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3話 僕と鏡と服と、僕?

 鏡に映る自分は、性別がぼやけている。

 歩は毎日毎回鏡を見るたびにそう思い、思うたびになんとも言えないモヤモヤを募らせていた。

 それは今、自分の部屋の大鏡を前にしているこの瞬間だって例外ではない。

 自分の目が、あるいは真正面の鏡に映る目が困ったように眉尻を下げて、視線を上から下へと動かしていく。向かい合う体を他人事のように観察していく。

 まずは頭頂部。茶色のショートヘアーは2か月ほど前に安い床屋で適当に切ってもらったものだ。それからすぐ反転病に罹ってあーだこーだあったため、ろくな手入れをしていない。ざっくばらんに切られて雑に伸びっぱなしなその髪は、それこそ道端に生えっぱなしの雑草のようにもっさりしてだらしなかった。

 その下には特に自慢できない童顔がくっついている。一重のまぶたは丸くてぽってり。黒い瞳は平々凡々。鼻は低いし、唇だって幼子のようにぷっくりしてる。元々精悍とは言えない顔つきだったが、女になってからそこら辺が余計に悪化した気がする。

 顔の下には体がある。全長150㎝の小さな体は、その体が男だったときに着ていた服を身につけていた。当時よりも一回り小さくなった体で、無理やり身につけていた。

 謎英語のロゴ入りTシャツは肩が若干見える程度にずり落ちている。どこのダサいラッパーだこれ。ズボンだって、裾をまくってベルトをきつく締めればなんとか履ける程度のサイズ差がある。……ここからなにをどうしたらかっこよくなれるのか、歩にはなにひとつ分からなかった。

 つまるところ、大人への階段をおもいきり踏み外して転げ落ちたダサい少年がそこにいた。あるいは単にクソだらしないだけの少女がそこにいた。歩はがっくしと首を落とした。

 

「無理なもんは無理だよね……無理、なら、仕方ない!」

 

 歩は秒で立ち直った。自分ごときには世の中どうしようもないことの方が多いのだ。こういうときは悩んでいても仕方ない。それが短い人生の中で得た数少ない教訓のひとつだった。 


 それから歩は髪を適当に櫛で整えて、財布とスマホだけをポケットに詰め込んで家を出た。外出に選んだ靴は真新しいスニーカー。退院祝いに買ってもらったものだから、これだけはサイズがぴったりだった。

 そんなスニーカーで地面を踏みしめて、約束させられた集合場所、日登商店街へと歩みを進める。商店街までは徒歩10分。そう長くない道のりを歩きながら、歩は呟いた。


「結局流されちゃったなぁ……」


 考えるとすぐ不甲斐なさで頭がむぎゅっとなるが、しかし約束してしまった物はしょうがないのだ。歩は再び開き直った。遊べるだけ遊んでしまおう。その方が楽しいには違いない。

 実のところ、白とこうして遊ぶのは初めてだからそういう意味でも楽しみだ。それに思春期の男子(男子ではない)にとって、女の子と遊ぶというのはそれだけで勝手に浮かれてしまうものだ。


(あんだけ断っといて、なんて心弱いんだろう僕)


 自責の念に駆られつつも、実はちゃっかりデート……もとい遊びのプランまで考えてきてあった。なにせ子供の頃から通いなれた商店街だ。遊べるスポットはそれなりに知ってるつもりだ。それに……


 ――実は歩には、ちょっとした欲望があった。


 ここでかっこよくリードできれば、いっそ遊びとか言えなくなるくらいに惚れてもらえるのではないのか。もし、もしそうなればこっちとしては本当に恋人同士になるのも、やぶさかではないのだ……なんてしょーもない妄想をしているうちに、待ち合わせ場所である商店街はもう目の前に迫っていた。


 商店街の前に到着すると、白はすでに立っていた。彼女は歩が声をかける前にその存在に気づくと、片手を上げて先に声をかけてきた。


「おはようございます、歩さん」

「おはよう、白ちゃん」


 返事を返しながら、歩は白の服装を観察する。

 シンプルなTシャツとジーンズ。極めて飾り気のない服装で歩と同じく中性的でもあったが、背が高いというだけで歩よりもよほどよく似合っていた。


(やっぱ背が高いってずるい……って、横のふたりは?)


