三十一話 紗雪の怒り、不毛な対立
「見せたいものって何ですか?」
大浴場でくつろいだ後、私達はすぐに佳弥さんに呼び出された。
呼ばれたところは、廊下の突き当りだった。
何の変哲もなく見えるけど、黒い台の上に何か乗っていた。
それは、同じ黒い布で隠されていて見えない。
「見せる前に一つ、昔話をしてもいいですか?」
佳弥さんは黒い何かの前に立って言った。
佳弥さんの真剣な表情を見て無言でうなずく私達。
佳弥さんはすーっと息を吸った。
「昔、日本がちょうど明治時代に入ったころ。薬屋を営んでいた栗花落家という名家がありました。その家の夫婦には、大きな悩みがありました。それは、なかなか子供ができないということです……
✱ ✱ ✱
「清香。今日も神社に行こうか。」
「そうね。今日こそ、私達の祈りが神様に届くといいわね…。」
「ああ。」
夫婦は、『子宝に恵まれる』と言われている神社の噂を聞けば、薬屋を閉めてまで参拝しに行っていた。
そんなある日のこと。
「なあ、あんたたち、子が授からなくて悩んでいるのだろう?だったら、三神神社に行くといいよ。あそこの神社に御祈願した途端、子が大勢授かると言われているんだよ。」
近所の竹蔵という夫婦が、そんな良い話を持ってきた。
「清香、三神神社へ行こう。」
夫婦は竹蔵という夫婦の話を信じて、すぐに三神神社へ参拝しに行った。
その神社には、時間の神、記憶の神、未来の神の三柱の神々が祀られているらしい。
夫婦は三神神社へ着くと、すぐに神社の鈴を鳴らして祈った。
すると、信じられないことが起きた。
神社のお社から、三柱の神々が夫婦の前に姿を現した。
夫婦は神様に思いが伝わったんだと泣いて喜んだ。
しかし、三柱の神々はこう言った。
「わたしたちに子を願えば、子は一生授からない。そう、今、その腹に宿ろうとしていた一つの命も。」
竹蔵の夫婦が言っていた事は三柱の神々に言われたことと真逆で、その神社に参拝すると子供を一生授かることができないということが事実だった。
夫婦は深く悲しんだ。
この神社に参拝する前に、もう妻のお腹には新しい命が宿ることが運命で決まっていた。しかし、今ここに来てしまったから、その運命は訪れることなく消えてしまう。
「どうか、どうかその命をお戻しください。何でも受け入れます。」
夫婦は泣きながら神々にすがった。
そんな時、三柱の神々はこう言った。
「この神社は、もう誰も参拝しに来なくなった。昔は人でにぎわっていたのに。この神社の神主を恨んでいたある一人の『子が授からなくなる』という嘘で人がぱたりと来なくなった。そう、最初は嘘だったことも、大勢が信じて怯えることで、その悪は簡単に出来上がってしまう。人の言葉は嘘でも言い続けることで形になり、自分たちを襲う。この神社が無くなったら、私達はこの神社にいられなくなる。人が来ないと忘れられてしまうのだ。そこで、お前の腹に宿ろうとしている子供に、私達を封じ込めてはくれまいか。私達がもう、時間、記憶、未来の神に戻ることはできない。もう、子供を奪う神へと変わってしまったからな。だから、その子どもに私達を封じ込めれば、もう、だれも子供を奪われることはないだろう。それを受け入れてくれるなら、その腹の子は助かるであろう。」
夫婦は二人で考えた末、それを受け入れた。
その後、その神社は土地改革で取り壊され、生まれた子供の中にその三柱の神様たちは封じ込められた。
✱ ✱ ✱
……その子どもはおなごで、時間、記憶、未来を操る力を持って生まれました。その子どもの名前は、栗花落美子。水篠家の初代を生んだ女の人です。」
佳弥さんの昔話が終わると、廊下に沈黙が訪れた。
私達はなんて言うのが正しいのか分からず、ただ佳弥さんの次の言葉を待った。
美子さん、私と紗雪はその名前を知っている。
そう、ネーヴェさんと輝さんの大事な友達。
私は佳弥さんの言葉を待ちきれず、言った。
「美子さんって、双子を生んだんですよね。でも、その後亡くなって…。」
「…やっぱり、見てきたんですね?」
佳弥さんは私の目をまっすぐと見た。
「見てきた?」
「はい。なにかしらの方法で、あの時代に戻れるということだけは、ネーヴェも水篠家も知っていました。しかし、その『方法』の謎が今まで誰にも解くことができなかった謎なのです。」
