三十話 水篠家、紗雪の言葉
目を開けると、視界がぼやっとしていた。
私は目をこすって、視界をはっきりとさせてから、状況理解に急いだ。
目に入ったのは、見慣れない天井。
夢でも見てるのかと思って、ゆっくり起き上がった。
私は、敷かれた布団の上に寝ていたみたい。
その布団は、とてもふかふかで二度寝したくなってしまう。
でも、夢にしてはやけにリアルだな…。
ここは、どこだろう。
とても古風な部屋。
外には木々が見えて、扉は障子になっている。
内側の扉は襖だ。
多分、襖を開けたら廊下になっているんだと思う。
天井からつるされている灯りは和紙に包まれた古風な灯り。
床を見ると、そこは畳になっていた。
この部屋、とても見覚えがある。
遠い記憶。
「そうだ!」
私のふかふかな布団と共に二度寝しようとしていた頭は思い出したことで一気に晴れた。
そう、ここは私が三歳までお母さんとよく遊んでいた部屋。
うっすらとしていた記憶はだんだんと鮮明になっていった。
でも、やっぱり夢か。
だって、さっきまで紗雪とどっかの時代に飛ばされてたんだから。
それで、あの本の裏表紙も無事割れて…無事、割れて?
私たちは、一体どこに飛ばされたの?
私はすばやく布団から出て、障子じゃない方の襖の扉を開けた。
髪はぼさぼさで服もしわくちゃのまま。
そこは、とても綺麗な廊下だった。
壁一面が青々とした竹でびっしり埋まっていた。
でも、感動している暇はないと思って、すぐに体の向きを変えた。
廊下の冷たい感触、思いどおりに動く自分の体。
だんだん、夢じゃないんじゃないかと思い始めた。
襖を何回も何回も開けたけど、誰にも会わなかった。
そして、私が辿り着いたのは、大きな襖の前。
今まで開けた中で一番大きい。
一瞬開けるのをためらったけど、思い切って開けた。
「紗雪!?」
目の前には、ちょうどあちら側からも開けようとしていたのか、紗雪がいた。
「美和!やっと起きたんだ!って言っても私もついさっき起きたんだけど。」
「紗雪!これって現実??」
紗雪を見るなりすぐ確認した。
「はあ?なに寝ぼけてんの?」
「痛っ!」
紗雪は私のほっぺをつねった。
「ほら、ちゃんと現実だよ。」
紗雪は呆れたような顔で言ってきた。
「紗雪!なんで着物着てるの!?」
私は紗雪の綺麗な着物姿を見て驚いた。
紺色がベースの着物で、薄い桃色の桜が織り込まれている。
帯は薄い黄色で、とてもよく似合っている。
それに、顔も綺麗にお化粧されている。
「ああ、いいでしょ。あそこの女の人たちが着つけてくれたの。」
紗雪の視線の方を見ると、女の人たちが何やら準備をしていた。
大きく縦に長い木の机、とっても長い。
その上にはたくさんの食事が並んでいた。
「わあ!美味しそう!あれ誰が食べるの?」
「私たちだよ!」
紗雪はまた呆れた顔で見てきた。
「ねえ、ここってどこなの?私たち、帰ってこれたんだよね?」
さっき私が寝ていた部屋はお母さんと過ごした部屋だって思い出したけど、実際ここがどこなのか分からない。
「ここ、水篠家の屋敷。」
「へ?」
「なんか、飛ばされてきたのが水篠家だったの。私達、飛ばされてから五日も眠っていたみたいだよ。」
五日……。そんなに眠っていたのか。
言った後紗雪は私の耳に顔を近づけた。
「美和は、水篠家の正当な後継者だから丁寧に扱われると思うよ。」
ささやき声で言ってきた。
昔からかしこまったのがちょっと苦手だから、やりずづらいな…。
「あのー。」
紗雪は食事の準備をしていた女の人達に恐る恐る声をかけた。
女の人達はすっとこちらを見て、近づいてきた。
「今、ご案内しますね。」
とてもか細い声でそう言った後、私と紗雪と女の人達でそこを出発した。
「どうぞ。」
私たちが通された部屋は、私が寝ていた部屋にそっくりな場所だった。
「これから何するの?」
私は紗雪に耳打ちした。
「まあまあ。」
紗雪も耳打ちで返してきた。
私は不思議でしょうがなくて、ただ、不思議だった。
すーっという襖が閉まる音と共に女の人達が私を取り囲んだ。
「え?ちょっと、紗雪!」
取り囲んだすき間から紗雪が歩いていってしまった。
私はとても不安になった。
「美和様、おはようございます。」
「おはようございます。」
目の前の人が「おはようございます」と言ったら周りの女の人達も一斉に「おはようございます」と言った。
