10話 悪い女のDo or Die
本屋を出たあと、ショッピングモールの中をふたりは歩いていた。
歩が白の手を引っ張ってどこかへと連れていく形であり、実のところ白はその行き先を聞いていない。だが歩が内緒にしたがっているようだったし、白も白でわりと楽しみにしているのだ。
だからあえて行き先には触れず、白は歩の買った『電脳解傑P&C』の小説を話題に取り上げた。
「持ってるし、貸すって言ったのに」
「や。折角だし家に置いときたくて……白とお揃いだし」
「そういうものですか?」
「そういうものです。家帰ったら頑張って読むね!」
「だから小説は、頑張らなくていいんですって」
「じゃあ頑張らない程度に頑張る!」
「なんですかそれ。ていうか貸したやつがまだ残ってるじゃないですか」
「あ、そうだった! ごめんごめん」
「べつにいいですし、読む順番の強制もしませんが。読書は自由であるべきです」
「白らしいね。んじゃあれだ、自由に頑張る! って、ここだここ」
不意に歩が足を止めてそう言ったので、白も同じく足を止めてから歩に問いかけた。
「どこです?」
「ここ、この店!」
歩がピッと指差した先には、『新装開店セール中!』の暖簾が掛かった一軒の店があった。
店からはみ出さんばかりに飾られて売られているのは、様々な光彩を内に湛えたガラス細工のアクセサリや小物だった。
その店について歩が説明を始める。そんな彼女の瞳は、ガラスに負けじと輝いていた。
「ここさ、新しく開いた雑貨屋なんだって。ガラス細工を中心に取り扱ってて、ネットでホームページ見たら綺麗だったから一度行ってみたかったんだ。髪留めとかのアクセサリなんかも売ってるっていうしさ!」
「ふむ。なるほど」
白は着飾ることにあまり興味がない。だから本来はアクセサリというものにも惹かれない……のだが。
「……興味が湧きました」
今回ばかりは、少し事情が異なっていた。だから白は歩の提案に乗っかった。
「いいですね、行きましょう」
「やった! 可愛いのあるといいなー」
というわけでふたりは店内へと足を踏み入れて、思い思いに店内をうろつき始めた。
グラスやストラップ。人形やブローチ。歩が様々な品物にひとつずつ、しかし片っ端から興味を示していく一方で、白はどこか一点に集中することなく店内を俯瞰的に眺めていた。
しかしそんな白の視線も、不意にある一点で止まった。そして彼女は呟いた。
「綺麗……」
白は品物をそっと手に取った。それはガラス細工の多面体が付けられた髪留めだった。宝石のように幾つもの面を持つそれを掲げて店内の照明に照らしてみれば、幾つもの光を返した。
赤、橙、青、紫……虹の光をその身に湛える髪留めは、まるで……
「綺麗だね」
「歩さん」
いつの間にか、歩が隣から髪留めを覗き込んでいた。それに気づいた白は掲げていた髪留めを降ろすと、それを元の位置に置いてから言った。
「しかし置物とかならともかく髪留めでは買う気にはなりませんがね」
「え、なんで?」
「だって髪型を変えるつもりなんてありませんし」
そう言って、白はその場を離れようとしたのだが。
「もったいないよ」
「え――」
その瞬間、白の前髪になにかが挿された。
それが前髪を束ねて持ち上げ、白の瞳を露わにした。
挿されたのは、ガラスの髪留め。それを挿したのは、歩だった。彼女は笑いながら白に言った。
「こんなに綺麗なんだから、もうちょっとオシャレしてもいいんじゃ……な、い……」
「歩、さん?」
歩の言葉がなぜか徐々に尻すぼみになっていった。そのくせして、その表情は驚愕に満ちていく……
