二十七話 割れた本、絵画の人物
ぎゅっと固く閉じたまぶた。
私、死んだのかな。
私は床に倒れていた。
まぶたをゆっくりと開けた。
まず目に入ってきたのは、割れたガラスの本。
本の表紙の真ん中は銃弾が当たった跡がついている。
状況がやっと理解できた私はすぐさまばっと起き上がった。
紗雪の方を見ると、紗雪は立った状態のまま前を見て固まっていた。
私はゆっくりと立ち上がった。
「紗雪、どうしたの?」
紗雪は私を見てはっとなった。
「美和。私たち…。」
紗雪は前を指さした。
私は紗雪が指さした方向を見た。
「あれ?」
前には、さっきまでいたはずのネーヴェの男たちと天馬誠がいなかった。
そういえば、将也君も消えている。
でも、さっきと同じところが一つだけある。
それは、周りの風景が天馬誠の邸宅と全く同じところ。
「紗雪、どういうこと?」
「分からない…。でも…。」
「でも?」
「美和が抱えてたガラスの本に銃弾が当たったとき、その場がね、一瞬歪んだの。空間がというか、何というか。そしたらこうなってた。」
紗雪は曖昧に言った。
私は表紙の割れたガラスの本を慎重に持ち上げた。
「とりあえず、一旦部屋に戻らない?」
「そうだね。」
私たちは状況確認のために、部屋に戻ることにした。
その時、目の前を、女の人達が通った。
「っ!」
私たちは身を固くした。
でも、その人達は私たちの存在を無視するかのように通り過ぎて行った。
「気づいて、ない?」
紗雪が、ふとそんな事を言った。
「そんなことないよ!気づいてるけど、気づかないふりとか?」
「ねえ、美和。やってみたいことがあるんだけど。」
紗雪は私の表情を伺った。
「え、うん。」
私はどう返せばいいのか分からず、そう答えた。
すると紗雪はそれを合図にいきなり目の前の廊下に寝転んだ。
「ちょ、紗雪!」
私は慌てて紗雪に駆け寄った。
向こうからは、執事のような男の人が歩いてきた。
「ねえ、紗雪!やばいって!」
いくら言っても言うことを聞かない紗雪。
一体、何をしているのか。
私は諦めた。
どんどん男の人はこっちに向かって歩いてくる。
ああ、終わりだ。
そんな事を思った瞬間、紗雪がばっと起き上がった。
それと同時に私の目の前を男の人が通りすぎた。
紗雪の体を通り抜けて。
「え……?」
目の前の光景が信じられなくて、ただただ口がぽかんと開いてしまった。
すぐに首を横に振って気を確かにした。
「紗雪、どういうこと?」
「私たち、この人達に見えていないみたい。」
紗雪は大真面目な顔をして言った。
「なんで?」
「それは分からない。ただ、見えてないことは確かだね。」
何で見えてないんだろう。
透明にでもなっちゃったのかな。
ガラスの本みたいに。
それにしても、天馬誠とかは一瞬にして消えたけど、どこに行ったんだろう。
「とりあえず、これなら撃たれる心配もないね。」
私たちは足早に部屋に戻った。
行く途中、いろんな人とすれ違ったけど、やっぱりみんな私たちのことは見えていないみたいだった。
「美和、どうしよう。」
紗雪は部屋の前で扉を開けるのに手こずっていた。
「どうしたの?」
紗雪を覗くと、ドアノブを掴んでいるのに開かない。
「代わって。」
私は紗雪にガラスの本を渡して、ドアノブに触ろうとした。
「あれ?」
触っても、触ることができない。
触ろうとしているのに手がドアノブをすり抜けてしまう。
「なんで?」
何度触ろうとしても触ることはできなかった。
すると、後ろから私の体をすり抜けてお腹から誰かの手が生えてきた。
「きゃあ!」
私は物凄く驚いて、女子みたいな叫び声をあげてしまった。
女子だけど。
そんな私を見た紗雪は大爆笑。
私はムカついて紗雪と居場所を交代した。
「確かに、気持ち悪いね。」
紗雪はまだ笑いながら言った。
扉は開かれた。
私と紗雪はすばやく部屋に入り込んだ。
そして部屋に入った私は目の前の光景を見て、言葉を失った。
「…お茶してる…。」
紗雪がぽつりとつぶやいた。
そう。目の前では、沢山の人が楽しくお茶会をしていた。
「部屋、間違えた?」
私が部屋全体を見渡しながら言うと、紗雪は首を横に振った。
「いや、絶対ここで合ってるよ。」
そこで、私はあることに気づいた。
それは、お茶をしている人達の格好について。
みんな、貴族のような格好をしているのだ。
