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21話 ふたりきりのひとりぼっち

 ――あのときの僕は、どうしようもなく臆病だったんだと思う。最短距離で頭から突っ込んでいくのが怖かったんだ。

 そりゃあ、なにかを成し遂げるためには小さなことからコツコツと。一歩一歩をちゃんと踏みしめていくのが大事だとは思ってる。

 だけどそういうのをぶん投げなきゃいけないとき。がむしゃらに走らなきゃいけないときってのはいつかのどこかで絶対有って、だけど諦め癖の強い僕には、なにかを成し遂げたことのない僕にはそれができなかった。

 ええっと、だから、要するに……あのときの僕は、調子に乗っていたんだと思う。

 彼女の過去を暴くのは、とても楽な回り道だったから。彼女の心に土足で踏み込むのは、安い優越感に浸れたから。

 とても気楽でアンフェアで、だから僕はどうしようもなく調子に乗っていたんだ。

 ふたり一緒じゃないと駄目だって言ったのは、僕の方だったのに。



◇■◇



 冬の冷たい風が吹く。ここから見上げる広い空は片っ端から灰色の雲に覆われていて、ここから見下ろす大地は片っ端から灰色のコンクリに覆われている。


(春に初めて見たときはとても綺麗だったのに……冬ってだけでこんな寂しいんだ)


 そこはとある緑地公園の奥の奥。白いわく"隠れスポット"である広場に歩は立っていた。

 そこはかつて歩が白に一目惚れした思い出の場所でもある。ここで全てが反転して、それからふたりは始まった。


(ここで全部変わった。なにかをガツンと変えるなら、多分うってつけの場所だ)


 そう思いつつ歩は視線を動かした。その行く先は自らが肩から提げているカバンだ。その中には、白の絵本1冊だけが入っている。

 

「白、やっぱ怒るかな」

 

 怒られるほどのことをしたという自覚があったから、つい不安をこぼしてしまった。それでも。


「でも白のことだから、ちゃんと話せば分かってくれるよね」


 歩の表情は楽しそうだった。だってここから一気に前へ進める気がしていたから。

 

「昔の話とかいっぱい教えてもらって、もっと白のことを知ることができればもっと近づけて、そしたらきっと、本当の恋人に……」

 

「歩さん。お待たせしました」

 

 その声に歩が振り返ると、広場の入り口には白が立っていた。黒のトレンチコートを風になびかせながら歩の方へと歩み寄っていく。

 

(僕がこの前選んだ服だ)

 

 そんな些細なことに心を弾ませながら、歩もまた白に歩み寄った。

 

「ごめんね、急に呼び出して」

「いいですよ。そういえば最近は全然来れませんでしたね、ここ」

「そうだね……"あの日"から夏ぐらいまではちょくちょく来れたけど、それからは予定もあまり合わなくなっちゃったしね……ここ、冬だとちょっと寂しいんだね」

「私的にはこれもまた風情だと思いますが……しかし懐かしいですね。あの日はまだ春で、あなたの髪ももっと短かったり……色々変わりましたよね、私たち」


 街を眺めてほほ笑む白。彼女の長い前髪を風がかき乱して、前髪の下にある瞳をわずかに露出させる……白の瞳は、優しげに細まっていた。

 だから歩は勇気を出すことができた。


「もっと変わっていくよ」

「え?」


 歩の言葉に白が顔を向ける。彼女は髪の間から、茶色の瞳で真っ直ぐ歩を見つめてきた。しかし歩もまたそれを毅然と見つめ返しながら。


「まだまだ足りないんだ。キミと一緒に変わっていきたいから」

「なにをい……て……」

 

 白の目が大きく開く。見る見るうちに、どんどん大きく。

 その瞳には映っている。歩が差し出した1冊のスケッチブック……白の処女作である絵本が映っている。

 

「なんで、それを。だって、それ、お父さんが」

「あ、本当に怒られてくれたんだ黒斗さん……えっと、ごめんなさい。実はその黒斗さんから借りたんだ」

「なんで……」

「キミのことが知りたいから」

「っ!」

 

 その瞬間、白の視線が一気にブレた。露骨に視線が歩から逸れる。それはあまりにも分かりやすい動揺の証。歩がなにも考えず飛びついてしまうほどに、分かりやすい。

 

「勝手に見たことは本当にごめん。怒られる覚悟はしてる。だけど良かったよ。すごく良かった! とても活き活きしてて、賑やかで……」

「や、やめてください。あんなのただの子供の落書きですよ……」

「そんなことないよ! 僕にとっては大事なもの。だって白の思い出だから!」


 歩は調子に乗っていた。白がいつもよりずっと弱々しくて、思ったほど怒られもしなかったから。今なら自分の言うことがなんでも受け入れられる気がしたから。


「ねぇ、なんでこの物語を描いたの? ただの子供の落書きなら引き出しの奥に、あんな大事に仕舞わないはずだよ。この絵本からはなんていうか、情熱を感じるんだ」

「違う、私はそんなもの」

「白らしいって思ったんだ。このときの白が今の白を作ってる。それはすごい素敵なことだよ!」

「やめて。見ないで」

 

