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彼女のエピローグ いつだって、やられっぱなしだ

 白の部屋は、とても淡泊だった。豪奢な本棚がひとつ置かれているがそれだけだった。

 だが最近、ほんのちょっぴり、華やかになった。

 それは例えば壁に付けられたコルクボードとそこに貼られている"ふたり"で撮った沢山の写真だったり、例えば勉強机の椅子に掛けられた黒のジャンパーだったり。

 例えば……現在進行形でゆっくりとコーヒーをドリップしている、洒落たデザインのコーヒーメーカーだったり。

 

「私は二匹の三毛猫になりたかったんです。この絵本で旅を続けた、恋人同士の三毛猫に」


 コーヒーの香ばしい匂いが静かに漂う部屋の中心で、白はゆっくりと語り続けた。

 それを要約すると……いわく彼女は自分の空想した世界に憧れたらしい。そしてその特別な世界に近づくには、特別な人や関係性を知らなきゃいけない。幼い彼女はそう思い、それが回りに回って歩と恋人ごっこを行うきっかけになったのである。

 そんな話を、歩は聞いていた……白に膝枕をしてあげながら。

 白が語り終えたのを見計らって、歩がそっと白の頭をなでると、白はその瞳を気持ち良さげに細めた。それは歩の目にもはっきりと見えている。

 そう、白の瞳が露わになっているのだ。なぜなら彼女の前髪には髪留めが付いていたから。髪留めの頭には赤、橙、青、紫……虹の光をその身に湛える硝子の宝石が付けられている。

 これは余談だが、白はこの髪留めを歩の前でしか付けたことがない。

 それはそうと、歩は白にひとつ尋ねた。

 

「それで、キミはその二匹に近づけたの?」

「半々ですね。近づけたといえばそうだし、遠のいたとも言えるかも……結局のところ私は私でしかないんです。だからあの二匹にはなれないし、なれなくてもいい」

 

 白はそう言って、膝の上から歩を見上げた。白の視線の先で、"すずしろ"を模した硝子の髪留めがきらりと光る。白は微笑んで、それを見た歩もまたくすりと微笑んだ。

 実のところ、白が今言った言葉の意味を歩はよく分かっていない。白の夢はきっと白自身にしかその全てを理解できないのだろう。それこそ白が言った通り、白も歩も自分自身にしかなれないのだろう。だけど歩の笑みは崩れない。

 

(まぁ、白が楽しそうならそれでいいよね)

 

 だけどすぐにあることを思い出してしまい、表情を少しだけ曇らせてしまった。

 

「キミが小説を描いていたのって、つまるところ昔の夢がきっかけなんだよね。それじゃあもう小説は描かないの?」

「それはそれ、これはこれ。むしろ今だから意欲が湧いてくる部分もありますしね」

「そっか……良かった」

「零距離には届かないからこそ、少しでも近づきたい。それこそ、歩さんが私の想像を超えているから私はあなたに惚れたわけですが、それはそれとしてあなたのことはなんでも知りたいですし。あなただって似たようなところあるでしょう?」

「うーん、まぁ分からないから知りたいってのは道理に叶ってるかなぁ。……変態さんの行動なんかも、全然予測できないし」

「なんのことやらさっぱり……まぁアレですよ。私は私が思ってたよりもずっとわがままだったんです。どうやら『描けないから描かない』なんて割り切れない性分みたい」

「そうだね、確かにわがままだ。……次なにか描き上げたら、最初は僕に見せてよ?」

「あなたも結構わがままじゃないですか。でもいいですよ、楽しみにしてください」

「……うん!」


 それは心からの頷きだった。

 今の白が描いた小説はどんなものになるだろう、なんて歩には想像すらつかない。だがひとつだけ確信できることもある。


(僕の知らない白が、また見れるんだ)


 それは幼い白が描いた絵本のように、あるいは少し前の彼女が描いた小説のように。

 だから、いつかの未来がとても楽しみで……


「あっ」


 そうだそうだったそういえば。

 

(今日の目的を忘れてた。小説描き続けるって分かったんだから、"アレ"渡さなきゃ!)