それが、『表紙を割る』ということか…。
「美和さんと紗雪さんが明治時代に飛ばされたところを、天馬誠は見ていましたか?」
佳弥さんは真剣な顔で聞いてきた。
「はい。」
「やっぱり…。」
「知られちゃまずいんですか?」
「ええ。タイムスリップの仕方を知ったネーヴェは、もうじき水篠家を攻めてくるでしょう。居場所が分かっていて、まだ使われていない日記は水篠家にしかありませんから、ネーヴェは最後の一冊を探すより美子さまの日記を奪いに行く方が早いと考えるでしょう。」
「最後の一冊?」
「はい。時間を操れる力を持っている美子さんの力、氷を操れる魔力を持ったネーヴェさんの力を合わせたこの日記、全部で三冊あるんです。この黒い布の下の一冊、紗雪さんが持っている表紙と裏表紙の割れた一冊、それと、今はどこにあるか誰も知らない一冊。今、水篠家とネーヴェはその一冊を探しているんです。だから、対立している。水篠家とネーヴェができたそのときから。その一冊さえあれば、三冊揃って、三回あの時代に行けるんです。」
「三回?」
「なんで、三回行く必要があるんですか?」
紗雪は身を乗り出して聞いた。
「日記は、それぞれ持ち主を中心に記憶があるんです。水篠家にある日記は美子さんを中心とした記憶。天馬誠の邸宅にある日記はネーヴェさんを中心とした記憶。そして、あと一冊は、『輝』という名の人物を中心とした記憶。二つの日記には頻繁にその『輝』という名前が出てきていて、その人が最後の一冊の持ち主だという可能性が高いのです。でも、その輝と言う人は、詳細が不明なんです。どこで生まれたか、どこで亡くなったかも。そして、それぞれの記憶にはとても大事な秘密が隠されているんです。だから、ネーヴェも水篠家もその秘密を知りたくて今の今まで対立しては取引してを繰り返してきたんです。」
そういえば、あの時天馬誠は「案内ご苦労。」と言っていた。
それは、そういう意味だったんだ。
「私が天馬誠に呼び戻されたのって、明治時代に戻る方法を探るためだったんですか?」
紗雪は静かな声で聞いた。
「ええ…。そういうことになりますね…。貴方たち二人は、あの事件以来ずっと、自由に暮らしているようで見張られていた。ネーヴェに。学校、近くの店、図書館…。ずっと見張られていて、頭の良さ、性格などを、こと細かく記録されていたのです。」
「それは、天馬誠から聞いたんですか?」
「はい…。」
「なんで、水篠家は助けてくれなかったんですか?」
「紗雪。」
何度も質問を繰り返す紗雪を止めようとした。
「私達は、必死に美和さんと紗雪さんの居場所を探していました。でも、いくら居場所が分かりそうになっても、ネーヴェに邪魔をされて、を繰り返して…。その間に、ネーヴェに先手を打たれてしまいました…。本当に、ごめんなさい…。」
佳弥さんは深々と頭を下げた。
私は慌ててそれを止めてもらった。
「誰のせいでもないんだって!」
「じゃあ、その『秘密』って、そんなに価値のあるものなんですか?」
紗雪はあからさまに目つきを悪くした。
正体の分からない『秘密』のために水崎さんも、大輝も命を奪われた。
それを、紗雪は怒っているんだと思う。
「その秘密が、どんな内容か、知る人はどこにもいません。」
佳弥さんは目をつぶって静かに言った。
それを聞いた紗雪は思い切り自分の足を床に打ち付けた。
「なん、で…。なんで何かも分からない『秘密』のためだけに水崎さんも大輝も死ななきゃいけなかったの…?」
小さなかすれたその声は、私の心をぎゅっと締めつけた。
「分かっているんです。この対立が不毛なことも。私は…。」
佳弥さんは下を向いて言った。
「もう、夜だね。」
「だね。」
部屋に戻った私達。
障子の外に見えるのは深い夜の闇。
いろいろなことがあったけど、大輝がこの世を去ってからまだ六日しか経っていないと考えると、信じられなくなる。
私たちはこれからどうするんだろう。
布団を敷いて、もう寝ることにした。
灯りを消して、私たちは布団に入った。
まだ、冬の寒さは消えていなくて布団を被っていてもわずかなすき間から冷たい空気が入ってきた。