 白の声は届かない。あまりに弱々しく小さい悲鳴は今の歩に届かない。だから歩はかつてないほど、調子に乗っていた。


「この前見せてくれた小説もさ、もっと昔の白みたいにはっちゃけてもいいんじゃないかなって思うんだけど、なんであの小説を描いたの? ねぇ、知りたいよ。白のことをもっと知りたい。だからいっぱい話してよ、白のこと。そしたら僕もキミのためにもっと――」

 


「私を、見ないで!!!」

 

 

 世界が、静まり返った。

 絵本を差し出したまま、呆然と立ち尽くす歩。その周囲に、白いなにかが落ちてくる。

 灰色の空からは、いつの間にか淡雪が降り始めていた。ただ黙って降りゆく白い雪の中で、しかし。

 

「はぁっ、はっ……」

 

 白だけは、荒い吐息を立てていた。その顔は俯いている。長い前髪が表情を隠している。

 歩には分からなかった。白が突然声を荒げた理由も、これから一体どうすればいいのかも。


(とにかく、呼ばなきゃ、まずは)

「し、しろ」

 

 スパァン!

 甲高い音と共に、歩の手から絵本が消えた。ほんの少しの間を置いて、ばさりとなにかが落ちた音がした。


「な……」


 目の前には白が立っている。右手を水平にピンと伸ばして、憎々し気に歯を噛んで。前髪の隙間から覗く茶色の瞳を、刃物のように研ぎ澄まして。


「っ……!」


 息を飲み、後ずさり、それからようやく理解した。白の絵本を弾き飛ばしたのが他ならぬ白本人だったことを。

 だが歩はまだ理解していなかった。白の態度の意味を。本を弾き飛ばしたその意味を。

 彼女の頭の中が、これ以上ないほどぐちゃぐちゃになっていることを。

  

「なんで私なんですか」

 

 ぐちゃぐちゃだった。白の中はぐちゃぐちゃだった。走馬灯のように、思い出が暴れ回っていた。

 遊びで告白して、本気で告白されて、付き合って、魅力を知って、キスして、されて、口は駄目で、家に連れ込んで、小説を見せて、絵本と、二匹の猫と、変わりたくなかった、変わってしまった、嫉妬した、親友と、私の知らない表情――

 

「あなたは、私じゃなくてもいいじゃないですか!」

 

 その叫びを聞いた途端、歩の表情も一変した。見る見るうちに目を見開き、歯を噛んで、あっという間に爆発を。

 

「なんでそんなこと言うの!? 僕が知りたいのは白のことだけなのに!」

「そんなの知っている!!!」

「!?」

 

 白の大爆発が歩を呑み込んだ。知っている。歩のことを誰よりも知っているのに。

 

「あなたはそういう人だって知ってるのに! 私はこんな気持ちなんて知らなかったし、知りたくなかった!」


 白は支離滅裂だった。頭の中で暴れ回る物をただ吐き出すことしかできなくて。


「し、白。なに、いって」

「私はあなたを認められない。私は私を認められない! ただ見ているだけで良かったのに。恋を知るだけで良かったのに」

 

 白はぐちゃぐちゃにされていた。今よりももっと、ずっと前から。

 

「私の夢を、あなたがぐちゃぐちゃにしてしまった。あなたの、せいで!」

 

 全てを吐き捨て、歩に背を向けて、その場から走り去る。

 そうして白は、広場から消えた。

 そうしてたったひとり、歩は残された。


「ぼくの、せい……?」


 冬眠した空と街。音もなく降り積もる雪の中。

 掠れた声も、零れた涙も、ただ静かに溶けていく。



 ◇■◇



 ――あのときの私は、どうしようもなく臆病だったんだと思う。がんじがらめになって動けない私。どんどん近づいてくる歩さん。私は、心の底から怖がっていたんだ。

 私からも歩きださなければ本当の意味で近づくことができないって、知っていたのにできなかった。ずっと遠巻きに眺めているだけだった私には、あの二匹の三毛猫に最後まで触れられなかった私にはできなかった。

 だからこそあのときの私は、なけなしの虚勢を張っていたんだと思う。全てを暴かれるともう逃げ場がなくなってしまうから。そしたらあの人が恋をした『寿々 白』じゃいられなくなる。

 本当は知っていたのに。このまま虚勢を張り続けても"ふたり一緒"はあり得ないって。


 本当は望んでいたのに。ふたり一緒に在り続けることを、私は誰よりも望んでいたのに。

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