19話 突撃隣の親父さん!
突破口を見つけた途端、やる気と元気とおまけに謎の怒りが湧いてきた。
こなくそめ、絶対に進展させてやるからな!
と、気概だけはいっちょまえに歩はその日を迎えた。今日、ついに白の父親に会いに行くのだ。突撃隣のお父様!
そんなわけで現在、歩は『アトリエ寿々』の前に立っていた。
寿々家のすぐ隣。一見すると平凡な庭付き一戸建てにしか見えないそこだが、今は玄関前に看板が立てられ、ドアも開けっ放しにされている。その中へ入っていく人の流れを見る限り、どうもそこそこ繁盛しているらしい。
(こんな普通の住宅街で個展開くって言うからどんなもんかと思ったけど……やっぱ、有名な人なんだよな)
寿々黒斗。
寿々の父親にしてそれなりに有名な画家で、力強くも繊細。大胆かつ幻想的な作風に固定ファンも多いが……いかんせん本人が気まぐれであり、大学での講演や美術館での個展などはあまり好まない。その一方で近場の子供向けに絵画教室を開いたり、ゲリラ的に小さな個展を開催するなど風変りながら親しみやすい人物としても評されている……らしい。
そんな情報を事前に調べたときには、白に少しだけ似ているような、べつにそうでもないような。そう首を傾げたものだが、今の歩にとっては些細な問題でしかなかった。なにせ目の前にもっと大きな問題があるのだ。
(白の過去。白が僕に恋できない理由……なんでもいいんだ。ひとつくらいは掴まなきゃ)
決意とともに、アトリエ寿々へと歩き出した。人の流れに紛れ込み、やがてドアの奥へと踏み込んで。
「「あっ」」
玄関過ぎてすぐの受付で、"ふたり同時に"声を上げた。
そのひとりは歩だった。驚いた彼女の目の前には簡素な長机がsち、その上にはパンフレットやら『入場受付』の立て札やらが置かれている。そして、そんな机を挟んだ向こう側では……
「歩さん。なんでここに……」
白が座っていた。どうやら彼女が受付だったらしい。口をぽかんと開けて歩を見上げる白に対して、歩は内心で呆れた。もちろん、自分の馬鹿さ加減にである。
(そっか~いるよね~そうだよね~そういやお父さんの手伝いしてるとかって言ってたもんねぇ~!)
完全に失念していた。
人生勢いだけで軽々しく生きてるからこうなるのだバーカバーカとキレたくなったが、そんなことしても白と出くわしてしまった現状はどうにもならないわけで。
(仕方がないか……)
歩は正直に白状することを決めた。あるいは、一番大事な『白のことを探りに来た』という真実だけを隠し通すことを決めた。
「あ、あはは……なんといいますか、キミの家でこの個展のチラシを見かけて、つい……」
「しまった。そういえば置きっぱなしだった……」
「な、なんか駄目だった?」
「いや、駄目ではないですが……この時間に来たってことは父のサイン会も目当てですよね」
「うん、まぁ、せっかくだし……」
せっかくもなにも白の父に会うことが一番の目的なのだ。それを隠すことに歩は罪悪感を覚えたし、おまけに恐怖も感じていた。なにせ隠し事の下手な自分が、見抜くことの上手い白に嘘をつくのだ。
(どうかスルーしてくれますように……!)
だがそんな歩の願いすらも見透かすように、白は歩をじぃっと見つめてきた。前髪の隙間から、茶色の瞳が真っ直ぐに歩を射抜く。恋とは別の意味で歩の心臓がドキッと高鳴った。そして、まるでそれを合図にするかのように白が口を開いた。
「ひとつだけ忠告があります」
「な、なに?」
「父はおそらくあなたが歩さんであることに気づきます。なにせ私は、あなたとの関係をおよそ父に話していますから」
「そ、そうなの?」
それは歩にとって嬉しい誤算だった。わざわざ『あなたの娘さんの彼女です』などとややこしい紹介をしなくて済むのだから。
「ついでに父はあなたに興味を持ってもいます。そりゃ事が事ですからね。あの人も珍しい物は好きですし」
「そ、そうなんだ……」
これも吉報だ。向こうが興味を持ってくれてるなら話を聞くための手間が省ける……が、
「ですが」
白はその吉報に否定を被せる。吉報の逆とはすなわち。
「たとえ父がサイン会の終わったあとにあなたを連れ出そうとしても……決して、ついていかないようにお願いします」
「っ!」
ドキドキッ! 心臓が激しく高鳴った。ついでに冷や汗がぶわっと出てきた、気がした。
なにせ逆なのだ。隙を見て父親を連れ出そうとしていたのは、他ならぬ歩の方なのだ。
(見抜かれてる? 嫌がられている!?)
