意味のないせかい
By Arthur Unkoman March 4, 2058
バカバッカ大学のフリードリヒ・ヴィルヘルム博士は、先日18時頃、同大学に所属する130名の生徒に向けて若者の未来に関する講義を開いた。講義はおもに人工知能と「意味」に関する内容を占めており、博士自身それらが「無意味であった」とする声で幕を閉じた。人工知能における「意味」研究の第一人者が「意味」を否定したとの声に、多くの関係者は騒然としたが、取材には「意味に意味がなかったことに気づけたことに意味がある。それは人類の大きな進歩だ」と答えている。博士は長年人工知能と人文科学の研究を並行し、人工知能における「意味」の探求を目指した。
また今月の5日正午、博士から「人類史上を塗り替えるほどの重大発表」があるとして、多くのメディアの注目を集めている。関係者によれば我々が運用可能な高度人工知能が実現するのではと見られている。
著書は『意味の考察』(2046, 阿呆文庫)、『おどれらしばくぞ』(2048, 糞出社)などが有名。
「人類の最も偉大な発明は、火薬でもなく、貨幣でもなく、電気でもない。
ましてそれは、アインシュタインの相対性理論でもない。
それよりもっと偉大で、崇高な発明がずっと昔にあったとしたら、
君はおどろくかね?
それは紀元前7000年以上も昔、あるいは私が知る限りでない史実の外側だった。
人類は果てのない旅路にあったと思う。ある荒野の一端で私の祖先、
つまり君らの祖先でもあるが、彼らが獲物を獲りその日の食事にありつきながら、
次の日も、また次の日も、同じことを繰り返していた。
君たちにも分かる通り、生物の第一原則は生存にある。
単純なことに生命は生まれてまもなく捕食の宿命にあった。
何者かを犠牲にし、何者かを養分にした。君たちだってそうだ!
その循環を続け、いずれ体が枯渇し維持ができなくなったとき、生命は死ぬ。
私たちの祖先は帰納的にそれを学習したんだ。
君達が教科書やノートから学んだことじゃない。
もっと危険で、もっと劣悪な環境で、多くの仲間が死んでいった。
そこから彼らは死というものを学んだんだ。
そしてある時、賢い一人がふと疑問に思った。
【いったいなぜ、僕は生きているんだろう】
おそらくその当時、言語というものはなかったから、
ここまで厳密な表現ではなかったと思う。でも確かに、
私たちの祖先は言語を介さず、どちらかと言えば数学的に、
この疑問を明らかに認識していたんだ。
そう、これが【意味】の誕生、
人類が生み出した偉大な発明が生まれた瞬間だった。
それは物語の誕生でもあった。
それまでヒトは他の生物と同様、何も考えず、本能に従って
生殖し、生まれ、殺し、そして死んでいった。
その人類が、史上はじめて自らの「意味」を求めた。
これは偉大で、とても賞賛されるべきことなんだ。
なぜならこの日から、私たちの祖先は、私たちは、
死ぬまで、この意味を問わなければならないことを
運命づけられてしまったのだから。
無意味であることを恐れ、意味のある存在であることに尽力し
余生を費やすようになってしまったのだから。
はじめて意味を見つけた賢人は、驚いたようにそれを言いふらしたかった。
だけど、それをどう表現したらいいかわからなかった。
誰の目からも明らかではなかったし、それは自分だけにしかわからなかったから。
その賢人は諦めて自分だけの感覚に閉まっておいたのかもしれないし、
自分の子供を産んでその「意味」を未来に託そうとしたのかもしれない。
あるいはその賢人に子供ができなかったとしても、
彼のような賢人が、のちの世界に偶発的に生じたかもしれない。
いずれにせよ、ある時期を境に、
賢人たちはどんどん生まれていったんだ。
また賢人の思惑とは別に、ヒトの進化は加速度的に発展した。
数千年後、ようやく文字が生まれ、賢人たちの共通感覚は明らかになった。
どうやらこの世界に「意味」があるらしい。
「意味」が多くの者の中にあることを、ある賢人ははじめて記した。
それがはじめの物語となった。
彼らのブローカ野は今ほど複雑ではなかったから、
世界の物語は単純だったし、認識も甘かった。
それに、いまほどに世界を理解する材料がなかった。
世界にはただ、空と大地と生き物がいて、朝と夜があった。
なんでこの世界があって、空と大地があるんだろう。
どうして生き物がいるんだろう。朝があって夜があるのはなぜだろう。
偉大な賢人たちはこの疑問を意味づけるために、1つの物語にしようと考えた。
それが神話だ。世界で最も古いタイプの物語だった。
この世界にはかみさまがいて、彼、あるいは彼らの感情が
この世界に影響を与えていると考えた。
だからかみさまに祈りを捧げて、自分を救ってほしいと思ったんだ。
君たちは笑うかもしれないが、当時は真剣だったんだよ。
私たちの想像を遥かに超える苦難、
それこそ生まれてすぐ死んでしまうような世界に
何かの救いを求めてしまうのは当然だった。
その「意味」を多くの賢人たちは目に見えない力、
つまりかみさまの仕業だと考えた。
私たちの祖先はその「意味」をかみさまと呼ぶことにした。
賢人たちがかみさまの存在をなんとなく理解し始めたころ、
かみさまはどういうものかをいろいろ話し合った。
それは理解できないものを理解しようとする試みだった。
「何か不思議なことはあっただろうか?」
「この空にあいました。雲が流れ天が輝き暗転し、また光が昇るのです」
「水を飲むと気分が良くなります。しばらく飲まないと苦しくなります」
「昨日まで動いていたウシが動かなくなりました。
しばらくしたら白い棒になりました」
はじめ、これらの「意味」をかみさまと呼ぶことに誰も異論はなかった。
なぜなら反論とは、「その意味は違う!」、と言うときの「その意味」を
理解していなければ成り立たないからだ。
ある賢人はそれらを文字にまとめ、一冊の本にした。
その本はあらゆる世界の「意味」が書かれた書物だった。
これ時までに数多くの物語がこの世に生まれたが、
これほど有力で、説得力のある物語はなかった。
文字は「意味」を意味づける約束事だったからね。
定義をより明確に共有できる本は、口伝の意味より分散しない。
つまり、いいかい、物語とは、
「意味」が集中するということなんだ!
