三十二話 大輝の故郷、長い廊下
「では、私達はここでお待ちしておりますので。」
お付きの藍子さんは、車の扉を開けてくれた。
「ありがとうございます。」
私と紗雪はお礼を言って歩き出した。
「ここか…。」
「うん…。」
車からしばらく歩いたところに、民家がぽつりと一軒。
周りには、畑が広がっていて、見渡す限り田園風景だ。
すーっと鼻から、冬の冷たい空気を吸い込んだ。
そして、ふーっと口からゆっくりと吐いて、顔を思い切りビンタした。
「何やってんの?さっきから。」
紗雪は気合いを入れている私を不審がるようにして見た。
「やだなあ。紗雪。人をそんな目で見たら、紗雪もそういう目で見られちゃうよ。」
紗雪は「はいはい。」とそれを適当に片付けた。
「緊張するのは分かるけど、こういうのはばっと行っちゃうんだよ。」
そう言って紗雪はずかずかと目の前の家に歩いていった。
「ちょっ!紗雪!」
私は慌てて着いていった。
紗雪はインターホンをなんのためらいもなく押した。
急いで背筋をピンと正した。
今から大輝のお母さんとお父さんに会うんだ、そう思うとどういう顔で会えばいいのか分からない。しかも、私達は大事なことをひとつ忘れていた。
「ねえ、大輝の両親に会うの初めてだし、許可も取ってないし、そもそも大輝の両親は私達のことなんか知らない、よね?」
半ば諦めた声で言った。
「うん。でも、今は不在みたいだよ?」
紗雪はそう言いながら何度もインターホンのボタンを押した。
その行動に思わずため息をついてしまった。
いきなり来客が来てもすぐには出られないに決まってる。
それなのに紗雪は…。
多分、私達の印象は最悪だ。
頭を押さえてもう一度ため息をついた。
「美和くん。これは本当に不在のようだよ。」
紗雪は困ったなあというポーズをした。
「ええ、ほんとに?」
試しに扉を少しだけ開けてみた。
「え、私さすがにそれはやらないわ。」
紗雪はドン引きしていた。
「え、いやいや。五百回くらいインターホン鳴らしてた人に言われたくないわ。」
私も言い返した。
扉の隙間から家の中を覗いた。
「ん?」
様子がおかしいと思って思い切り扉を開けた。
紗雪も私の様子を察して中を見た。
家の中は、〝荒らされていた〟。
そう、言葉通り荒らされていたのだ。
タンスは倒されて、床のカーペットもぐちゃぐちゃになっていて、襖もビリビリに破かれていた。
「ひどい…。」
紗雪は口を押さえた。
「もしかして…大輝のお母さんたちは!?」
私は急いで家の中に上がった。
頭の中は不安と焦りでいっぱいだった。
もし、大輝の両親に何かあったら、なんてことを考えるとどうしていいのか分からなかった。
大輝の両親は、居間にも寝室にも浴室にも、どこにもいなかった。
もう一度居間に行って、私はその場に座り込んだ。
「紗雪は、どう考える?」
静かな居間に私の声は響き渡る。
「逃げた、とか?」
「誰から?」
「ネーヴェと水篠家から?」
でも、ネーヴェも水篠家も日記の最後の一冊を誰が持っているとかは分かっていないはず。
私達だって、大輝の故郷に来たものの、輝さんの日記が大輝の実家にあると確信している訳ではないし。
「もともと、随分前にここは空き家だったとか?」
紗雪は散らかされた部屋を見渡した。
「うーん…。」
謎を明かそうとすると、答えは手をすり抜けて遠くに行ってしまう。
私達はしばらく手分けをして何かの痕跡などないかを細かく確認した。
「大輝の両親にあの日記のことについて何か知らないか聞こうと思ってたのに、これじゃまるで探偵だね。」
私は居間のカーペットを細かく調べらながら言った。
「美和ー。ちょっと来てー。」
紗雪に呼ばれて、紗雪の声がした方へ歩いていった。
「どうしたのー?」
紗雪は廊下の突き当りにいて、壁とにらめっこしていた。
「なにしてんの?」
「いやあ、なんかさ、この壁変じゃない?」
紗雪は渋い顔で壁を見つめている。
私もその壁を見た。
何の変哲もなく見える白い壁。
紗雪はどこに違和感を感じているのやら。
