三十四話 全てが終わり、始まる
「…さん!…わさん!…美和さん!」
何度も私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
ゆっくりと目を開けると、佳弥さんが私の体を揺すっていた。
「…佳弥さん?」
かすれた声で言った。
起き上がるとそこは、水篠家だった。
あの、美子さんの日記の前。
目の前にいる佳弥さんはいつもと違う格好をしていた。
紺色の袴に大きななぎなたを持っていた。
それに、外からはたくさんの銃声と金属音。
「この音…。それに、そんな格好してどうしたんですか?」
私が聞くと、佳弥さんは下を向いた。
「美和さんがどこかへ消えてしまってから、紗雪さんと藍子が車で帰ってきて、その車を追ってきたネーヴェがこの美子さまの日記を奪い取りに来たのです。今は、水篠家の屋敷の表で、向かい合わせで戦っています。」
外の音は、戦いの音みたいだ。
佳弥さんは私の足元の日記を見た。
「その日記は、ネーヴェさんのものでも、美子さまのものでもありませんね?それは誰も見つけることのできなかった最後の一冊。さらに、もう見てきたんですね?」
佳弥さんは私を真っ直ぐ見つめた。
怒られるかと思った。
「ありがとうございます。壊してくれて。」
私の予想は外れて、佳弥さんは優しい笑顔で言った。
「良かったんですか?佳弥さんは、秘密を知りたかったんじゃ…。」
「いいえ。私が望んでいた事はこの戦いが終わることです。立場上、戦っているそぶりを見せないと、この水篠家は崩壊してしまいます。私を批判する者が出てくるから。」
佳弥さんは目をつぶって言った。
「あと一冊。この美子さまの日記をどう壊すか…。」
また、記憶の中に行って、三人だけの思い出だったものを私が知るのは、何か違うと思う。どうすればいいのだろう。
「そういえば、紗雪は!?」
「紗雪さんは、水篠家の者たちとともにネーヴェに立ち向かっています。」
「ありがとうございます。佳弥さんは、ここでこの日記を守っていてください!」
「分かりました。」
私は急いで水篠家の表に出た。
目の前にはネーヴェの黒い車と共にたくさんの男の人達。
手には銃を持っていて、次々と銃の引き金を引いている。
この中で紗雪も戦っているんだ。
私の立っている側には、横一列に並んだ水篠家の女の人達が鉄の壁を防具にして戦っている。女の人達は全員佳弥さんと同じ紺色の袴になぎなたと大きな弓を持っている。
飛んでくる銃弾をなぎなたではじいている。
聞こえてくるのは銃声と、弓を引く音。
まだ、怪我人らしき人は見当たらない。
ほっと胸をなでおろし、私は女の人達の列に入った。
今は、紗雪を探さなきゃ。
見つけたら、二人であの日記をみんなが見えるところで壊す。
「紗雪!どこにいるの!」
必死に叫ぶけど、鳴りやまない銃声と弓の音で私の声はかき消された。
その時私は、あることを思いついた。
すーっと息を深く吸い込んだ。
肺には、夜の冷たい空気が入り込んできた。
そしてふーっと息を吐いて、
「時間よ止まれ!」
と、声の限り叫んだ。
すると、さっきまで聞こえていた銃声も弓の音も、ぴたりと止まった。
周りを見ると、全員の動きが止まっている。
私は鉄の壁を上って、越えた。
私は今、水篠家とネーヴェのちょうどど真ん中にいる。
下には白い砂利が敷き詰められていて、歩くとジャリ、ジャリと音を立てる。
水篠家の盾、鉄の壁からテニスコート一面分くらい離れたところにネーヴェの集団はいる。みんな、銃を構えていた。
まるで、映画のような空間。浮いている銃弾もたくさんあった。
私はそれを、端から端まで全部下に落とした。
ひとつひとつ。
私は再び紗雪を探し始めた。
「美和!」
その時、後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。
「紗雪…?」
驚いて振り向くと、やっぱり紗雪だった。
「時間止めたのに、なんで?」
紗雪はこちらに向かって走ってきた。
「分からない。突然周りの時間が止まって。」
一体なぜだろう。
「それより美和、大輝の実家であの回る壁に押し込んでごめんなさい!」
紗雪は深々と謝ってきた。
「いいよ、別に。おかげで輝さんの日記も壊せたし。」
「ほんとに?」
「うん。でも、とりあえず今、私達がやらなきゃいけないことは」
「最後の一冊、美子さんの日記を壊すことだよね?」
紗雪は私が言う前に言った。
「そう。」
私は思い切り息を吸い込んだ。
「時間よ動け!」
声の限り叫んだ。
すると、また銃声と弓の嵐が始まった。
