十五話 事実を越える『事実』、自分自身
森の奥深くまで来た。
横には川があって、草木は生い茂っている。
私たちは、ひたすら走って森の奥深くまで来てしまった。
私が止まると、二人も止まった。
「ねえ、森の奥まで来ない方が良かったと思うんだけど…。」
紗雪は息を整えながら言った。
「そう、だよね…。」
これだと、袋の中の鼠だ。
ネーヴェには居場所がバレてしまい、後はひたすら、探されるだけだ。
逃げる場所などない。
私は逃げることしか考えていなかったから、とりあえず走っていた。
今から森の入口まで戻れるかな。
いや、見つかるのは『時間の問題』だと思う。
私の一瞬の判断で、こうしてみんなの命がさらに危なくなった。
「ねえ、二人とも。」
「なに?」
「なんだ?」
「死ぬのって、怖い?」
私は聞いてみた。
みんなの考えが知りたかったから。
「俺は、怖い。だって、死んだら、俺の時間はそこからもう一生動かないんだぞ。周りの皆の時間は先へ先へと進むばかりなのに、俺の時間だけ、ぴたりと止まるんだ。そこで、『終わり』なんだ。」
大輝は、自分の『死』への価値観を、私と紗雪に伝わるようにゆっくりと話してくれた。
「私は、怖くない。それが、生まれた時から決まってた『運命』だから。そこで死ぬことが決まってたなら、怖がる必要もない。私はそこで、死ぬべき命だから。私の役目はそこで『終わり』なんだよ。」
紗雪は、大輝に続けて自分の考えを話してくれた。
二人は、そんな風に考えていたんだ。
私は、そんな定まった考えなんてない。
自分の『死』について考えたことなんてなかった。
私は、怖いのかな、怖くないのかな。
考えたくはないことだ。
自分が死ぬところを想像するなんてできない。
どこで、どうやって死ぬのかなんて、その時にならないと分からない。
でも、私たちの命はもうこの森で終わるのかもしれない。
紗雪はネーヴェに生かされるだろうけど、紗雪にとってそれは耐えられないことだと思う。
「二人とも、私たちの命はこの森で終わるかもしれない。それでも、絶対に離れないようにしようね。」
私は、私より身長の高い二人を少しだけ見上げて言った。
「そうだね。これが私たちの運命なら、抗う必要はないね。」
「違うよ、紗雪。抗い続けるんだよ。」
「え?」
「いくらそれが『運命』でも、未来は今の自分の行動次第で変わる。だから、抗うの。」
私が言っても説得力のない言葉だろうけど、全力で伝えた。
「そうだな。命が消えたらすべておしまいだ。せっかく生まれてきた命なのに、もったいないじゃねえか。俺たちとの記憶もなくなるんだぜ?」
大輝は紗雪を困ったような笑顔で見た。
そんな大輝を見た紗雪はふーっと息をはいた。
「二人は、強いね。私は、自分で未来を変えようなんて思ったことないかも。確かに、二人との記憶が無くなるのは嫌だ。だから私も、必死に抗うよ。」
紗雪は思いを固めたようだ。
「皆さん…。」
その時、かすれた声が、聞こえた。水崎さんが目を覚ましたみたいだ。
「水崎さん。」
大輝は水崎さんをゆっくりと下ろした。
「傷の具合は?」
紗雪は水崎さんの脇腹を見た。
「あれ?手当てされてる。」
紗雪は首をかしげた。
「ああ、それ、実は…。」
言いかけて、何と言おうか迷った。
時間が止まった時…なんて言っても信じてもらえなさそうだし。
「美和様…。時間を止めていらっしゃいましたね…?」
水崎さんは苦しそうに言った。
「なんで、それを…。でも、止めたのは私じゃないと思いますけど。」
水崎さんは私の言葉を聞いて、うっすらと笑った。
「美和様。お認め下さい。止まった時間の中で…動くことができたのは…美和様一人ということは、美和様が、時間の支配者で…あられるということですよ。」
