22話 僕と俺の約束
――それは僕がまだ幼い日のことだった。
僕は泣きじゃくりながら背中を見ていた。僕の前に立つ無二の親友、慧の背中を。
寂れた公園のど真ん中で、しかし王様だか勇者だかのように堂々とした仁王立ち。それから公園の入り口に向かって叫んだ。その態度に相応しい、ピリピリするような声音で。
「また歩に手を出したら、泣かした上でさらに十発ぶん殴ってやるかんなー!」
声が飛んだその先では、近所で有名なガキ大将が取り巻きを連れて逃げていた。慧の声を聞いたあいつらはみんなしてさらにびびって、すっ転びそうになりながら公園の外へと消えていった。
そんなあいつらを、なにより慧のピンと伸びた背中を見ているうちに、僕の涙は止まっていた。僕を守ってくれたその背に向かってぼそりと呟く。
「慧はすごいなぁ……」
もう言わなくても分かると思うが、当時から僕は変わらず弱虫で……というか今よりもっと弱虫で、なんというか、ベタなガキ大将にベッタベタにイジメられるようなポジションだった。
だけど幸運なことに僕には親友が居た。強くてかっこよくて同年代の誰よりも大人びている、慧という親友が。僕はいつも慧に守ってもらっていた。僕は慧に憧れていた。実は少しだけ、悔しくもあった。
「僕も、もっと強くなれたら……」
その呟きは慧の耳に届いてしまったらしい。あいつが背後の僕へと振り返る。するとその端正な顔が僕の視界に映った。
そこら辺の男の子よりも短い髪に、王子様みたいな凛々しい顔つき。『女の子みたい』ってからかわれる僕とは全然違う。そんな慧は喋り方だって僕と違って男らしかった。
「なぁ、なんで喧嘩になったんだ? お前ちっこいんだから、腕っぷしじゃ勝てないって分かってるだろ」
慧の言う通りだった。はたから見たら僕は慧の腰巾着でしかない。だけど……
「ま、どーせあいつらから吹っ掛けてきたんだろうけど……」
「……違う」
「あ? じゃあお前から喧嘩売ったってのか、まーじで?」
僕が小さく頷くと、慧はその鋭い目を丸く開いて驚いた。その反応は当然だ。だって僕はいつも慧に守られていた弱虫だから。だけど、だからこそ……。
「だってあいつら、慧のことこっそり馬鹿にしてたんだ。自分たちが勝てないからって、あんな言い方……」
「あー、なんだっけ。陰口ってのか? 図体でかいくせに陰険なやつらだな」
「かげぐち? いんけん?」
慧は難しい言葉を知っているし、対応だって僕たちよりも随分と大人っぽい。いつも落ち着いていて、なんでもぱぱっと怪傑もとい解決しちゃって……出会ったときからずっと、僕はそんな慧に憧れている。
今だって慧は悪口を言ったあいつらのことなんて、全然気にしてないっぽかった。
「要するにせこいやつってことだよ。いいか? そういうのは逆に言えば言い返す勇気がない雑魚のやることだ。つまりその時点で負けを認めてるってことだ。ゲームで言うところの反則負け……いや、勝負すらできないやつらに構う必要なんてないんだよ」
慧の言っていることは正直半分ぐらい分からなかったけど、僕が余計なことをしたってのだけは分かった。実際、慧は怪我こそしてないみたいだけどその服には蹴られたときの足跡が、痛々しいほどくっきりと残っている。
「ごめん。僕があいつらに怒らなきゃ、慧も痛い思いしなくてすんだのに……」
僕は足跡に目を向けながら謝ったけど、やっぱり慧は慧だった。
「あー、そういう問題じゃなくてだな……てか悪い。さきにこっちを言うべきだった」
慧はそう言ってからいきなり、僕の頭をわしゃわしゃと撫でだして。
「ありがとな、ちっこいくせに俺のために怒ってくれて」
慧の快活な笑顔が目の前にあった。わしゃわしゃと髪を乱す感触を頭に感じた。なんとなく、とても苦しくなって、慧の笑顔が、急にぼやけた。
