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11話 悪い女のほんとの奥の

「ここが歩さんの部屋……」

(なんか普通だ。普通に男子の部屋って感じだ)

 

 それが白の抱いた第一印象だった。そして彼女の目の前に広がるその部屋は、確かにある種の一般性を帯びていた。

 勉強机がある。本棚がある。ゲーム機がある。ベッドがある。クローゼットがある。壁にはスポーツ用品が立て掛けられている。本棚には誰もが知っている有名漫画やJ-POPのCDなんかが並べられている。雑多ではあるが、しかしそこに突き抜けたような個性はない……


(違う)


 白は部屋へと深く踏み入った。部屋のど真ん中にひとり立ち、周囲を改めてぐるりと丁寧に見渡してみる。

 すると確かに、思い出はそこにあった。

 本棚には白から借りた小説が並んでいる。

 壁に掛けられているのはかつて歩が所属していた部活で使ってたであろうバレーボールやサッカーのユニフォーム、それに卓球のラケットだ。

 勉強机には小物入れが置かれていて、そこには白と初めて遊びデートに行った日に彼女が付けた桜の髪飾りもちゃんと入っていた。


「歩さんの部屋だ」


 白はぽつりと呟いて、それから今度はクローゼットを開け放ってみた。きっと数か月前までは男物の服が詰まっていたであろうその中は、現在すっかり女物が占拠していた。そのほとんどに見覚えが白は見覚えがある。なぜなら歩が今までデートで着ていた服――


「しーろー」


 怒り混じりの呼び声が、白の耳に届いた。振り返ればそこには服を着替えた歩が立っていた。両手で二人分のお茶とお菓子の乗ったお盆を持って、しかし顔はムスッと不機嫌だった。


「おや、お早いお着替えで」

「おや、じゃないよ。全くもう、わがままにも程度ってもんが……」

「反省してますって。この手のたばかりはやり過ぎると信用を失いますし……あなたの信用は失いたくありませんから」


 白の言葉に歩の顔がうぐぐと歪む。その表情に籠った極めて微妙な感情は白にも伝わった。だが歩はやがて、なにかを諦めたかのように溜息を吐いた。


「……白はやっぱり"たらし"だ」

(あなたがちょろすぎるだけなのでは?)


 今回は普通に素直な気持ちなのだが、勝手にたらされる歩に白はなにやら若干の心配を覚えた。


(うっかり悪い女あるいは男に捕まりそう……あ、もう捕まってるのか)


 白がそんなことを考える一方で、歩は茶菓子を準備しながら白に言った。


「……とりあえず、クローゼット閉めて。そんでこれ食べてって、そしたら今度こそ送ってくから」


 部屋の隅に立て掛けられていた折りたたみ式の丸机を引っ張り出して、その上にお茶とお菓子を並べていく。なんだかんだでそういうのをお出ししてくれる辺りが歩らしい……白は頭の片隅でそう思いつつも、その視線は茶菓子ではなく歩自身に向けていて。


「食べていく、ですか……確かに、据え膳食わぬはなんとやらってやつですね」


 視線の先には着替えたばかり。ほどよく茹で上がった少女がひとり。

 歩は白の言葉に怯えて「ひっ」と短い悲鳴を上げた。しかしすぐ気を取り直し、威勢よく目を吊り上げて口を開く。


「白のムッツリ! そういう冗談言ってると、僕だって、そのうち……」


 ごにょごにょごにょ……言葉は最後まで言葉にならなかった。

 途中で恥ずかしくなったのかその声量をどんどん落として最終的には黙ってしまい、やがてはその場にちょこんと座る。ハの字に足を開いてその間に体を落とし込む、いわゆる女の子座りだった。歩はそのまま恥ずかしそうに口を手で押さえて、またなんかごにょごにょもにょもにょ呟き始めた。

 白はそんな様子を一通り観察したのち、歩の真正面に立った。それから自らもその場に腰を下ろして。


「そのうち、ねぇ……」


 自身の顔を歩の顔に近づけてみれば、ごにょごにょと不明瞭な言葉がいくらか明確に聞き取れるようになった。


「白はいつもいつも人の気も知らないで。そりゃそんな自由なところも含めて好きなんだけど、それはそれとして僕だっていつもやられてるばっかじゃ……」


 歩は目を伏せてひとりの世界に入り込んでいる。あまりにも隙だらけだった。だから顔をもっと近づけてみる。

 鼻をひくひくと動かせば、匂いを感じ取れる。今の彼女は着替えたて。つまりシャワーの浴びたてだ。柑橘系のシャンプーの匂いを強く感じた。ある種の欲を誘うような、甘い匂いだった。


(据え膳だ)