「お、おはようございます。」
私が挨拶をすると、一人の女の人が大きくうなずいた。
そして、
「うわあ…。」
いきなり襖が開いて、とても綺麗な着物が現れた。
えんじ色がベースの着物で、大きな花柄が織り込まれている。
帯には黒字に金の刺繍が施されていた。
「えっ、ちょっ。」
私は周りの女の人達に手早く着物を着つけられた。
私の長い髪の毛は綺麗なおだんごにまとめられて、綺麗なかんざしも挿してもらった。
おまけにお化粧も。
お化粧をするのは、生まれて初めてだったから、少しワクワクした。
「綺麗じゃん、美和。」
紗雪は着付け終わった私を見て言った。
「紗雪も。」
「美和様。」
その時、さっき大きくうなずいていた女の人が、真剣な表情をして私の名前を呼んだ。
「は、はい!」
私が緊張していると、女の人は優しく笑いかけてくれた。
「今から、水篠家においての基本的なことを口頭で説明しますので、良くお聞きください。」
「…分かりました。」
実感はないけど、これから私は水篠家を引っ張っていかなくてはならない存在なんだ。
女の人の真剣な表情から読み取れた。
「水篠家の後継者様は必ず『女性』でなくてはならないというのが家訓になっております。まずそれを美和様にご理解頂きたく存じます。そして、水篠家には、家宝というものがありまして、それは、初代水篠家を生んだ女性、美子さまの『硝子の日記』です。美和様と紗雪様は、もうすでにご存じでいらっしゃいますね。」
女の人は私と紗雪を交互に見た。
硝子の日記?ネーヴェさんの日記のことかな。
いや、もしかして…。
私は紗雪を見た。
紗雪も私を見ていた。
「では、このお話の続きは後ほど。」
女の人はそこで話を切り上げた。
「あの、お名前は?」
「私は、藍子と申します。主に美和様にお付きしますので、よろしくお願いいたします。」
その後、私たちはさっきの大きな襖の部屋に案内された。
襖が開かれると、私と紗雪はあっと驚いた。
なぜなら、あの長い木の机の席がほぼ埋まっていたから。
座ってる人たちはみんな和装をしていた。
「美和さん、紗雪さん。こっちに来てください。」
一番奥の誕生席に座っている女の人が私たちに声をかけた。
一歩踏み出して後ろを向くと、お付きの人達がついてこないことに気がついた。
お付きの人達はみんな襖のところで頭を下げていた。
席まで歩くのは、私と紗雪の二人だけみたいだ。
歩いている途中、席に座っている人たちの視線は私たちに向けられた。
だから、とても緊張して、歩き方がロボットみたいになってしてしまう。
席に着いた私たち。
さっき声をかけてきた女の人の斜め前の席だ。
「じゃあ、始めましょうか。」
女の人は、この大きな部屋にいる全員に言った。
その人はとても綺麗で、誰かに似ていた。
「私は、水篠佳弥と申します。あなたの、お父さんの妹です。」
それを聞いて、納得した。
誰かに似ていると思ったのは、お父さんに似ていたんだ。
そっか、私達がいなくなってこの人がずっと代わりをこなしていたんだ。
すごい、と私は思った。
自分のお兄ちゃんも死んでしまって、孤独の中ずっとやっていたんだ。
水篠家のトップを。
「お父さんに、似ていますね。」
私は少しだけ笑いながら言ってみた。
女の人はにっこりと笑ってくれた。
「緊張なさらないでください。ほら、肩の力を抜いて。」
私は言われたとおりに肩の力を抜いた。
さっき着付けてもらったときにペンダントもそのままにしてくれたから、今も首から下げている。
なぜかそのペンダントが、温かくなっていった。
本当に不思議で、それを手で出して確認してしまった。
「私は、あなたに会えてとても嬉しいです。美咲さんには、たくさんお世話になりました。」
その時、近くで咳払いが聞こえた。
「後継者の、話を。」
佳弥さんにそう言ったのは、近くの席のおじさんだった。
佳弥さんはその人を少しだけ睨みつけた。
「分かっています。」
さっきよりトーンの低い声で言った佳弥さんは、少し怒っているように見えた。
「あの、そこのおじさん。佳弥さんは、私の母の話をして下さったんですよ?そうやってすぐ自分の名誉に関わりそうな話をするのは控えた方がいいと思いますよ!」
私はつい、カッとなって言ってしまった。
周りの人は唖然としている。
もしかして私、やらかした…?
