十八話 小さな希望、賭け
「紗雪…大輝。」
かすれた声は、声にもならなかったかもしれない。
それでも、たしかに二人の名前を呼んだ。
届かなくても、いい。
地面にぶつけたところは、ずきずきと痛んだ。
それでも、なんとか起き上がって、再び走り出した。
一歩一歩踏み出すごとにずきん、と痛みが走る足。
顔にはまだ泥がついたまま。
それでも、どんどん走る速度を上げていった。
その時、はるか遠くでこっちに向かって走ってくる人影が見えた。
「紗雪?」
私は希望を持って、さらに速く走った。
遠くの人影が大きくなっていくごとに、確信が持てた。
「紗雪!!」
思い切り叫ぶと、
「美和!!」
紗雪の声が聞こえた。
私たちは走る速度を上げ過ぎて、ぶつかりそうになった。
お互いの手を合わせて、ブレーキをかけた。
紗雪は、泣いていた。
涙で顔がぐやぐしゃだ。
「美和、その顔どうしたの?泥だらけ。」
紗雪は涙をぬぐいながら私の姿を笑った。
「ちょっと転んじゃって。」
私もつられて笑った。
「もう、会えないかと思った。」
「私も。」
「そうだ、なんで紗雪と大輝、木の周りにいなかったの?」
「大輝が、様子確認で木をほんとに少しだけ離れた時、近くにネーヴェの刺客がいて、戻ろうにも戻れなくて、私も、大輝についていこうとしていたところで…。」
申し訳なさそうに話す紗雪。
「紗雪だけのせいじゃないよ。タイミングが悪かったんだよ。」
私は紗雪の頭を優しく撫でてあげた。
「それで、大輝は?」
「それが…。」
紗雪によると、大輝と紗雪でその場から離れる時、私から結構遠ざかったところでネーヴェの刺客にバレてしまい、別々に逃げたらはぐれてしまったというらしい。
そこで、二発の銃弾の音が聞こえて、紗雪は私の名前を呼んだんだ。
ネーヴェに見つからなかった私は、なんて幸運なんだろう。
「大輝、無事かな…。」
紗雪が眉を寄せて心配していた。
「とりあえず、探そう。」
そうして、私たちはひたすら森の中を探した。
名前を呼ぼうにも呼んだらばれてしまいそうで、呼べない。
しばらく歩いていると、水の音がした。
「この近くに、滝でもあるのかな。」
「大輝も分かりやすい所にいるかもね。」
私たちは滝の音に沿って歩いた。
「おい、二人とも。」
聞き覚えのある声が下から聞こえて、紗雪と同じタイミングで下を見た。
大輝がいた。
それも、茂みの中に。
「大輝、何してんの?ストーカー?」
紗雪が嫌そうに目を細めて言った。
「違えよ、バカ。それより伏せろ。見つかるぞ。」
大輝は慌てて私たちをかがめさせた。
「やだあこの人。」
紗雪はかがみながら、まだ目を細めていた。
「はあ。まじでぶっ飛ばすよ?」
大輝は呆れた顔で言った。
そんなやりとりを見た私は、思わず吹き出してしまった。
「なに、美和。」
「なんだよ、美和。」
同時に二人に睨まれた私は、少し後ずさった。
「ご、ごめんって。なんか、こういうやりとり見るの、久しぶりだなって思って。」
正直に言うと、二人は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「そ、そうだね。」
「あ、ああ。」
シンクロした紗雪と大輝。
「お前、さっきから真似すんじゃねえ!」
「そっちこそ。」
二人は睨み合っていた。
「はいはい。もう終わりね。」
私がこのキリのないやり取りに終止符を打った。
「美和もこのやりとりに入りたいくせに~。」
紗雪はにやにやしながら、私を肘でつついた。
「うるさいなあ。」
私は呆れながら言った。
「そういえば、美和。顔泥だらけだぞ。」
「え?ああ、そうだった。」
大輝に言われて、やっと泥を拭き取った。
「ネーヴェって今どこら辺まで私たちを追い詰めてるの?」
紗雪は、真剣な顔になって大輝に聞いた。
「さっき、二人がこの道を通る前に、その道をネーヴェが通った。」
ということはもう、見つかってもおかしくはないところまで追いつめられてしまったんだ。
やっぱり、ここまでなのかな。
『生きるのを、簡単にあきらめてはダメよ。』
その時私はふと、そんな言葉を思い出した。
「生きるのを、簡単にあきらめちゃ、ダメだよ。」
それをなぞるように、私はぼそっとつぶやいた。
「えっ?」
いきなりそんな事を言った私に驚いた二人は、私を見つめた。
私は何と返せばいいか分からず、言葉に迷っていた。
すると、
「そうだね。」
「そうだな。」
二人は優しく微笑んだ。
「三人で、この森を出られたらいいな。」
大輝はしみじみと言う。
「いや、出られるよ。きっと。」
紗雪は希望の満ち溢れた声で言った。
そんな二人を見て、嬉しくなった。
この茂みに隠れてから三十分ほど。
さっきから周りが殺気づいているのは、誰も口にしないだけでみんな気付いている。
小さな希望にすがって、ただひたすら殺気が収まるのを待った。
けど、殺気はどんどん強まっていった。
たぶん、囲まれている。
「どうする?」
私は耐えきれなくなって、押し殺した声で二人に聞いた。
「とりあえず出て、ネーヴェと取引きをしないか?」
そう提案したのは、大輝だった。
今は何の案もなく、出た案を否定するわけでもなく、この案を実行することにした。
小さな希望にすがることしか、今の私たちには出来ない。
大輝は咳払いをして準備を整えた。
そして、
「えーっと。ネーヴェの皆さん…。一旦、話をしませんか?」