「だっ、だめ!」
歩の顔が急にぽっと赤くなった。そして彼女はガラスの髪留めをぱっと外して、それから髪留めを大事そうに両手で抱きしめつつ、息を荒げる。
「ひぃ。綺麗すぎてだめ……こ、これはキミにプレゼントしたげる! だけど、人前では、ちょっと付けないでください……!」
「はぁ、まぁいいですけど……」
(私の目のなにがそんなに良いんだろう、この人は)
白にはその価値が未だに分からない。だが、それはそれとして。
「綺麗すぎて、ねぇ……」
白は軽く辺りを見回してみる。するとふと目に留まるものがあった。それは白く着色されたガラス細工の花だった。いつぞや見た白百合とは違って小さく控えめなその花弁を見て、白は考える。
(ふむ、おしゃれと言うのも……たまには悪くないかもしれない)
思うやいなや白はそのガラスの花を手に取った。それもまた、髪留めだった。目には目を、歯には歯を。髪留めには、髪留めを。
「そうですよね。綺麗なら、オシャレしないと」
「はえ?」
歩が気づくその前に、白は手早く行動を済ませた。彼女の髪にガラスの花をそっと挿したのだ。
挿された歩はすぐそのことに気づくと、髪から花を抜いて手のひらの上に乗せた。それに視線を落として……それから、ひとつの事実に気づいた。
「これ、"すずしろ"の花?」
「お、よく気づきましたね」
「いやぁ。白のフルネームって、なんかどっかで聞いたよな……ってこの間調べてみたんだけど……うん、これも綺麗だね」
「ま、大根の花ですけどねぶっちゃけ。名づけの理由も『なんか響きがいいし覚えられやすそう』ってだけですし」
「うわぁ。なんていうかすごいねキミの親……でも、なんかキミらしくて好きだよこの花」
「大根らしい?」
「そういうことじゃないって! ほんとだよ!?」
「はいはい。ま、気に入ったんなら買ってあげますよ。そっちの髪留めのお返しです」
そんな白の提案に、しかし歩は遠慮がちに目を伏せた。
「え、それは……」
「ほう、嫌なんですか?」
「嫌、じゃないけど……」
こういうときの歩は、大体意地を張っているものだ。考えずとも白は察することができた。そして理由だって閃いていた。
「もしやあなた、ここで私にかっこよく贈り物をしたかったとか」
「ぎくっ」
「そういう意図なら、一方的に送るはずが送り合いになったら形無しかもしれませんね」
「あ、いや……そうだ! それ、自分で買うから!」
言うや否や、歩が手をぐっと伸ばしてきた……が。
「おっと」
頭ひとつ分の身長差。白が手を高く掲げてしまえば、歩にはもう打つ手がなかった。
「あ、ああ~~~」
情けない声を上げる歩に、白は口端を上げながら選択肢を与える。
「私が奢るorこれを買わない。さぁ、どっちにしますか?」
「う、うう……!」
歩にはもう、打つ手がなかった。
◇■◇
空は雨天。地には道路と水溜まり。そして左右には一軒家が立ち並ぶ。
そんな道を、ビニール傘と水玉模様の傘が並んで歩いていた。もとい、白と歩が並んで歩いていた。ガラス細工の店のロゴが描かれた袋をお互いにひとつずつ手に提げて、ふたりは帰路についているのだった。
ふたりが歩く住宅街は、もうお互いの家の近所でもある。そしてもうしばらく歩けば、まずは歩の家に到着する。それは歩も、そして白も分かっている……のだが。
「歩さん。やっぱりあなたの家の方が早く着くんだから、あとはひとりでも帰れますよ」
「だーかーらー。それとこれとは話が別って言ってるじゃない。送っていくったら送っていくんだよ!」
「しょうがない人ですね……」
白を自宅まで送っていく!