 白の中でなにかがうずく。

 試してみたい。"恋人らしいこと"をもっと、試してみたい。


「そのうちって言うならば」


 白はそっと手を伸ばす。向かう先は、歩の首元。


――白くて、真っ直ぐで、無防備で。丸見えなのも悪くないですが


 その首元は丸見えだった。なぜなら歩は着替えていたから。白の好みに合わせて買ったばかりの、首元が緩いブラウスに着替えていたから。


――ちらちら見えるのもいいかもしれない


 白はブラウスの首元に指を掛けて、それをくいっと引っ張った。


「――え?」


 歩の声が聞こえると同時に、彼女の胸元を覗き込んだ。決して小さくない双丘を包むブラジャーが、花柄のフリルがちらりと見えて。


(あっ)


 白はふと気づいた。歩の胸囲は、付き合い始めたときよりも少なくとも一回りは成長している。絶対に柔らかい(断言)双丘。それを包み込むブラの上の地肌に狙いを定めて――白はいきなり口づけを落とした。


「ひゃっ!」


 頭上から甲高い声が降ってきた。顔を上げると見開かれた大きな瞳と目があった。その瞬間、自分の口の端が勝手に吊り上がる。それを明確に感じながらも、白はただその想いに従った。


「今からでも、大した差はないでしょう?」

「なに、言って――ひっ!?」


 短い嬌声と共に、歩がその全身を震わせた。さらに歩は二度三度、


「ひ、やぁっ」


 嬌声を上げた。

 白の耳にだって、それは届いていた。そして震えもちゃんと伝わっていた……白自身の、唇を通して。

 胸上の柔肌から、鎖骨を覆う皮膚から、そして真っ直ぐな首筋から絶えず震えは伝わってくる。

 ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ。少しずつ、キスの位置を上げていく。

 

「ひ、いっ……!」 


 唇で触れるたびに上がる嬌声をBGMにして、歩の体を這い上がるようにキスを続ける。


(まるで楽器のよう、なんていうのは悪趣味かな)


 考えながらも手は、もとい唇は止めない。首筋から頬の下にかけて、何度もキスを落としていく。ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ。


「あ、や、あぅ」


 キスを足跡代わりにして、白は肌色の大地を踏みしめる。頬を越えて耳の下へ……だが歩の髪が耳を覆い隠していた。その緩いウェーブがかかった茶色の髪をそっと指でかきわけて、彼女の耳を露わにする。そして耳の付け根を、ちろりと軽く舐めてみた。


「ひぃ!!」

(さすがに、味とかはないか。でもこの舌触りは悪くない。それに……)


 疼きだした好奇心。執拗に、何度も何度も舐めてみる。


「あ、や、やだ、やだ!」

(声が大きくなった。ここが弱いのか、それとも舐められるのが駄目なのか……)

「――白!!」


 舌が、空気を舐めていた。

 いつの間にか視界には歩の顔が映っている。歩が白の肩を掴んで引きはがしていたのだ。

 白の両肩をがっしりと掴んでいる小さな両手。ぐっと伸びた両腕。その向こうにある顔は、熟れたトマトのように真っ赤だった。涙に潤んだ瞳が白をキッと見つめていた。


(怒った? やり過ぎた?)


 咄嗟に脳裏を過ぎった心配はある意味で当たっていて、しかし外れてもいた。


「あ、あ、あ、あんまり調子乗ってると……僕だってほんっとーに容赦しないぞ!?」


 白はほんの一瞬、虚を突かれた。これも単なる意地っ張りか? それとも実は乗り気なのか? 攻守変更? 白は考える……結論はすぐに出た。


(やられてみるのも、面白そうだ)


 だから。


「いいですよ」

「えっ!?」


 驚きのあまり歩の両手が白の肩から離れる一方で、白は平然と話を続ける。


「どこからします? 口以外ならどこでもいいですが、やられたんならやり返す。あなたがそういう趣向なら……」


 白は自分の服の首元に右手の人差し指を引っかけた。白が今着ているTシャツは、年季が入っていて首元がとても緩い。だから引っ張れば簡単に伸びるし、下に向かって引っ張るだけで……


「っ!」


 歩の目がかっと開いて、その視線が一点に縫い留められた。視線の先にあるのは、白が自分で露出させた胸元だった。引っ張ったTシャツの間から、簡素な黒いブラと"谷間"が見える。小さいが、しかし確かに谷間がある。谷間を作る肉がある。


「やはり体が変わっても消えない思い入れはありますか」


 歩の視線を逆に観察しながら、白は推察する。


「数か月前まで男だった頭と体。その残滓がいくら残ってるのかは分かりませんが」


 白は不意に空いた左腕を伸ばした。そして手早く、歩が反応する前に彼女の頭を掴んでそのまま一気に、


「っ!?」


 自分の胸の真正面まで、歩の顔を引き寄せた。そして彼女の耳元で、そっと囁く。


「容赦せず、やり返してみてください」


 それから白は左手を離す。歩は押し黙っていた。数秒の逡巡……しかしやがてゆっくりと、白の胸元へと顔を下ろしていく――


(こそばゆい)