「行こう。」
「うん。」
私達は美子さんの日記のところに行った。
「美和さん、紗雪さん!」
佳弥さんは私達を見るなり笑顔になった。
「佳弥さん、美子さんの日記を今から壊します。」
私が直球に言うと、佳弥さんは持っていたなぎなたを壁にかけた。
「そうですか。ついにこの戦いも終わるのですね。終わったら、水篠家とネーヴェが行きつくところはどこなのでしょうか。」
「行きつくところは絶望かもしれない。でも、私と紗雪が、なんとかします。」
「佳弥さん、私と美和で何とかしますよ。だから、安心してください。」
紗雪も私に続けて言った。
佳弥さんはうつむいていた顔をゆっくりと上げて、優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。」
そして、美子さんの日記は佳弥さんの手から、私達の手へ渡った。
「美和、屋根だよ!」
紗雪は天井を指して言った。
「私が案内します!」
佳弥さんはなぎなたを再び持って、静かに走り出した。
私達は佳弥さんの後についていった。
何個も何個も襖を開けては角を曲がりを繰り返して、辿り着いた。
「ここです。このはしごを上れば、屋根の上です。」
私達は急いではしごを上った。
先に上った紗雪は屋根についたみたいだ。
「紗雪!日記持ってて!」
日記を紗雪に手渡し、私も上った。
手をついたところ、そこは瓦の上だった。
「私、初めて瓦を触った気がする…。」
独り言を言いながら上に上がった。
外はやっぱり、銃声と弓の音で溢れている。
私と紗雪は慣れない瓦の上を何度も転びそうになりながら走った。
そして、
「ここがちょうど真ん中だ…。」
前を走っていた紗雪が止まった。
私も止まって、下を見た。
「結構高さがあるね。」
「うん。」
「紗雪。紗雪が言って。紗雪の声はよく通るから。」
「分かった。」
私達は、話に出さないだけで、もう死ぬ覚悟はできているのかもしれない。
だって、この屋根が一番人を狙いやすい所だから。
でも、自分たちの使命が果たせるなら、それでもいいのかもしれない。
この、前世から決まっていた使命。
美子さんが見た未来。
それを今、実現しようとしている。
隣で紗雪が深く息を吸い込む音が聞こえた。
「今から、この本を壊す!!!」
私の予想通り、この戦場の大きな銃声より、弓を引く音より、何よりも響いたのは、紗雪のよく通る声だった。
銃声も、弓の音も、全ての音がぴたりと止んだ。
聞こえるのは、夜風が吹く音と、鳥の鳴き声。
注目の的は紗雪だ。
「今から、この本を壊す。」
もう一度紗雪は言った。
その時、ネーヴェ側にあった黒い車から、男の人が出てきた。
「天馬、誠…。」
天馬誠はゆっくりと砂利を踏みしめ、戦場の真ん中まで歩いた。
高さは違うけれど、面と向かった位置にいる。
何を言ってくるのかと思った。
しかし、天馬誠は真顔のまま、銃を出した。
その銃を向けた先、それは紗雪だ。
紗雪を見ると、ひきつった表情を浮かべていた。
その時、紗雪の目がきらりと光ったように見えた。
涙だ。
「あなたのために流す涙なんてない。あなたは最初から私のことなんてただの道具としか見ていなかった。そんなこと、知っていた。」
紗雪は目をつぶった。
まさか。
「紗雪!」
短い銃声が夜の闇を切り裂いた。
でも、どさっと音がしたのは、下からだった。
「え…?」
紗雪も私も驚いた。
そして、この戦場の人全員がざわめいた。
下で倒れているのは、間違いなく天馬誠だ。
「よう、二人とも。」
聞き覚えのある声。
その声が聞こえたのは後ろから。
私と紗雪はゆっくりと振り向いた。
そこにいたのは大輝だった。
「だい、き?」
紗雪はとても小さな声で言った。
「紗雪、幽霊を見るような声で言うなよ。俺はちゃんと生きてる。」
私の目からは自然と涙が流れた。
次から次へと。
何も言うことができない。
何も言葉が出てこなかった。
大輝は、左腕と頭に白い包帯を巻いていた。
いかにも、怪我人だ。
「美和も、久しぶりだな。っていってもあの時からまだ、七日しか経ってないけどな。」
「なんで、生きてるの…?」
紗雪の質問は、私の質問でもあった。
大輝は目をつぶって笑った。
「俺、木に引っかかって落ちたんだ。それでも、頭は打って血は出るわ、左の腕の骨は折れてるわで、俺はもう死ぬんだな…なんて思ってた時、ある人が来て、助けてくれたんだ。」
「ある人?」