「紗雪、寝ちゃった?」
私は小さな声で話しかけた。
「寝れるわけないよ。いろんなことがありすぎて。」
紗雪が起きてたことが嬉しくて、修学旅行の夜みたいにワクワクした。
「修学旅行みたいだね。」
「いや、ここ一応美和の家だからね。」
「あそっか。」
一旦会話が途切れると、怖いくらいの静寂が訪れる。
「ねえ、紗雪。」
「輝さんの、こと?」
「よく分かったね。」
「一体何年一緒にいると思ってんの?」
紗雪は静かに笑った。
「そういえばさ、紗雪ってほんの少しだけネーヴェさんの血が入ってるじゃん。」
「そういうことになるね。」
「何分の一何だろう。」
「まあ、明治時代から続いていると考えると、今まで百四十年間くらい続いてるから………。無理だ、いくら偏差値八十の私でも計算できない。」
紗雪は諦めた。
「でも、ネーヴェと水篠家もすごいねえ。そんなに輝さんの日記を見つけて知りたい『秘密』があるんだね。」
「たとえどんな技術や真実を知ったって、意味になるのかも分からないのにね。」
「そうだね。先代がやってるから、やらなきゃみたいなのがあるんじゃないの?」
「うん。なんかそんな気がする。意味がないと分かっててもやめられないみたいな。」
そこで私は、あることを思いついて、ばっと起き上がった。
「ねえ!紗雪!」
「しっ!誰か起きちゃうよ!」
暗闇に目が慣れてきて、紗雪の顔の輪郭がうっすらと見えた。
でも、どんな表情をしているかまでは分からなかった。
「いや、朝私がいくら襖を開けても誰も暮らしてる風には見えなかったけど?」
「そ、そう。ならいいけど。」
「ねえ、紗雪。私達は、後継者だよ?」
「だから?」
「わたしたちが、この対立を止めればいいんだよ!」
紗雪は、再び布団に戻った。
「紗雪?」
「無理だよ。」
私がもう一度問いかけると紗雪は即答した。
「なんで?だって、水篠家のトップには私がなって、ネーヴェのトップには紗雪がなる。こんな平和な裏社会今までにないよ!」
私は興奮気味に言った。
現実にそう遠くない理想だと思う。
「じゃあ、もし対立しなくなりました。その後、大勢を率いることが、可能?私達に。ほぼ日記のためにあるお互いで、やる事が無くなったら、何をするの?多分、日記によって分かったことを利用して表社会まで出てくる気がするけど。」
紗雪は私に面と向かって言ってきた。
「いや、それは違うよ。」
「え?」
「だって、それを私達が止めればいいんだから。これからの世代は、私達に引き継がれる。」
紗雪はそれを聞いて黙った。
「この戦いは、美子さんとネーヴェさんと輝さんの、強い友情から始まってしまった。だったら、私と紗雪と大輝の強い友情で終わらせることだってできるんじゃないの?」
「大輝は、もういない。」
紗雪の悲しげな声が、部屋に響いた。
私はそれを言われて、何も返せなかった。
大輝がいないことは、まぎれもない事実だから。
でも、私と紗雪の力だけでもこの戦いを終わらせることはできると思う。
大輝がいてくれたら、とても安心するけど。
「ねえ、紗雪。大輝の両親の家に行ってみない?」
「大輝を捨てた親のところに?」
紗雪は冷たい声で言った。
「だめだよ。そんなこと言っちゃ。なにか理由があったのかもしれないし。」
「そう?親は何があっても子供を守るんじゃないの?理由があったら子どもを孤児院なんてところに行かせていいの?私にはそうは思えないや。」
紗雪の声には怒りの色が見えた。
いつもは冷静な紗雪に。
自分も親に捨てられたことを思い出して、重ねているのかな。
紗雪は、自分のことになるとどこか弱くなる。
「紗雪。天馬誠は紗雪のお父さんなんかじゃないよ。たとえ血が繋がっていても。だって、親子に血の繋がりなんて関係ない。一緒に育ってきた人が家族なんだよ。だから、私が紗雪の家族。大輝も、紗雪の家族。」
私は紗雪にしっかりと思いが伝わるように、ゆっくりと言った。
紗雪は体を私と逆の方向に向けた。
「もう、知らない。大輝の両親でもなんでもご勝手に。美和様の言う通りですよ。」
「あ、すねた。」
私が茶化すと本格的に何も返してこなくなった。
私には、紗雪の声が少し涙声に聞こえた。