 歩は気づいた。白の隣に女子がいる。女子と一目で分かるふたりが立っている。そのうちのひとりがいきなり声を掛けてきた。


「あなたが白ちゃんの言ってた歩さん? なるほどなるほど~へぇ~」


 そう言ってじろじろと眺めてくるのは、歩よりもさらに幼い童顔を持つ少女だった。

 その童顔に違わず、彼女の装いは全体的に可愛らしかった。髪は長い茶髪を後頭部でお団子に纏めているし、着ているのはフリルの付いたピンクのワンピース。


(なんていうか、めっちゃ女の子だ)


 歩は見たままの感想を抱いた。そんな矢先、もうひとりの女子も声を掛けてきた。


「わっ、すみませんこの子がじろじろと。こら叶枝、初対面なんだしもうちょっと……」


 二人目の女子はそう言って最初の女子を叱りつけるが、歩はむしろそこに割って入った。


「あ、いいよいいよ。我ながら変なのは分かってるし……」

「って本人も言ってるし!」

「そういう問題じゃないでしょ。全くもう……」


 反省する様子を見せない最初の女子に、二人目の女子は溜息をついた。彼女はそれから改めて歩に向き直った。間近で見るその顔に、歩は思った。


(清楚な子だ)


 肩口まで伸びるストレートの茶髪と大人びた顔つき。最初の女子とはある種対照的なその顔が、すっと高度を下げて歩に詫びた。


「ごめんなさい。叶枝が……えっと、この子が失礼を」

「や。ほんと気にしてないから全然。頭上げて」

「ありがとうございます、優しいんですね」

「いやぁ、そんな……」


 静かに笑う少女に対して、歩はついつい照れながら思った。


(清楚な子だ。めっちゃ清楚な女の子だ)


 清楚な彼女は、それに違わずシックな配色のブラウスとスカートを上手に着こなしている。最初の、可愛らしさ全開だった女子とは対照的ではあるものの、彼女もまた女子力が高かった。

 可愛いと清楚。ふたつの女子力を見比べて……それから歩はこの場で(自分を除いて)最も女子力が低い白に尋ねた。


「で、結局この子たちは誰なの? 白ちゃん」

「中学のクラスメイトで友達ですよ。ここで会ったのは偶然ですが、話してるうちにふたりが歩さんを紹介してほしいと仰りまして。というわけで……お団子頭の方が叶枝かなえさんで、ストレートの方が美鳥みとりさんです」

「いえーいどうもお団子頭の大外おおぞと 叶枝でーす!」

「白、髪型で判別しないでよ……えっと、美鳥です。二風ふたかぜ 美鳥。白からお話は聞いてます、よろしくお願いします」

「よろしく。僕は小立 歩。えっと、僕が女子歴1か月とか、そういう話は白ちゃんから聞いてる?」

「はい。なんか、あの、そんな大変な時期に白が変なこと言い出したみたいで……友人として申し訳ないです……」

「変なことって……あ、告白の。そこら辺も聞いてるんだ。美鳥ちゃんが気にする必要はないけど、でもありがとね。うう、なんかこの体になって初めてまともに心配された気がするよ……」


 どこぞの、いきなりスカート覗いて告白してきた変人の変態とは大違いだ。

 美鳥のあまりにも真っ当で誠実な対応に歩が感動していると、無粋にも変人の変態が横から口をはさんできた。

 

「お互い自己紹介も済んだことですし、さっさと行きますか」

「白ちゃん? 行くってどこに?」

「ああ、それは……」

 

 首を傾げた歩に美鳥が答えようとして。

 

「どーん!」

「わっ」

 

 言葉通りにどーん! と勢いよく、叶枝が美鳥に突っ込んできた。彼女はそのまま美鳥の腕にぶらさがるように抱き着いて、それから歩に説明を始めた。

 

「さっき白ちゃんと話してたんですけどぉ。折角だし商店街の古着屋で可愛い服でも買おうって。思った通り、服が全然可愛くないし!」

「服が、可愛くない……?」

 

 そう言われた歩が真っ先に想い至ったのは、この中で(歩を除いて)最も女子力の低い白だった。今の彼女は確かにあまりに色気がない。

 

(ちゃんと着飾った白ちゃん……どうなるのか予想できないけどちょっと、いや結構見てみたいかも!)


