十話 紗雪の決断、美和の緊張
目を開けると、そこは薄暗い場所だった。
起きたばかりだから、薄暗くても真っ暗のように見えた。
「紗雪ー。大輝―。」
念のため何があるか分からないから小さい声で二人の名前を呼んだ。
でも、何も返事は帰ってこない。
さっきから、ガタンゴトンと床は揺れているし。
ここは、どこだろう。
このあとに続けたい言葉は「私は誰?」だった。
もちろん、私は自分のことを忘れたりなんかしてない。
ただ、「言ってみたかった。」だけだ。
なんで私はこんなどこかも分からないところでふざけているんだろう。
心の中でため息をついた。
いまいち深刻さが分かっていない。
自分の足だって撃たれてるっていうのに。
そもそもこの「私は誰?」って言葉はどこから来たんだろう。
そんなくだらないことをいろいろと考えていると、
ギィー
前から扉のようなものが開く音がした。
それにはさすがの私も驚き、このよく分からない部屋の隅っこに寄った。
だんだん目が慣れてきた私は、よく目を凝らした。
「…紗雪?」
そこには紗雪がいた。
「美和!」
紗雪は私を見るなり抱きついてきた。
そして、私のおでこに手を当てた。
「うん。もう熱も下がったみたいだね。」
「ここはどこなの?」
私が聞くと、
「貨物列車の中だ。」
と、扉の向こうから大輝の声が聞こえた。
「大輝もいたの!良かった!」
私は、無事三人いる事に安心した。
そういえば今、大輝は貨物列車と言った。
一体なぜ貨物列車の中にいるのだろう。
それと、あれから何日経ったのか。
次々と疑問が浮かんできた。
「大輝、私ってどれくらい気を失ってたの?」
「まあ、五日ってとこだな。」
軽く言った大輝に私は心底驚いた。
「い、五日!?」
思わず大声を出してしまった私は紗雪に慌てて口をふさがれた。
「美和!声が大きいよ!」
「ごめん…。」
「とにかく、お前を運ぶのは苦労したぜ。紗雪と俺で交代でおんぶしてやってたんだからな。それと、今、貨物列車に乗ってネーヴェの本部からなるべく遠ざかっているところだ。さすがにここまでは来れない。はず。」
「そうなの?」
大輝は自信なさげだけど、本当に大丈夫なのか。
やっぱり、迷惑をかけてしまったようだ。
思えばずっと二人に迷惑をかけてしまっていた。
役に立ちたいとはいえやり方が分からない。
私は二人の足手まといだ。そんな時、
「美和。私、やっぱり、ネーヴェに行こうと思うの。」
「え?」
思いがけないことを言われ、私はぽかんと口を開けた。
大輝の方を見ると、大輝も驚いてるようだった。
「な、なんで?」
「狙いは私であって、二人じゃない。それに、お父さんの顔を見てみたい気もするし…。」
「は?」
私は、紗雪の理由が意味不明だった。お父さんの顔を見たいって、自分を捨てた親なのに?これは、絶対に嘘だ。私たちを守るための嘘なんだ。
『優しくて悲しい嘘』なんだ。
私には一瞬で分かった。
紗雪は小さい頃からこういう性格だった。
大輝だって嘘に気づいてるはずだ。
なんで、私たちを頼ってくれないんだろう。
なんでいつもすべてを隠そうとするのだろう。
私には分からない。
全て言えばいいのに。
『本当は離れたくない』って。
「なんでなの…?」
「え?」
「なんでそうやっていつも自分だけ犠牲にしようとするの?」
「…どういうこと?」
「私が気付かないとでも思ってるの?」
「……。」
「バカなの?」
私は静かに言った。
正直、心臓がバクバクしていた。
初めてこんな事を言ったから、とても緊張した。
ゆっくりと顔をあげて、もう一言言おうとした時、
「じゃあ、美和は自分のせいで大切な人が傷つく気持ちが分かるの?」
それを言われた私ははっとした。
紗雪の声は、静かで鋭く、震えていた。
下を向いていて表情は分からないが、多分怒っているんだと思う。
「いつもいつも、美和が傷つく時は美和が私をかばったとき。美和は助けることができて嬉しいだろうけど、助けられた方は罪悪感でいっぱいなんだよ。その気持ちが、美和には分かるの?」
私は、何も言えなかった。
静かに怒っていたが、迫力がすごかった。
よく通る声が貨物列車の中に響いた。
水のように透明で綺麗な声は、真っ直ぐに私の心に刺さった。
紗雪の気持ち、考えているようで考えていなかったんだ。
私は、最低だ。
「今度くらい、美和のことを助けさせてよ。」
「ごめん、それはできない。」
私は、悪いと思っていたけど、紗雪の願いをすっぱりと切った。
それだけはできない。
「これは、そんな軽いことじゃない。今まで私が傷ついたからって今度は紗雪の番なんてことはあり得ない。たとえ死んでも。」
私は最低だ。
でも、それだけは譲れない。
紗雪をネーヴェにやすやすと引き渡すことなんてできない。
紗雪は物じゃない。人間だ。
「…なんでよ。なんでよ!」
紗雪は、とても大きな声で叫んだ。
静かにしなきゃないけないのに、紗雪の声は貨物列車に響き渡った。
大輝は慌てた様子だ。
「さ、紗雪、落ち着いて。」
「無理。」
紗雪は即答した。
相当怒っているみたいだ。
私もきっぱり言いすぎた。
紗雪は大輝の方へずかずかと歩いていった。
大輝は何をされるのかという表情で身構えた。
そんな大輝をよそに、紗雪は素早く大輝のポケットに手を伸ばした。
大輝は思いも寄らぬ様子だったが、すぐにしまったという表情を浮かべた。
紗雪が手に取ったのは、銃だ。
大輝が止めようとした手は、一歩遅かった。
紗雪が銃を取るなんて思いもしなかったんだと思う。
そして、紗雪は使い慣れたように銃の安全装置を外した。
カチャッ
私と大輝は一ミリも動けなかった。
紗雪がこれから何をするのか予想もつかないからだ。
紗雪は、銃を自分のこめかみに当てた。
人差し指は引き金についていて、少しでも力を入れれば、発砲されるだろう。
紗雪の表情には、恐怖など全くなかった。
腹を決めたのかもしれない。
「美和。私が死ねば、ネーヴェは誰にも用が無くなる。」
私は息を呑んだ。
紗雪は本気なんだ。
「さあ、どっちか決めて。」