そう思って紗雪の方を見ると、紗雪は必死に笑いを堪えているように見えた。
その時、佳弥さんが静かに笑った。
「美咲さんにとっても似ていらっしゃいますね。これで水篠家も安心ですね。」
佳弥さんは笑いながらそう言った。
「す、すみません…。」
私は肩をすくめた。
なんでいつも思ったことをすぐ口にしちゃうんだろう…。
「気にしないでください、美和さん。美咲さんもとても強い人でしたよ。」
佳弥さんは私を優しく見つめた。
その後、私達は机の上の豪華な料理をたくさん食べて、佳弥さんといろいろな話をした。私のお母さんのことについて、お父さんのことについて。
「あー。おいしかったー!」
私はぱんぱんになったお腹をさすった。
「美和、食べ過ぎだよ。」
紗雪は呆れていた。
「この後、大浴場で疲れを癒してください。終わったら美和さんのお付きの者が部屋に行くのでその者についていってください。見せたいものがあるので。」
佳弥さんは丁寧に教えてくれた。
「分かりました!」
私は元気よく答えて部屋に向かった。
「待ってよ。」
紗雪は小走りで着いてきた。
部屋に着いて、私はごろんと横になった。
「なんか美和、セイウチみたい。」
紗雪は笑いながら近くの椅子に座った。
「うるさいなあ。」
「ほんとにそれでも水篠家の後継者様なの?」
疑うように眉間にしわを寄せ、顎に手を当てて聞いてくる紗雪。
私は起き上がって背筋をピンとして姿勢を良くした。
「ええ。そうですわ。私は水篠美和。あなたこそ、ネーヴェの後継者様でしょ?」
声のトーンを高くして言った。
すると紗雪も椅子にカッコよく座って足を組んだ。
「ああそうだい。あたいはネーヴェの最高司令官、天馬紗雪だ!…なんちゃって。」
紗雪はすぐに元に戻って笑った。
私も姿勢を崩して笑った。
「私は、トップには佳弥さんが向いてると思うな。」
「私も、ネーヴェには行きたくないなあ。いずれ引き戻されるだろうけど。」
紗雪は寂しそうな顔で言った。
「大輝がいないと、こんなにも寂しいんだね。」
私はそんな事をつぶやいた。
紗雪は私の言葉を聞いて涙目になった。
でもすぐに紗雪は無理やり笑った。
「ねえ、美和。」
「ん?」
「私って、………。」
「紗雪、言って。」
紗雪の目に溜まった涙はきらりと光ってこぼれ落ちた。
―――「私って、……うまく笑えてる?」
紗雪の声はとても小さな声だった。
でも、私はしっかりと聞き取った。
「笑えてるよ。紗雪はいつだって、いい笑顔してるよ。」
言ってる途中に、私まで泣けてきた。
「私、あの時から、自分の笑顔が分からなくなったの…。だから、毎日毎日鏡の前で笑ってみるんだけど、うまくいかなくて。美和に、聞こうと思うと、自分は何が言いたいのか分からなくなって…。」
紗雪は顔を手で覆いながら言った。
「紗雪…。大丈夫。」
私は泣いている紗雪をぎゅっと抱きしめた。
何が、大丈夫なのか、自分にも分からない。
でも、今紗雪に言わなきゃいけない気がした。
じゃないと、紗雪がどこか遠くに行ってしまうような気がしたから。
紗雪は顔をあげて、ニッと歯を見せて笑った。
目は涙でキラキラしていて、言葉に表すことのできないほど美しかった。