 胸からなにかが伝わってきた。

 

「ひぁっ」

 

 その声を上げたのは白ではなく、歩の方だった。だから彼女に向かって尋ねてみた。自身が歩の胸にキスしたときの感触を思い出しながら。

 

「柔らかいですか? 大きくなくとも胸は胸。最低限の感触は保証済みと思われますが」

 

 歩はなにも答えなかった。代わりに二度三度、白の胸にこそばゆさを伝えてきた。白はそれに言葉で返した。

 

「いいですよ。胸でもどこでも、あなたの好きにやってみてください」

 

 もう一度、胸にキスを落とされた。が、次は鎖骨の少し下。その次は、鎖骨と首の間のくぼみに。

 

(少しずつ、上に上がっている)

 

 そう感じたとき、ぽつりとひとつ、声が聞こえた。


「白」


 微熱を帯びたその声は、歩の物だった。しかし歩が呟いたのはその一言だけで、その口はすぐにまたキスを始めた。今度は首筋の下の方。それからさらに高度を上げて。


「白」

 

 首の側面に。


「白っ」


 顎にキスを落とす。キスと共に、白を呼ぶ声の熱も上がっていく。


「白、白っ」


 呼びながら、頬に何度もキスをしてくる。こそばゆさを何度も感じながら、白は冷静に考察していた。


(こういうのが好きなのか)


 と、不意にこそばゆさが止んだ。歩がキスを止めていたのだ。

 

「白」


 歩はぽつりと呟くと、白の顔の真正面に自分の顔を持ってきた。その幼い童顔は熱く火照っている。大きな瞳が物欲しげに白を見つめている。そして切なげに、小さく開いた唇が……白の顔に、その口に真っ直ぐ近づいてきて――


「駄目ですよ」


 すんでのところで歩の唇が押さえられた。唇を押さえる一本の指があった。それは白の人差し指だった。

 そして歩の心もまた、せき止められていた。なぜなら瞳に見据えられていたからだ。長い黒髪の隙間から、茶色の瞳が冷静に。


「これは遊びなんだから、口だけは駄目です」


 その言葉と共に、白の人差し指が歩の唇から静かに離れた。その瞬間、歩の瞳からつぅっと涙が一滴落ちた。


「白の馬鹿」


 小声で罵倒して、しかし歩は白の胸にすぐ飛び込んだ。キスのためではなく、両腕を背中に回して白の体をぎゅっと抱きしめるために。

 

「白は悪い女だ」

「知ってますよ」


 白もまた、歩と同じように両腕を相手の背中に回す。緩く抱きしめ返しながら、白は言った。


「だから、こういう悪い女に惚れるもんじゃありません」

「でも……そういうところが好き。甘やかさないから。駄目なら駄目って言ってくれるから。だからキミの言葉が好き」


 その言葉には、確かな愛おしさがこもっている。白はそう実感しながら言葉を返した。


「恋人に嘘はつかない主義なんですよ、私」

「遊びなのに?」

「遊びでも、です」


 白がそう言った途端、歩の抱きしめる力がわずかに強くなった。想いのこもった声が聞こえた。


「正直で、自由で、揺るがないキミがかっこいいから大好きなんだ。だから、悪い女のままでいいよ」


 その瞬間、白の中で"重さ"がずしりと増した……息苦しささえ、感じるほどに。


(この人は本当に本当の、恋をしているんだ)


 口が勝手に呟いていた。


「あなたは綺麗ですね」


 白の言葉を聞いた歩が白をばっと見上げた。そして視線がかち合うと、歩はゆっくりと目を細めていった。それから歩は甘えるように白の肩へと顔を乗せると、もっと深く抱きしめだした。

 一方で、白はされるがままだった。相変わらず背中に手を回したままだったが……それだけだった。


(可愛らしくて、素朴で、一途で、純粋で……)


 白は決して、今以上には強く抱きしめない。これは遊びだから、抱きしめ返さない。

 そこに嘘を付くことはない。だって遊びでも、恋人だから。そう、白は嘘をついていない。それでも……


(あなたは綺麗すぎる。まるであの日の"彼ら"のように……私が知らない物を、知っているんだ)


 それでも白は、全てを曝け出したわけではなかった。



 ――それは幼い日の思い出。

 二匹の三毛猫が居た。スケッチブックに毎日描いていた。毎日、毎日、毎日……ある日突然、二匹が去った。

 私の世界は、私の意思とは無関係に消えていた。

 でもそれは仕方のないことなのだ。だってあの二匹にとって、"愛し合っていた"二匹にとって、私は単なる背景に過ぎないのだから。それでも、だからこそ……私は、恋が知りたくなった。

 だって私は感銘を受けたのだ。私のちっぽけな世界を壊した、あの二匹の猫に。

 だから私は知りたがっている。あの二匹が抱いていた本物を、ずっと知りたがっている。 

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