と手がぴったりとくっつく。白が口を開いた。


「覗き見が趣味だって、言ったじゃないですか。見られるのは嫌じゃないけど趣味でもないんです」


 語る間も指をわざとらしく動かして、肌と肌をこすりあわせる。女の子同士。滑らかな肌が触れ合う感触に歩はまだ慣れない。


「う、わ……」


 くすぐったくて、気持ち良くて、恥ずかしくて。だからって、ここで引くわけには行かなかったから。


「も、もし目を見せてくれたら……恋人になるのを考えてもいいけど」


 曖昧で、確約のない後払いを釣り餌にする。しかし白は動じない。


「ふーん……そんなに見たいんですか?」

「っ……!」


 見せてしまった露骨な動揺に、白の口が意地悪く歪む。歩の手と重ねた自らの手の動きを止めて、代わりに口を動かした。


「恋人になってくれたら、いくらでも見せてあげますよ」


 確約を求める前払い主義に歩は口を開けなくなってしまい、結果としてふたりは黙り合った。

 重なる手と手を境界線に、お互いじっとにらみ合う……いや、歩だけが睨んでいた。白の視線は隠されていた。


(なんか、不公平なんだけど)


見えない瞳。読めない感情。それが歩の心をささくれ立たせて……


「そういえば」


 いきなり、白が口を開いた。


「ひとつ言いたかったんですが」

「なにさ」

「白百合を見て意識するのって、さすがに発想が安直過ぎませんか?」


 ぽんと投げ出されたその言葉。

 歩はなんのことだと考えて――そして、思い出した。

 花屋の一輪。

 白の百合。


「いっ……!」


 白と、百合。


「いくらなんでも、目が良すぎる!!」


 歩の顔が一瞬で真っ赤に染まる。その隙に白は手を離してベンチから立ち上がった。それから歩に背を向けて、顔だけ回してもう一度歩を見て。


「ついてきてください。行きたい場所があるんです」


 それだけ言ってさっさと歩き出した。長い足を迷いなく動かして、速い歩みで進んでいく。歩の方には振り返らない。まるで歩が追ってくるのを確信しているかのようだった。


「ちょ、ちょっと待ってよー!」


 そして歩は白を追った。


「くっそあんちくしょうめ……!」


 歩は歯噛みして、白を見据える。白よりも短い足をせわしなく動かして早足で追いかける。

 そんな歩の頭の中に、リードするとかされるとか、そういう物はもうなかった。

 

(絶対に、あの髪の向こうを見てやる)

 

 そんな意地だけが、やられっぱなしな彼女を動かしている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