水崎さんは脇腹を押さえながら言った。
「そんなことより水崎さん、傷のほうは大丈夫なんですか?」
私はそっちの方が気になった。
さっきからとても苦しそうだ。
「美和様、私はもうじき死にます。なので最後に自分が『水篠美和』だということをお認め下さい。美和様がお認め下されば、私も安心してあの世へ行くことができます。」
「あの世とか言わないでください。私たちはちゃんと水崎さんを連れて行きます。水崎さんも何か目的があるんですよね?」
私は水崎さんの目を見て言った。
水崎さんの目は、もう焦点が合っていない。
どこを見るわけでもなく、ただ焦点の合わない目で空を仰いだ。
「美和、様…。」
水崎さんは弱々しく私の名前を口にした。
「なんですか?」
「私の心残りは、美和様の…記憶です。美和様のお母様、美咲様は、亡くなられる前に…美和様の記憶を固体化させた…はずです。それが、どこかにあるはずなんです。」
水崎さんは私の袖を強く握りしめた。
その力がどんどん強くなってゆく。
「記憶の固体化?」
「はい…。美咲様の能力は…『記憶を固体化する能力』…だったのです。美咲様は…美和様の記憶を、何か、形にして…残したのだと、私は思います。」
私の記憶を固体化して形に残した…。
だから、私の三歳までの記憶がなかったのかな。
いや、私の記憶が無いのは交通事故に一緒に遭ったからだ。
記憶が無いのは、偶然だ。
「美和様、水篠家を、どうか…お願いします…。」
そう言われても、私は「はい」と言っていいのか分からない。
私は『美和様』じゃないかもしれないから。
「美和!」
突然、紗雪が叫んだ。
「どう、したの?」
恐る恐る聞くと、
「もう、認めようか認めないかで彷徨っている美和を見ていたら、イライラしてきた。こんなに水崎さんが苦しそうに言ってるのに、認めないなんて。美和が美咲さんの娘っていう証拠はもう、『事実』を通り越すほどあるのに!」
「だって…。」
紗雪は鋭い目つきで私を見た。
それと共に紗雪の目からは透き通る涙が零れ落ちていく。
まるで氷の粒のような涙。
私はそれに見入ってしまった。
「私が言う。美和は、美咲さんの娘ですよ、水崎さん!」
水崎さんはそれを聞いて、嬉しそうに力いっぱい笑った。
その笑顔は、最後の力を振り絞ったような、力強い表情だった。
「知って…ましたよ…。だって、美和様の笑顔…とっても…」
水崎さんは私を見た。
「美咲様に似ていらっしゃいますから。」
私の袖を強く握りしめていた水崎さんの手の力が、だんだん緩んでいった。
それを見た私は、はっとした。
「水崎さん、私は…」
――「水篠美和です。」
言い終わる頃には、水崎さんの手の力は完全に無くなっていて、力なく地面に置かれていた。
伝わったかな。
私が自分のことを認めたこと。
『水篠美和』は、三歳までの記憶がない。理由は、『美和』の母、美咲が死ぬ間際『記憶を固体化させる能力』を使い、形にしたから。
『高杉美和』は、三歳までの記憶がない。理由は、『美和』の両親が、交通事故に遭ったとき、美和もその車に乗っていたから。
『水篠美和』は、三歳から行方不明だ。理由は、『美和』の両親が、偶然の交通事故を装い殺害された時、ネーヴェにさらわれたから。
『高杉美和』は、三歳からあやめ孤児院で暮らしている。あやめ孤児院は、謎の多い孤児院で、『あの事件』にも、ネーヴェが関わっているとされている。
『水篠美和』と『高杉美和』にはある共通点がある。
それは、『時間を止める能力』を持っているというところ。
この異質能力は、水篠家の人間の血を引いている者しか持てない。
『水篠美和』と『高杉美和』は、同一人物だ。
つまり私は、
――『水篠美和』だ。