「なんか紗雪、本当に探偵みたいだよ。」
私は笑いながら言った。
「へへ。でしょ?」
紗雪は頭を掻いた。
「で、この壁はどこも変じゃないけど。」
「そっかー。」
紗雪は壁を見ながら気の抜けた返事をした。
「えいっ!」
その時、私は紗雪に思い切り突き飛ばされた。
「うわあ!」
壁にぶつかる、と思って身構えた。
案の定、私は壁にぶつかった。と思った瞬間、
「うわあ!?」
私が壁にぶつかった瞬間、その壁はカチッという音と共にぐるんと勢いよく回った。
私は床に座り込んだ。
「いたた…。ってあれ?」
私が座り込んでいた場所は、さっき紗雪といたところとは百八十度違う部屋だった。
実際、百八十度違うけど。
「美和ー。大丈夫かー。」
後ろの壁の向こう側から紗雪の声が聞こえた。
「大丈夫かじゃないよ!!人を一体なんだと思ってるの!」
私は閉じてしまった壁に向かって叫んだ。
「そっちはどんな状況?」
完全に無視された。まあいいや、と思って向き直った。
そこは、ネーヴェの館みたいで、廊下は果てしなく続いている。
果てしなく。
奥は真っ暗だった。
明かりがついてるのは私が立っているところだけで、他は全部真っ暗だ。
廊下の幅は、人二人が並んで歩けるくらいの幅で、結構狭い。
床には赤いカーペットが敷かれていて、壁沿いに小さなタンスがあった。
「なんかね、そっちと真逆。って言うか紗雪も来てよ。」
私はもう一度壁の方を振り返った。
「え…?」
私は唖然とした。
振り返るとそこには、あったはずの壁がなくなっていたのだ。
目の前と同じ廊下が続いていた。
「うそ、でしょ?」
果てしなく前にも後ろにも長い廊下に私は一人。
紗雪の声が聞こえなくなって、急に心細くなった。
「紗雪ー?」
小さめの声で呼びかけても、もちろん返事などはなかった。
「どういうこと…。」
とりあえず、ここから出ないと私は死んでしまう。
空腹の前に、精神的にショック死する。
心臓の鼓動が少し早くなっていた。
幽霊とか、出ないよね。
今の私は面白いほどに無防備だ。
いつバケモノが現れても即死亡だな…。
というか、大輝の実家になんでこんな長い廊下が?
いや、もはやここは地球じゃないのかもしれない…。
だんだん、恐怖心が私の心を襲った。
とりあえず、何も考えない方がいい、と思って近くにあったタンスの中を調べた。
一番上の段には今私が一番欲しいものが入っていた。それは、ランプ。
しかもすでについているもの。
二段目には、鍵が入っていた。
「これって、脱出ゲーム?」
とりあえず、大事そうだからポケットにしまった。
三段目には何も入っていなくて、少し残念な気持ちになった。
「よし、行くか。」
怖くて心臓バクバクのまま、とりあえず前に進んだ。
私の足音はカーペットに吸収されるから、自分の足音に怖がる心配はないな。
でも、さっきから後ろを気にしてしまう。
幽霊、バケモノ、エイリアン…。
エイリアンは無いか。
一人でそんなことを考えていると、右の壁に扉が現れた。
ドアノブのにはしっかりと鍵穴があった。
「探偵の次は脱出ゲーム…。私の人生案外面白いかもしれない。」
怖さを紛らわすためにさっきから独り言を言っているけど、悲しいやつだな…。
鍵穴に鍵をさした。
お願い、開いて!私は目をつぶって鍵を回した。
カチャッ
良い音と共に扉が開いてくれた。
もうこの怖い廊下を歩かなくていいと思うと気が楽になった。
今思うと、これが脱出ゲームだったら難易度マイナス十くらいだろうな…。
部屋に入ると、そこは書斎だった。
本棚にずらっと並んだ本。
本の紙の、いい香りがした。
独特な昔っぽい香り…。
部屋は正方形で、四辺すべてが本棚だった。
真ん中には机があって、机の上にはタイプライターと蓄音機が置いてあった。
それを見て思わず歓声をあげてしまった。
「レトロな部屋…。」
私は本棚をぐるっと見回した。
「うわあ!」
その時、何かに引っ張られるように一つの本棚の前に引っ張られた。
どうも首にかけていたペンダントに引っ張られたみたい。
何かの力に。
何かの力って幽霊!?