「う……うぇ……」
「な、なんだ? どうした? どっか痛いのか?」
頬を伝う涙と慧の慌てた声音で、僕は自分が泣いてることに気づいた。それを自覚すると今度はどうしようもなく悔しくなって、次から次へと涙が溢れてしまった。
「ごめん。ごめんね。ちっこいのに、勝手に言い返して、また慧に守ってもらって」
「いや、今のちっこいってのは誉め言葉だから! あーもう。俺がお前を守るなんて、いつものことだろ? なんで今日に限って……」
「いつものことだから嫌なんだ。だって、このままじゃ、大人になっても、ずっとこのままで……」
僕は悔しくてたまらなかった。だけど幼い僕はその想いをただ吐き出すことしかできなくて、だけど慧はやっぱり強くて優しくて。
「……べつに俺はいいよ。大人になっても、こうやって守ってやる」
それはまるで、テレビで見た戦隊物の超強いヒーローのような台詞だった。いや、電脳怪傑P&Cの裏番組だからあまり見たことないんだけど……それはともかく。
「僕はやだ」
「なんで……」
「僕だって、慧を守れるようになりたいよ!」
「っ!」
急に大きな声を出したからか、慧をびっくりさせてしまった。それは申し訳なかったけど、それでも言葉は止まらなかった。だって悔しくて悔しくてたまらなかったから。弱い自分が、どうしようもなく悔しかったから。
「僕だって、慧の親友なんだよ?」
「……おう」
「だから、慧の後ろにいるだけじゃヤダ」
「そっか」
「僕だって、慧が困ってたら助けたいよ……」
「……もう結構助けてもらってるんだけどなぁ」
そう言って慧は苦笑したけど、僕は慧の言っている意味が分からなかった。だって僕なんかが慧を助けられるはずない。
やっぱり慧は優しいから、こんなときまで僕を慰めようとしてくれるんだ。それが嬉しくて、それ以上に不甲斐なくて、僕は泣きじゃくりながら呟いてしまった。
「ひっく……僕も、慧みたいになりたいよ」
「俺がふたりぃ? それはちょっとやだなぁ」
「そうかなぁ……」
「うーん……じゃあいっそ、スカートでも履いてみるか?」
慧がさらっとしたその提案に、なるほどスカート……と納得しかけて。
「いやなんで!? 慧は履かないじゃん!」
思わずツッコんでしまった。涙も止まってしまった。そんな僕を見て慧はにししと悪そうな笑みを浮かべて言った。
「俺みたいになりたいんなら、ある意味真逆に走った方がいいかなーって。お前、俺よりずっと似合いそうだし」
「もー! そういうんじゃなくてぇ!」
「じゃあどういうのさ?」
「えっとね……」
考えるまでもなく、僕の頭にはひとつのアニメが浮かんでいた。
「電脳怪傑P&Cってアニメ知ってる?」
「どっかで聞いた気がすんな。いつやってんの?」
「日曜の朝8時……」
「えっ」
僕が口にした時間に慧は目を丸くした。でも僕はやっぱりねと思った。だってその時間は……
「それトリオレンジャーやってる時間じゃん。そっち見てるわ俺」
「だよねー……でも、僕はトリオレンジャーよりも好きなんだ」
同世代の男の子はみんな見ている戦隊ヒーロー物が放映されていたからだ。僕だって、数か月前にたまたまチャンネルを間違えたりしなきゃ今でもそっちを見ていたはずだ。慧すら知らないマイナーな裏番組。だけど……ううん、むしろそういうマイナーなところも含めて、僕は好きだったのかもしれない。
「んじゃあ、もしかしてトリオレンジャーよりも面白いのか?」
慧が訝しげに尋ねてきたから、僕は少し迷ってしまった。だって慧の好きな物よりも僕の好きな物の方が面白いなんて、そんな自信は僕になかった。
だけどここで否定したら、僕の憧れが嘘になってしまう気がしたから……最後には小さく頷いて、それから説明を始めた。