 そう考えているうちに、いつの間にか中学生三人は歩へと視線を注いでいた。あとは自分の返事待ちらしかった。


「うん、いいね。行こう!」

 

 歩は即断即決して、それから商店街の古着屋へと――




 ――歩は、鏡の前で立ち尽くしていた。古着屋の一角に設置された、全身が映る大鏡を前にして立ち尽くしていた。

 鏡の前にはひとりの女の子が映っている。そう、彼女は女の子としか言いようがなかった。歩は思わず顔を引きつらせる。女の子もまた、顔を引きつらせた。

 それから歩は視線を上から下へと降ろしていく。鏡の中の女の子もまた、その視線を上から下へと下ろしていく。まるで歩を観察するように……。


 まずは頭頂部。茶色のショートヘアーは(興が乗った店員のサービスで)丁寧に櫛を入れられて、すっかり整えられていた。さらにアクセントとして右耳の上には一個のヘアピンが留められていた。桜の花弁を模した、春らしいヘアピンだった。

 そしてその髪の下にある顔には……さすがになにも手を加えられていない。だが髪が変わっただけで、単に幼いだけだったはずの顔も随分と映えるようになった。無論、可愛げという方向で。

 あるいは着ている衣装のおかげというのもあるだろう。彼女の着ているブラウスは、色とりどりの花を模した刺繍によって、春らしい華やかさと明るさに彩られていた。

 さらにその下、白のロングスカートは二重になっていた。色の付いた下地の上を、薄く透き通った生地が覆っている。二重の素材が賑やかしく、それでいて透ける表面が繊細性を醸し出す。いわくシフォンスカートというらしい。それは歩が今まで知らなかった単語だった。

 そんなわけでかつての名残が残っているのは、もはや足下のスニーカーのみだった。とはいえそのスニーカーは買ったばかり。履きつぶした安物ならともかく、新品特有の立派な光沢を持つそれは全体的に明るく軽快なファッションとなにやらすっかり調和していたわけで。


(……あんまりにも、おんなのこだ)


 上から下まで見下ろして、それから再び下から上へと視線を上げる。女の子の、引きつった顔が映っている。

 歩はありのままの感情を口にした。鏡の中の女の子と共に。

 

「か、かわ、いい~……?」


 すると後ろに立つオーディエンス……白と愉快な仲間たちから、口々に称賛の言葉が送られた。


「かーわいーいよー!」

「あの、すごく可愛いですよ」

「似合ってるじゃないですか、歩さん」

「うぇ~~~~?」


 歩は引きつった顔のまま三人に向かって振り返る。彼女はにんともかんとも言い難い心地を感じていた。

 例えば鏡に映る女の子が他人だとしたら、遠慮なく可愛いと言えるかもしれない。客観的な自分がそう考える一方で、主観的な自分が悲鳴を上げていた。


(なーにこれぇ。駄コラかなぁ?)


 女の子の体の上、可愛すぎる服の上に自分の顔が乗っかっている。

 歩の顔は実のところ、男時代とさほど造りが変わっていない。女になった当初はその事実に軽く安堵したところだが、今は真逆でいっそ大きく変わってくれれば、あるいは化粧とかで顔を変えていれば自画自賛のひとつもできたかもしれないのにとへこんでいた。

 なぜなら歩にとって、自分の顔と言うのはまだ”男の顔”という認識だったから。たとえ童顔気味であろうと約16年もの間、この顔を男として扱ってきたのだ。だが今の体はあまりにも女の子で有り過ぎる。それが歩の中に一種の乖離を引き起こしていた。

 まるでどこかの怖い話よろしく女の子の首だけを自分と挿げ替えたような、あるいは観光名所の顔だけくり抜いた看板に自分の顔を突っ込んだような、そんなシュールな光景を歩は見ていた。多大な違和感に正気度が削られて、立っているだけでしんどくなってくる。マジの女性物がここまで厳しいとは、思いもよらなかった。


(女性物なんて制服で多少は慣れてると思ったけど……あの地味な制服とはやっぱりわけが違う!) 


 歩の高校のセーラー服はとてもシンプルで、昔ながらで、地味だ。だからぶっちゃけ女子からの評判はよろしくないのだけど、歩にとってそれはひとつの幸運だったことを彼女は今知った。

 そう。アレは学校の制服ならしょうがないと妥協できる程度には”可愛くない”セーラー服だった。だから『似合わない女装だけど、まぁこんなもんか』程度で済んだ。

 だがこの服は駄目だ! 歩は激しく後悔した。文字通りの後の祭り、なにがどうしてこうなった? 

 

(なんで”あのとき”に気づかなかったんだ、僕は。みんな完全に、僕を見ていたのに!)

 

 結局のところ、歩が古着屋に行くことを決めてしまった。その時点で話は終わっていたのだった。

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