生きた心地がしなかった。今すぐ逃げ出したかった。絶対に気づかれていると思った、が。
「……うちの父って、基本的にアレなんですよ」
「あ、アレ?」
「とにかくだらしなくて無遠慮で馴れ馴れしくてへらへらしてて……そういうオッサンなんで、100%中150%はあなたに迷惑をかけてしまいますから。身内としては正直、あまり会わせたくなかったというか、だから今日のことも黙っておきたかったというか……」
「あ、あは。あはははは……」
ここで歩はようやく理解した。
(これは、つまり、白なりの反抗期……?)
年頃の娘は父親のことを嫌いがちというが、これもその一環なのだろうか。
(白にもそういうところがあるんだ……)
なんだか微笑ましくなって、心もすっと楽になった。
「ま、あまり長く話してると後もつかえますしこの辺にしときましょう。せっかく来たんならゆっくり見ていってくださいよ。父はともかく絵は素晴らしいものですから」
「そうするよ。それじゃあまた今度」
「ええ、また」
歩の内心を知らないであろう白が優しい微笑みを向けてくる。罪悪感が、胸にぐさりと突き刺さった。
(ごめん、白。忠告は守れそうにないよ……せめて絵はちゃんと見てくから)
胸の痛みと共に白と別れて、歩はアトリエを回り始めた。
……実際、絵はすごいものだった。芸術に鈍い歩にさえガツンと訴えかけてくる物があるのだ。そう、今この瞬間だって。
(幻想的っていうか、ワクワクしてくるっていうか……なんだろう。アレンジが超上手いのかな)
そうして感心する歩の前には、一枚の絵が飾られている。
『水彩画展』と言うだけあって水彩特有の透き通るような空気感を持って描かれているのは、ひとつの海と空だった。
絵の下部には夜のように暗い海が映っている。脈打つように波を立たせて光輝く黒銀の海の中心には白い満月が波に揺らめきながら映りこんでいる。そこだけ見れば間違いなく夜の海だ。
が、空を見上げればそこにあるのは白銀だ。雲り空の濁った白ではない。まるで雪のように輝く白銀が空一面を覆っている。そしてその中心で、一際白い太陽が輝いている。
そんな白銀と黒銀の狭間で、歩は直感した。
(これはきっと、ここじゃないどこかなんだ)
ある種の生々しさと儚さが共存した水彩。
実際にあり得る景色と、実際にあり得ない色使い。
それらを高いレベルで融合させることにより生み出されたのは、強烈な存在感を刻み込んでくる異世界だった。ここには決してないけれど、ここじゃないどこかにはきっとこの光景がある。あってほしい。見た者にそう思わせるほどの力がその絵にはあった。
「これが、白のお父さんの……」
歩の手が無意識のうちに握りこぶしを作る……と、不意に白の言葉が頭を過ぎった。
――父はともかく絵は素晴らしいものですから
白の小説も頭を過ぎった。
――私がつまらない人間であることは、私が一番知ってますから
「この絵を素晴らしい。そう言える人なのに、なんで……」
当たり前の話として、見ることと描くことは違う。
白の父がこのような絵を描くからといって、それを白がどう評したとて、白の描ける、描くべき小説というのは当人だけが決められるものだ。
そんなこと、歩だって分かっている。頭では分かっているが、それでも強烈な違和感が拭えなかった。
「知りたいよ、白」
そう呟いてから歩は自分の左腕を、そこに巻いている腕時計を見る。時刻は14時少し前。白の父のサイン会がもうすぐ始まる。歩は名残惜しさを感じつつも、絵のそばを離れてサイン会を行う部屋へと向かい――
◇■◇
(出来心。ああ、本当に少しばかりの出来心だったんですごめんなさい白! ごめんなさい神様!)
歩は両手を胸の前で組み、心の声をもって祈りを捧げていた。
本棚以外の全てが無味乾燥な白の部屋。そのど真ん中で、捧げていた。
そんな彼女の目の前には、ひとりの男が立っている。
彼は歩に背を向けて、鼻歌でも歌いながら軽快にキーボードを叩いていた。
キーボード? そうキーボードである。白の机に置かれてる、彼女のノートPCをこの男は弄っているのだ……ちなみに、持ち主の許可は一切得ていない。
歩はただ祈っていた。
(白がちゃんと難しいパスワードを設定してますように!)