「白、ちょっとそこどいて?」

「えー」

「えーじゃない。ほら早く」

「うわあー」

 

 歩はクソ甘えな彼女を膝の上から無理矢理どかして立ち上がった。それから部屋の隅に置いてあるカバンを両手で抱えて持つと、すぐに戻って白の隣に腰を下ろした。

 

「白にプレゼントがあるんだ」

「プレゼント? 私が忘れてるだけで、今日は私の誕生日だったりします? それとも付き合って1年目の記念日……もまだちょっと早くないですか?」

「あはは。どっちも違うけどさ、こういうのは早めにあげた方がいいかなって」

 

 そう言って、カバンを床にでんっと置く。両手で抱えられるほどの大きさ。丸々太ったカバンに手を突っ込んで、中身をずるりと引き出す。するとカバンがへにゃっと萎んで、"それ"が姿を現した。

 歩の隣から覗き込んだ白が、驚きに目を見開く。


「これって……」


 それは長方形の箱だった。某パソコンメーカーのロゴが表面に大きく描かれており、その下には型番も記載されている。なんの型番? 持ってきた歩はもとより、白だってその正体は知っていた。なぜならば。

 

「私が買おうと思ってたパソコンじゃないですか」

「へへっ、このためのバイトだかんね」

「……そうかそうだった思い出してきた。いつぞやパソコン見せたときのあなたのリアクション。冷静に考えればこういう前振り以外の何物でもなかったのに、なーんで気づけなかったんだろうな私」

「ちょっとぉ。もーちょい喜んでくれてもいいんじゃない?」

「そうですねぇ……」

 

 白は箱の表面を手で撫でながら、ちょっと困ったような笑みを浮かべる。それを目の前にして、歩はめっちゃ困っていた。

 

「あれっ……もしかして失敗した? 実はもう新しいパソコン買っちゃったとか? その、アクセサリとかも考えたけど、白はそういうの興味ないだろうし、こういう実用的な物の方がいいかなって……」

「私、わりとロマンチストなんですよ?」

「はぇ?」

 

 白の表情。苦笑から、苦が消えていた。

 

「幼い日に見た夢をこんな歳になるまで追いかけてきた程度には夢見がちなのに……初めての、いわゆる給料何か月分の贈り物がこれかぁ、ふふっ」

「そ、そんなぁ……」

 

 そう歩がへこんだその瞬間――景色が、一変した。

 

「え?」


 茶色の瞳。黒い髪。硝子の髪留め。小さい唇。

 歩はすぐに気づいた。自分は今、白の顔を"見上げて"いる。

 歩はすぐに気づいた。もしかしなくてもこれ、白に押し倒されているな?

 

「なぜに?」

 

 PCをプレゼントする→私ロマンチストなんですよ→へこむ→押し倒される???

 言うまでもなく、歩にとってはあまりに度し難い因果関係だったが。

 

「とても嬉しいですよ、ありがとうございます」

 

 白にとってはどうだろうか……彼女いわく、

 

「もしあなたがプレゼントをくれるなら、普通にアクセサリみたいな物を選ぶ。そう思ってました。それでも嬉しかったんでしょうけど……私の言ったことを覚えてくれてて、私のことを一途に考えてくれたプレゼント。そんなのなおさら嬉しいに決まってるじゃないですか。あなたの想いと一緒に小説を描ける。私の想いをあなたの想いに刻んでいける。正にロマンじゃないですか」

「白……」

「歩さん……」

「……で、なんで押し倒してきたの?」

「ムラっと来たので」


 極めて真っ当な因果関係だった。


「色々と台無しだぁ! もうちょっと、こういうのは、時と場合を考えて!」

 

 歩はそう叫びながらもぞもぞ抵抗するけれど、

 

(ちょっとガチで押し倒しに来てるかなこれ!?)

 

 両腕をがっつりと押さえ込まれて、全くもって抜け出せない。むしろ押さえつけてくるその力がじわじわと強まってくるのを感じて、歩はその表情を強張らせていく。対称的に、白の頬が紅潮していく。

 

「私ってわりと嗜虐的だったんですね。最近気づいたんですが」

「ま、前々からそうだったじゃん……」

「それってつまり、あなたが前から被虐的だったって自白してるようなものですよ」


 歩の顔が、あっという間に赤く染まった。


「なんだかんだでこういうの、好きでしょう?」

 

 言われるとほぼ同時、胸からぴりっと刺激が走った。思わず喉から漏れかけた声を、しかし歯を噛んでなんとか抑える。

 

「っ……!」


 だが体の震えはどうしようもなく、白の目がそれを見逃してくれるはずもなく。


「ほら、やっぱり」

  