「ああ。それは、俺の実の両親だ。その時が、初対面だった。向こうは気づいていなくても、俺は結構昔から観察してたからすぐに分かった。で、怪我を治療してもらった後、なるべく部屋を荒らしてどこか遠くへ行ってくれとお願いした。俺を助ければ、その身は危険になるから。なぜか俺の両親は初対面の俺の言葉を信じてくれて、俺の言う通り、部屋を荒らして遠くに行ってくれた。」
部屋が荒れていたのは、そういうことだったんだ。
点と点が繋がった気がした。
「大輝、怪我は大丈夫なの?」
紗雪が心配そうに聞いた。
「いや。全然だいじょばない。」
その言葉を聞いて、私と紗雪は吹き出してしまった。
「でも、紗雪と美和が危ないかもって思ってネーヴェに行ったら、既にいなくて。今日の朝、ネーヴェの車を追っていたら、ここに着いた。そしたらお前、撃たれそうになってんじゃねーよ。」
大輝は涙目で笑った。
「ボロボロの状態でここに来たって訳だ。」
私と紗雪と大輝は、三人で円陣を組んだ。
「美子さんとやらの日記を壊すぞ!」
「美子さんとやら。」
その言葉が面白くって、紗雪と一緒に笑った。
「バカにすんなよ!俺、状況理解してないんだよ!」
私達はネーヴェの方を再び向いた。
「月が綺麗だな…。」
ふとそんな事を言ったのは大輝だ。
「は?それどっちに言ってるの!?」
紗雪は眉間にしわを寄せて言った。
「ち、違えよ!俺はただ、月が綺麗だなって思っただけで!」
そんな時、私はあることを思いついた。
「あ!」
私の突然の声に、二人は驚いてこちらを見た。
「月明かりで、その日記をこのペンダントに移せばいいんだよ!」
「はい?」
「ついに血迷ったか、美和。」
二人で私をバカにしてきた。
「もう!ネーヴェさんの日記の表紙にあった地図も、そうやってペンダントに移したの!」
有力な理由を言ったら、二人はあっさり納得してくれた。
このペンダントは、この時のためにあったのかもしれない。
「紗雪、手に乗せといてね。」
「オッケー。」
紗雪は日記を手に乗せた。
私は首から下げていたペンダントを外した。
そして、月明かりにペンダントをかざした。
「わあ、綺麗…。」
月明かりが日記に反射して、キラキラと輝いた。
「美和、日記からなんか出てる!」
紗雪の手の上の日記を見ると、日記の表紙から、銀色に輝く文字が流れ出ていた。
「これってもしかして、美子さんがつけていた日記?」
「そうかもしれない。」
日記からはどんどん文字が流れ出る。
吸い込まれる先は、ペンダントだ。
ペンダントは日記から出た文字をどんどん吸い込んでいく。
それと共に、
「桃色に染まってない?」
「ほんとだ!綺麗!」
紗雪は興奮気味に言った。
そして、日記から流れ出る文字はぴたりと止まった。
「この日記はもう、ただのガラスってことか?」
大輝は紗雪の持っている日記をつついた。
「そうみたいだね。」
私の三歳までの記憶がこのペンダントに入っていた時、このペンダントは青かった。
人の記憶によって色が変わるのかな。
お母さんは、ここに私の記憶を入れて亡くなったんだ。
桃色に染まったペンダントを見て思った。
「あとは、このペンダントを壊すだけ。そうすれば、もう誰もあの三人の大事な思い出に足を踏み入れることはできない。」
紗雪は日記を屋根の上に置いた。
「大輝、私が撃つ。」
紗雪は大輝に銃を借りた。
「美和、ほんとにいいの?壊して。このペンダントは美咲さんの形見だよ?」
「いいの。」
私は紗雪の目を見て言った。
これで、戦いが終わる。
この、不毛な戦いが。
「よく見ててよ!ネーヴェ!そして、天馬誠!」
下で、部下に手当を受けていた天馬誠が顔を上げた。
「愛する娘よ…。やめてくれ…。」
天馬誠は今にも死にそうなかすれた声で言った。
「あなたは私の家族なんかじゃない!血なんて一切関係ない!一緒に育ってきた人が家族なの!お母さんが亡くなってすぐ私を捨てたあなたなんか、父親じゃない!」
紗雪の大声が、聞こえなかった人はどこにもいなかったと思う。
紗雪が抱えてきた、心の叫びを。
この夜、すべてが終わる。
そして、始まる。
始まりはあの三人。それを終わらせるのは私達三人。
そして、これからを始めるのも、私達だ。
紗雪は銃を強く握りしめて、引き金を引いた。
銃声と共に、ペンダントが割れた。
粉々になったペンダントがキラキラと輝きながら散らばった。
「これで、もう何もない。争う理由も、何も無くなった!昔の記憶を知ることも出来ない!美子さんとネーヴェさんと輝さんの大事な思い出でに汚い手は入ることはない!」
紗雪は叫んだ。
その瞬間、次々とネーヴェの男たちは、持っていた銃を地面に捨てた。
それを見た水篠家も、弓を下ろした。
これで、終わったんだ。