私は怖くなって周りを見回した。
でも、そこには誰もいなかった。
ほっと一息つき、ペンダントを直し、顔を上げた。
「あ…。」
ちょうど私と同じ目線の位置にあった本。
それは、周りとは違った。
その本だけ、透明なガラスでできていた。
「本当に、あった…。」
私が触ったことのある手触りだ。
この、ごつごつとした、でもさらさらで透明ななガラス。
ガラスの日記。
やっぱり、大輝って輝さんの子孫なんだ…。
美子さんの子孫が私で、ネーヴェさんの子孫が紗雪のように。
これを持って早く、紗雪のところに戻ろうと思った。
この地球かも分からないところから脱出するのはほぼ無謀な気がするけど。
とういか、この世界に無理やり押し込んだのは紗雪だ。
紗雪も、こんなことになるとは思いもしなかっただろうな。
今、何してるんだろう。
ガラスの日記を落とさないように慎重に持って、部屋を出た。
落としても、割れるようなことはないだろうけど。
真っ暗な廊下は、私の持っているランプで少しだけ明るくなった。
「やっぱり、廊下って怖いな…。」
私の足は少しだけすくんだ。
昔、まだ私と紗雪と大輝が小学校三年生の頃。
あやめ孤児院の夜の廊下を、肝試ししたことがあった。
孤児院の消灯時間はいつも夜九時で、九時まで廊下の電気はついている。
でも、九時をちょっと過ぎると廊下の電気は一つ残らず消えてしまう。
私達が小学校二年生のころまでは、寝かしつけてくれる職員がいたけど、小学校三年生になってからは、職員はもっと小さな子の面倒を見るようになって、私達の部屋に職員は入ってこない。
それが嬉しくてたまらなかった私達は最初の頃好き放題やっていた。
その日は、私が肝試しをしたいと軽い気持ちで言った。
すると大輝も紗雪も乗り気になって結局あの超怖い真っ暗な廊下を私一人で歩くことになってしまった。
あの時私は、本物の幽霊を見た。
今でも、あの光景を思い出すと怖くなる。
そう、廊下の突き当りに黄色いタイトスカートを履いた女の人が立っていたのだ。
私は、その瞬間体が石のように固まってしまい、声も出せなかった。
でも、その後すぐに職員たちに見つかってしまい、廊下の電気がついた。
その瞬間、その女の人は消えていた。
職員にさんざん怒られた後、幽霊の話を大輝と紗雪にした。
でも、二人は全く信じてくれなかった。
あれは私の見間違えなんかじゃない、と今でも思っている私。
しばらく薄暗い廊下を歩くも、最初にいた場所が分からなくなってしまった。
タンスもなにも見当たらない。
いよいよ恐怖度マックスになった私は、その場にしゃがみ込んで、壁によりかかった。
「はあ…。」
深いため息をついても、何も変わらなかった。
一体、この廊下、何メートルあるのかな。
いや、キロメートルかもしれない。
「うわっ!」
その時、天井から何かが落ちてきた。
「なに?」
落ちてきたものを見ると、
「銃弾だ…。」
でも、なんでだろう。
「うわっ!」
また、天井から何かが落ちてきた。
「銃だ…。」
一つの銃弾と一丁の拳銃。
これは、どういうことだろう。
まさか、
「この日記を割れってこと?」
誰かが仕組んでいるのかもしれない、そう思った私は誰かも分からないどこかに聞いてみた。
でも、返事は返ってこない。
そもそも、この不思議な世界自体、誰かが作っていたらすごいことだ。
銃を見て、あることを思いだした。
それは、ネーヴェさんの記憶に飛ばされた時のこと。
天馬誠の部下に撃たれそうになったときネーヴェさんの日記が私の命を守ってくれた。
さらに、日記の表紙は割れて、ネーヴェさんの記憶に飛ばされた。
同じ方法を使って、輝さんの記憶に行こうかな。
でも、輝さんの記憶って大事な記憶が入っていたと佳弥さんが言っていた気がする。
馬鹿な私なんかが見てきていいのかな。
いや、今私がやるべきこと、それは無謀な戦いで失われる命を無くすことなんじゃないの?
それを成功させるには三冊の日記を壊すことじゃないの?
日記さえなくなれば、この戦いは終わるはず。
そしたら、たくさんの命が失われることもなくなるかな。
銃に銃弾をセットした。
私は心を決めた。
銃で人を殺すのも、人を守るのも、結局は銃を使わないといけないのは、悲しい現実だと思う。
今現在も、この銃弾がこれから戦いで亡くなってしまうはずだったたくさんの人を救うんだ。
銃は、武器でもあって、防具でもあるのかもしれない。
でも、一番はそれが無くなることだ。
私は、銃の引き金を引いた。
短い銃声と共に、ガラスの表紙が割れたのが分かった。
その瞬間、周りの空間がぐにゃりと歪んだ。
私はその歪みにこの身を任せた。