 見透かされている。それが恥ずかしくて、腹立たしくて、だけどちゃんと見てくれているというその実感が妙に嬉しくて、そう思わされてしまうことがやっぱり悔しくて。

 

「キミだって、押し倒されるのには弱いくせに……」

「それはそれ、これはこれ。今押し倒してるのは私ですし?」

「今度は覚えてろよ、あっ!」

 

 背筋をぞくりとなぞる快楽。思わず声を上げてしまったそのときにはもう白の顔が、目がすぐそこまで近づいていて。

 

「今度って言うなら、今は?」

 

 煌めく星が、問いかけてくる。

 

(本当に、ずるい)

 

 その目は綺麗なアーモンド形をしていた。二重瞼が、そして真っ黒なまつ毛がその輪郭をくっきりと強調する。そうして切り取られた目の中で、星はいつだって煌めいている。

 

(こういうときには、雰囲気が必要だよね)

 

 歩はそっと手を伸ばした。その行く先は白の髪。真っ黒な夜空を留める硝子の髪留めをつまんで外すと、白の髪は自由を得た……いや、むしろ重力に囚われて垂れ下がった。まるで、世界を隔てる壁のように。

 

(うん、今はこっちの方がいい)

 

 白が上で歩が下。このときだけ、白の夜空はふたりと世界との間を隔ててくれる。ふたりきり。このときだけは、歩が白の瞳を本当の意味で独り占めできるのだ。

  

「キミの瞳が大好きなんだ」


 押し倒されるのは堪らなく悔しい。だけどここから見る景色は堪らなく愛おしい。

 あの日から、ずーっとそうだった。


(結局この1年、白にはろくに勝てなかったな)


 もうじき、春が始まる。

 白に告白されて、告白し返して、あれからもう1年近く経っていた。


(なんかあの頃が懐かしいや。色々と変わったよね、僕たちは)


 当時ショートカットだった髪はもう肩まで伸びている。着ている服だってあのときじゃ考えられないくらに可愛い物を選んでいる。白との関係性なんて、もはや言うまでもなくて……それでも。


(それでもなにも変わってないんだろうな。僕は何度もキミに押し倒されてきた。一目惚れしたあの日からやられっぱなしで。それに……)


 彼女は見上げたまま口にした。自分を見下ろしている最愛の彼女と向き合って。


「ここならキミの瞳を、そして本気を誰よりもはっきり見れる。僕だけの特等席だと思えば、押し倒されるのも悪くないよ」


 いつだって、自分が初恋を捧げた瞳は目の前にある。

 歩は特等席からの光景をしっかりと心に焼き付けて、それから瞳を静かに閉じた。


「だから今日は観念した。いいよ、好きにして」

 

 歩が全てを受け入れた、その向こう側で。


「っ……!」

 

 白は"耐え切れず"、目を逸らしてしまった。だって目の前には歩がいるから。安らかに瞳を閉じたその表情が。白の全てをただ黙って受け入れてくれるその姿勢が。

 

(本当に愛おしい。本当に悔しい)

 

 胸がきゅうと締まる。自分が上。歩が下。このときが特に自覚してしまうから。

 イジメればイジメるほど、マウントを取ればとるほど。


(あなたは、いつもそうだ)

 

 ――好きです!


(始めたのも)

 

 ――白のことをもっと知りたい

 

(踏み込んできたのも)

 

 ――ふざけんな

 

(ぶっ壊してきたのだって)

 

 自らの唇が、歩の唇へと勝手に引き寄せられていく。頭の片隅で自覚していても止められない、それはもはや本能だ。頭の片隅で、白は呟く。


(あなたの意地っ張りが移ったから、こんなに悔しいのかな)


 抗えず、身を委ねて、口づけを交わすこの瞬間。白は最も強く実感する。


 ――いつだって、やられっぱなしだ


 最高に嬉しくて悔しいキスを、今日もふたり一緒に重ねていく。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

およそ1年半ぶりぐらいに小説を1本描ききったわけですが、まーぶっちゃけ自分の限界に何度も悲鳴を上げさせられたわけで……しかし最後はまぁ、ちょっとくらいなにかしらをガツンとぶち破れたかな。どうだろう。ぶち破れたかどうかは、読んでくださった画面の前のあなた次第!

というわけであなたの心になにかひとつでも残ってくれればこれ幸いと願いつつ、またいつかのどこかで会える日を楽しみにしています。

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