女の人達はドレスや髪飾りを身につけていて、男の人達は中折れ帽を被っていて襟の高いシャツにスーツ姿だ。
どう見ても、今の時代とは思えない。
「ねえ、紗雪。この人達、いったいどこから来たの?」
「分からない…けど…。」
紗雪は何かに目を凝らしていた。
「美和、あの、ひと際目立つ女の人ってさ…。」
紗雪は指さした。
「え?どれ?」
私は紗雪の指さした方向を必死に探した。
「あ…。」
私はその人を見つけて、固まった。
「美和、帰ってこーい。」
紗雪に肩を揺すられた。
「あの人…絵画の中にいた人…。」
「だよね。」
私たちは、状況に追いつけていない脳を整理することにした。
「まず、美和が撃たれました。」
「はい。」
「その弾はそのガラスの本に当たり、表紙が砕け散りました。」
「はい。」
「その瞬間、空間が歪みました。」
「はい。」
「そしたら、ここにいました。みんなには私たちは見えていません。」
「はい。さらに、ここにいる人達みんな、格好が現代の格好とは思えません。」
私は付け加えた。
そして、私たちの間に沈黙の時間が流れた。
「私たち、タイムスリップでもしたのかな…。」
紗雪がとんでもないことをつぶやいた。
でも、それ以外に考えようがない。
私が時を止めることが出来るなら、時間が戻ることだってあるかもしれない。
「ガラスの本を砕くことでこっちに来れるとか?」
私たちはいろいろな推測をしたが、どれが本当の答えかは分からなかった。
「ねえ、あの絵画の中にいた人の近くに行ってみない?なにか情報を掴めるかも。」
紗雪の提案で、私たちはその人の近くに行った。
一応ここにいる人達の話声は聞こえるみたいだし、何か聞けるかもしれない。
その人は、ずっと下をうつむいてつまらなそうにしていた。
「なんか紗雪に似てない?」
「はあ?私こんな美人じゃないよ。」
紗雪に言うと断固否定された。
でも、否定されても似ていると思ってしまう自分がいた。
『ネーヴェ様、このお菓子美味しいですよ。』
私たちは耳を疑った。
〝ネーヴェ様〟と聞こえたのは聞き間違えではない。
「この人の名前、ネーヴェっていうの!?」
私たちの声は聞こえないはずなのに、小声で驚いている紗雪。
「しっ。静かに。会話が聞こえないよ。」
私も周りに聞こえないことは分かっていても、なぜか小声になってしまった。
私たちの後ろから女の人に話しかけた男の人。
振り向いてその人の顔を見た瞬間、息が止まるかと思った。
「さ、紗雪…。後ろ。」
私は深呼吸をしながら紗雪に言った。
紗雪は後ろを向いた。
「だ、大輝?」
紗雪は男の人を見ながら叫んだ。
紗雪も私と同じように深呼吸をした。
その、大輝と顔が瓜二つな男の人は、被っていた中折れ帽を取って、腰の前に持った。
『様ってつけるの止めてよ、輝。それに、お菓子はもう飽きたわ。』
女の人は、ぷいっとそっぽを向いた。
『分かったよ、お嬢さん。それよりネーヴェ。美子とは会ってるのか?』
男の人は、表情を変えて言った。
『会ってないわ。会えないのよ。だって、主人が私を部屋に閉じ込めるんだもの。』
女の人は悲しそうに言った。
「美子って誰?」
紗雪が小声で聞いてきた。
「なんで私に聞くの!」
知りもしないことを聞かれ、私は戸惑った。
『なあ、ネーヴェ。いつか、俺と美子とネーヴェでこんな世の中から抜け出そうぜ。』
男の人は寂しそうな笑顔で言った。
女の人は目を潤ませたが、恥ずかしいのか、そっぽを向いた。
『無理よ。そんなこと。出来るわけがない。』
男の人は、そうかい、と笑った。
『じゃあ、俺はそろそろ行くよ。お前のご主人さんのとこの警備は固いからな。』
それを聞いた女の人はさっと振り返った。
『輝は、いつまでスパイをやるつもりなの?』
『さあな。』
男の人は陽気に笑って、じゃあな、と去っていった。
「大輝ひどい!」
紗雪は去っていった男の人を睨んだ。
「だから、大輝じゃないってば。」
女の人は去っていった男の人を寂しそうに見つめていた。
『はあ。いつになったら美子に会えるのかしら。』
女の人は寂しそうに言った。
「全く。大輝はいつの時代でも乙女心を分からないんだから!」
紗雪は悔しそうに言った。
その瞬間、その場の空間がぐにゃりと歪んだ。
「わあ!」
私たちは手をつなぎ、離れないようにした。
「何があっても、手は離さないでね。」
紗雪に言われ、私は紗雪の手をぎゅっと握りしめた。