歩がそう言い張って、断固として白の申し出を聞かなかったのだ。ついでに、断固として道の車道側を譲らなかった。
(なんとも意地っ張りな人だ。そんなに意地を張られていると……ちょっと、崩してみたくなる)
そんなちょっとしたいたずら心アーンド、実は前々から気になっていた。そんなとある質問を白は歩にぶつけてみた。
「折角ですし、送ってもらうついでに歩さんの家におじゃましてもいいですか? まだ行ったことないですから」
「へー、ウチにおじゃま……え……ふへぇ!?」
喉から変な声を出し、表情を驚きに変えて、それから歩は半ば叫ぶように言った。
「だ、だ、だめだよまだ! そういうのは節度を持たなきゃ!」
「そういうのってどういうのですか? 女子が女子の家に遊びに行くだけだというのに、一体なにを想像してらっしゃるのですか? ムッツリスケベな人ですね」
「な、な、なっ。ひ、人をムッツリっていう方がもっとムッツリなんだよ!」
「ふむ、確かに」
白は歩の言葉に納得するやいなや、いきなり傘を閉じてしまった。その高い体躯が雨天の下に晒される……が、白はすぐ、歩の傘の下に潜り込むと。
ちゅっ。
「なぁ!?」
歩の頬に軽くキスをしてすぐに離れた。それから傘を掲げ直し、歩に向けてニヤリと笑って。
「私は、結構ムッツリですよ?」
「――っ!」
歩の頬から耳までを、纏めて真っ赤に染めあげた。それから彼女の変化を楽しみつつ、白は見せつけるようにぺろりと唇を舐めてから言った。
「頬にキスぐらいはたまにしてるんだし、今更おじゃまするくらいどうってことないのでは? 大体遊びで付き合ってるって見方によっては真剣なお付き合いよりも節度越えてません?」
「あああ倫理観の崩れる音!」
怪しげなツッコミをその場で叫んで、しかし歩は踏ん張ってみせた。己を奮い立たせるように、精一杯鋭い(つもりの)目つきを白に向けて宣言する。
「駄目ったら駄目! 今日は普通に送っていきます!」
「まぁ、あなたならそう言うと思ってました。しょうがないですね……」
そう言いながらも白の瞳は長い前髪の下で、"観察"のためにせわしなく動いていた。今の観察対象は自分たちの歩いている道路だ。道路には朝からの雨によってところどころに水溜まりができているが、しかし……
(これじゃあ少ない。でもたしか、この左の道路は……)
白は道路の奥に目を向けた。道路は奥で十字路に別れていた。そのまま真っ直ぐ進めば歩たちの家がある。左に進めば、白が歩に告白したあの公園がある。だがそこへ続く道路は……思い出しながら、白は提案してみた。
「歩さん、ちょっと公園に寄っていきませんか?」
「公園? いいけど、なぜに?」
「散歩に目的はいらないでしょう。強いて言うなら、あなたともっと一緒にいたいから。駄目ですか?」
「しろぉ……!」
なにやら感極まったような表情と声音。抱きしめるように両手を胸の前で組むという所作。キューン、と胸が締まる感じのオノマトペが白には見えていた。
(相変わらずちょろい人ですね)
実のところ、目的ならあった。公園ではなくそこへ続く道路にあった。
しかしそんな企みに微塵も気づかない歩は、白の思惑通りに彼女を連れて十字路を左へと曲がった。相変わらず車道側を歩きながら……実はそこまで含めて白の計算通りだとは、これっぽっちも知らないまま。
(やっぱり、こっちはかなり溜まってる)
白は内心でほくそ笑みながら、公園へと続く道路を眺める。その道路は端的に言ってかなり荒れていた。
道路のいたる所でコンクリはひび割れて土が露出している。ゆえに水溜まりは先ほどの道路よりもかなり多かった。
加えて、白は知っていた。たとえ荒れた道路でも、住宅街ゆえにわりと車の出入りが多いことを。しかもその道は車が2台すら通れない程度の狭さであり、車道と歩道の仕切りもたった一本の白線しかない。そこまでを思考に織り込んで、白はひとつの予測を立てていた。
(外れたらそれはそれで構わないけれど、もしも運よく当たれば……)
そんな心の声に呼応するように、道路の向こうから車が一台走ってきた。車体を揺らし、荒れた道路をもろともせずに走っている。地面に溜まった水を跳ね飛ばしながら、ふたりへと近づいていく。歩もそれに気づいて口を開いた。
「白、下がって」
そう言うやいなや、歩は白に背を向けた。それから傘を畳まずに下ろす。開いたまま、車道に向けて盾のように構えたのだ。そうして待ち構える彼女の前を、車が勢いよく横切った。
その瞬間、車に踏まれた水溜まりから激しく水が跳ねた……が、それは歩の傘にぶつかりバシャバシャッと音を立てるだけに留まった。
……もしも傘で防がなければ、歩は容赦なく水びだしになっていただろう。だが現実は歩が守り切って終わってしまった。
白は妥当と言えば妥当な結果を目の前にして、こっそりと落胆した。
(作戦は失敗……ま、こんなもんか)
しかしそんな内心をおくびにも見せず口からしれっと称賛を投げた。
「おお、やりますね」
声を掛けられた歩は、傘を一度閉じて白の方に向き直った。
「でしょう。へへっ」
白の称賛に気を良くしたのか、歩は自慢げな笑みを浮かべていて。
「小学校の頃に流行ってたんだ。こうして傘で防ぐゲームが――」
ビシャァァ!!