その一方で、調子がいいのかあるいは苦戦の証なのかキーボードの打音はまだ止まらない。
「えーっと、生年月日は違う。家の番地も違う。自分の名前も×……お、間違えまくったおかげでヒントが出てきた。なになに『小説家』? 白の好きな小説家っていうと……アレかアレかアレかな。で、単に生年月日ではなくもうちょい捻ってデビュー作の発売日を……」
次の瞬間、白のノートPCからピロンッと電子音が一度鳴り、その画面が切り替わった。男が指を鳴らして、にかっと笑う。
「ようしビンゴだ!」
その男の顔つきは、一言で言えば年齢不詳だった。
痩せ気味の角ばった顔つきに、脱色された白い頭髪。あるいは目じりに刻まれたしわ……個々の要素だけを抜き出せば、老人のような印象を受けるかもしれない。
だが笑顔とともに見せる歯は白く綺麗で、肌もまだまだハリがあり、それになにより目が若々しい。
皿のように丸く大きい目は力強く前を見つめていて、その中に収まっている茶色の瞳はエネルギッシュな輝きに満ちている。
その瞳はしばらくの間PCの画面を見つめていた……が、すぐに顔ごと180度反転。後ろで祈っていた歩と、いきなり目を合わせてきた。
「わっ」
急に目を合わせられると、歩としてはつい驚いてしまう。なにせ彼の目が白のそれと少しだけ似ていたから。
(まぁ白の方がキリっとした形で、色ももっと明るくてかっこいいけど……じゃなくて!)
「あ、あの、やっぱやめませんか?」
歩は男にそう進言する。いい加減、罪悪感に限界が来ていた。
「これはさすがにプライバシーの侵害ですよ――黒斗さん」
「だから僕のことはおじさんとか、なんならお義父さんと呼んでくれと言ってるじゃないか」
そう。彼こそが画家であり白の父親でもある、寿々黒斗その人だ。彼は歩の進言を飄々と受け流して、しかし歩に向かってずばり核心を告げてきた。
「それにキミは白のプライバシーを知るためにここまで来たんだろう? だったら踏み込むことを恐れるべきじゃあない」
「うぐっ」
口調こそ違えど、その言葉選びは白とよく似通っていた。
(なんか、口で勝てる気がしないんだけど……)
そう思うやいなや、歩の語気が自然と弱まっていく。
「それはそうですけど、世の中なんでも程度問題と言いますか……」
「ところで『歩さん観察日記』なるフォルダを見つけたんだけど見たくない? 見たいよね?」
「えあ!? なんのつもりでそんなの作ったの白!? いや、でも、白の評価、いや、駄目です駄目やっぱ駄目! それは黒斗さんも見ないでください!」
「だからお義父さんと……まぁ将来の娘の頼みだ。ならお目当ての小説をさっさと拝見しようかね」
そうして再びノートPCを触り始めた黒斗。その背中を見つめながら、歩は再び祈りを捧げた。
(ごめんなさい白! 小説家にとって勝手に小説見られるのがどれだけ駄目なことか分かんないけど、あとでいくらでも怒られるから! こんな最低な彼女でほんとごめんなさい!)
祈りを捧げながら歩はこれまでの迂闊な言動を、そして白の忠告を無視して黒斗に着いていったことを後悔していた。
【最低な彼女の、ここまでのあらすじ!】
歩がサイン会に訪れる→(白の言ってた通り)黒斗が一目で歩のことを見抜く→(これまた白の言ってた通り)黒斗が歩とふたりで話したいと申し出る→サイン会のあと、白に知られないようこっそりと抜け出して寿々宅へ。
――ここまでは順調だったのだ。あまりにも順調すぎたのだ。だから歩は油断していた。あとはリビングで適当にお茶しながら白の昔話でも聴かせてもらうだけだと。そして実際、途中まではそんな感じだったのだ……が。
『そういえば、白の描いてる小説って黒斗さんから見てどう思います?』
『え? 白って小説描いてたのかい?』
『……え?』
この軽はずみな言動が引き金となった。
いや、歩も知識としてはあったはずなのだ。白の父親が白の小説を読んでいないということは。
なにせ……他ならぬ白自身が『自分の小説は誰にも公開していない』と言っていたのだから。
だが、まさか、
(本当に、親にさえ教えていなかったなんて!)
家族でさえも知らない秘密を教えてもらっていたという実感に歩は嬉しくなったが、しかし浮かれている場合ではなかった。
『よし、突撃我が子の創作物だ!』
『はい?』
『だから白の小説を読むんだよ。原稿はどこにある? あるいは現代っ子ならPCの中かな。さぁさぁ案内してくれたまえ!』
『え……だ、駄目ですよ! そんな、携帯を勝手に覗くような彼女とかじゃあるまいし!』
『いいや、言うほど違わないよ。だってキミは白に聞けないことを知りたいから、僕のところまで来たんだろう?』
『っ!』
歩は息を飲み、そして確信した。
この父親は白と違ってにこやかであるが、しかし確かに白の父親なのだと。飄々と、そして遠慮なく核心を突きつけてくるところとか……。
『キミは僕の知らない白を教える。その代わりに僕はキミの知らない白を教えてあげる。条件としてはイーブンだから、あとはキミ次第だ。もしキミが清廉潔白で居たいなら、ここでのんびりお茶していよう。だがもしも、踏み込む"覚悟"があるのなら……僕はキミに"白の宝物"を教えてあげられるはずだ。それを踏まえて、もう一度聞こう』
――歩ちゃん。キミが本当に欲しいものは、どこにある?