「あのね、普段は駄目駄目な主人公なんだけど、インターネットの世界ではすごうでのハッカー? えっと、とにかくすごい怪盗で、悪いやつからデータを盗むんだけど」
「要するに、ずっとパソコンしてるだけ?」
すごいばっさりと切られた。超自信がなくなってきた。
「いや、まぁ、そうとも言うけど……」
「あんまり面白そうじゃないな。トリオレンジャーみたいにどかーんって爆発とかすんの?」
「しないけど……お話もなんか難しくてよく分かんなくなるけど……」
「ふーん」
完全に興味なくなった感じだった。僕自身、ぶっちゃけトリオレンジャーより面白いはさすがにないかなって思ってしまった。でも……。
「それでも、かっこいいって思うんだ」
あのアニメを思い出せば、胸の中で憧れが一気に弾けて溢れ出す。僕はその想いを信じたい。
「確かに主人公はネットの相棒以外に友達いないし、あんまり褒められることもないけど……でも自分のやってることに胸を張ってる。それだけはどんなに辛くても投げ出さない」
溢れ出る憧れと一緒に、僕は慧に笑って見せた。
「勇気を貰えるんだ。僕だって弱虫でちっこくてへなちょこで馬鹿だけど……それでもいつか、そんな僕でもかっこよくなれるんじゃないかって。たったひとつでいいんだ。たったひとつ、胸が張れることがあれば挫けなくなれる。強くなれる! だからいつか、慧の隣で胸張って立てるようになるよ! 親友だもん! だからそれまで少しだけ待ってて!」
話しているうちにその気になって、僕の体にはいつの間にか変な力が漲っていた。
しかし慧はそんな僕に今日一番の驚きを見せていて、だから僕は我に返ってしまった。まるで萎んでいくゴムボールのように、漲っていた力が体からぷしゅーって抜けていく。
あの電脳怪傑P&Cと自分を同列にして自信を持つなんて、いくらなんでも調子に乗り過ぎだ。ていうかそもそもアニメの面白さを教えるはずが自分の話をしてどうするんだ僕の馬鹿!
僕は未だ驚いている慧に向かって、慌てて頭を下げた。
「ご、ごめん! 変なこと言って……」
しかし頭を上げたときには、すでに慧の様子は一変していた。
「く、くく……」
慧は表情を隠すように俯いて、肩を小刻みに震わせている。それがどういう感情を表しているのか僕には分からなくて、もしかしたら怒らせたんじゃないかと僕は怖くなって――
「うはははっ! いいなそれ、楽しみに待っててやるよ!」
びっくら仰天してしまった。尻もちまでついてしまった。それから慧を見上げるとあっちも楽しそうな顔で僕を見ていて、目が合ったらさらに大きく笑われた。
僕は気づいた。
「もしかして……馬鹿にしてるなぁ!?」
自分でも大それたことを言ったと思ったけど、人に笑われると腹が立ってしまう。そういうことだってあるんだよ!
一方で慧は笑い過ぎて目じりに涙を溜めつつもそれを拭ってから、尻もちついてる僕に向かって手を差し出した。
「馬鹿になんてしてねぇって。むしろすげーって本気で思ってる」
「にやにやしながら言うことじゃないって!」
慧の言葉に文句を言いつつ、僕は慧の手を取ることなくひとりで立ち上がる。その光景に慧はまーた笑みを深めやがった。ぐぬぬぬ……。
「やっぱり、いつか絶対強くなってやるんだから!」
「ああ――だから俺も、本気で待ってる」
「!」
僕はまたびっくりしてしまった。だって慧の表情が本当に本気のものだったから。同年代の誰よりも力強いその瞳が真っ直ぐ僕を射抜いてきて、僕の体はたちまち固まってしまった。
それでも……僕は臆するわけにはいかなかった。だって僕と慧は親友なんだから。今はまだ弱っちい僕だけど、それでもたったひとりの親友と向き合うことぐらいはできる。
慧の目を真っ直ぐに見返して、僕はそれを誓った。
「約束するよ、だから待ってて」