車がもう一台、猛スピードで通り過ぎていった。
「「……」」
歩は呆然と見ていた。これっぽっちも濡れていない白を見ていた。
白も呆然と見ていた。白の盾となり、上から下まで泥水で汚された歩を見ていた。
白が、ぽつりと呟いた。
「ナイスガード」
「うぇぇぇぇぇ……」
歩の顔が一瞬でげんなりとした。対して白は、むしろ心の中で満面の笑みを浮かべていた。
(まさかここまで綺麗にハマるとは。この人、こういうときは本当に美味しいな……!)
白はなんとか笑いをこらえながら、企みを次の段階へと進めるべく口を開いた。
「そんなに濡れてしまってはしょうがないですねー。シミになるといけませんし、送ってもらう前にあなたの家で着替えてもらうしかないですねー」
「本当だよ。あーもー最悪……って、白。まさか……!?」
歩がついに、白の企みに気づいたらしい。その顔に驚愕の色がみるみる広がっていく一方で、企んだ張本人は微塵も表情を変えずに「ハハハ」と棒読みで笑ってから続けて言った。
「なにを仰るのやら。偶然雨が降っていて、偶然狭い道で、偶然荒れてて、そこに偶然車が来ただけじゃないですか。いやぁ驚きました」
「わざわざこの道を選んだのはキミじゃんか! どうせキミのことだから、車が来る確率とかも考慮に入れてたんでしょ……!」
「やだなぁ私は預言者じゃないですよ。実際こんな都合良くて驚いたのはマジです。日頃の行いというのは良くしておくものですね」
「悪びれもせずに認めやがった! 悪い女だぁ!」
「元より遊びで付き合おうなんて言い出す女は悪い物ですよ。さぁさぁそうと決まればお宅訪問です」
「ちょ、ちょっと待った! 最初送ってかなくてもいいって言ったのは確か白の方だ! こうなったらしょうがない――」
「恰好だけだったんですか?」
「え˝」
白はすでに見抜いていた。長い前髪の奥に隠れている眼を研ぎ澄まして、歩の心のウィークポイントを的確に見抜いていた。あとは簡単。そのど真ん中を打ち抜くだけだ。
「恰好を付ける。それ自体は立派なことだと思いますが、しかし恰好だけのハリボテほど空虚な物もありません……それともあなたの信念は、絶対に私を送っていくという言葉はこの程度の困難で折れるものだったのですか?」
「うぐっ!」
「そうそう、ふと思い出した言葉があります――男に二言はない」
「ん゛っ!」
「まぁ少々古臭い言葉ですし、それに……今ここには女子しかいませんしね。関係ないですよね。ええ、いいですよ? 逆に私が送っていってあげましょう。こんな小さくて可愛い彼女を送っていく、そんなシチュを体験するのもやぶさかではない……」
「ちょ、ちょっと待って」
「どうかしました? 異議があるならいいですよ? そうですね、むしろ……あなたに選んでもらいましょうか」
選択を迫るその口が、つい吊り上がってしまった。ああ、顔には出すまいと思っていたのに。
(今更だけど、私って思ってたよりも悪趣味なんだ)
思いながらも反省はしない。白は自らの思うがまま、歩に選択肢を与えた。
「送るor送られる?」
与えられたその瞬間、歩の表情がうぐぐと歪んだ。苦渋に満ちた彼女の瞳には、ふたつのものが見えていた。
ひとつは選択肢。選択の余地のない、実質的な一本道。
もうひとつは茶色の瞳だ。前髪の隙間から覗く、憎たらしいぐらいに楽しげな瞳だ。
(くっそ意外と表情豊かだなこの子……!)
腹立たしいことこの上ないが、歩にもう打つ手は残されていなかった。
「わ……」
ただ諦めて、空に向かって叫ぶ程度の自由しか、残されていなかった。
「悪い女ぁ!!」