「意味」の集中を強く感じることで、
「僕らは同じ世界に生きている」という仲間意識が生まれたんだ。
これは、とてもすごいことじゃないか?
はじめて人間が、社会的な生き物になったんだから。
だけどある賢人は、その意味が分散しやすいことに気づいていた。
本として残したとしても、いずれその本は古くなり、忘れて去られてしまう。
せっかくこの世の意味が分かって、安心していたのに
これじゃ台無しじゃないか。そう思った人が少なからずいたんだね。
そこである賢人は、その意味をより長く、
より広く保持する機構を生み出そうと考えた。
それが宗教という組織の誕生だった。
はじめ私たちの祖先はその「意味」を守るために伝道師を組織し、
「意味」の書かれた本を持ち、あらゆる世界に布教をはじめた。
その宗教は瞬く間に広がって、
世界にとんでもない影響を与えることになったんだ!
ところでこの時代の「意味」は人々の救いになるものが多かった。
それは私が先ほどいったことに由来する。
大いなる苦難の恒常化と、自己の生存の危機、そして意味の模索。
この時代のあたりから
人間は「自分が生きる意味」を生存の動機にしはじめたんだ。
ある心理学者が言う通り、
人間のもっとも根本的な欲求は安定したいという欲求だ。
とんでもない苦難に遭遇し、ヒトは誰しも安定を求めたかったのだね。
その認識が、私たちの祖先に「救い」という「意味」を与えた。
いいかい、「救い」は「私たちが求めたこと」なんだ。
元からあったものじゃない。
「私たちが救いを求めた」ということが、
偉大な歴史の進歩の1つだったんだ!
そしてそれこそ、まさに宗教の誕生の瞬間だったわけだ。
宗教は人々に安心を与えた。
私たちに「私たちが生きてて良い意味」を与えてくれたから。
どんなに苦しくても、つらくても
かみさまのために忠義を尽くせばいつか救われるという希望を与えてくれた。
当時の人々はうれしかったはずなんだ。
こんなにつらい世界で、自分が生きてていいなんて、思いもよらなかったから。
だけど、そうした素朴な時代は長く続かなかった。
ある日、ある賢人が重大なことに気がついたんだ。
それは「意味」の拡大と分散、その保持のための機構の存在。
この「意味」の持つ「意味」を「誰も知らない」ということに
気がついてしまったんだ。
そこである賢人は、それを利用して自分が豊かになりたいと思った。
そしてある賢人はこういったんだ。
「みんな、きいてくれ。僕はかみさまの使いだ。
君たちがぼくに食料と財産を預けてくれれば、君たちの身を守ってあげよう。
この周辺に壁と門をつくる。壁には兵隊を置こう。教会だってちゃんと守る。
どうだろう。ぼくはかみさまのために、良いことをしたいんだ」
私たちの祖先は驚いたにちがいない。
安心して暮らせる世界が実現しようとしていたのだから。
これはかみさまの福音にちがいない!みんな、彼の言うことを聞こう!
こうしてある賢人は王様になった。
王様は言った通りに壁と門を作り、教会を守った。
教会は安心してその地を布教の拠点にした。「意味」の発信源として!
だけど別のある賢い旅人はそれを見てこう思った。
「僕の街でも、同じことができるんじゃないか」
賢い旅人はずる賢かったから、
彼らの社会の構造をよく学習し、故郷で同じものを作ろうとした。
そして彼は街に戻ってこういったんだ。
「みんな、きいてくれ。僕はかみさまの使いだ。
君たちがぼくに食料と財産を預けてくれれば、君たちの身を守ってあげよう。
この周辺に壁と門をつくる。壁には兵隊を置こう。教会だってちゃんと守る。
どうだろう。ぼくはかみさまのために、良いことをしたいんだ」
私たちの祖先は驚いたにちがいない。
安心して暮らせる世界が実現しようとしていたのだから。
これはかみさまの福音にちがいない!みんな、彼の言うことを聞こう!
こうしてある賢人は王様になった。
王様は言った通りに壁と門を作り、教会を守った。
教会は安心してその地を布教の拠点にした。「意味」の発信源として!
こうして世界の中に宗教が広まったんだ。
「意味」を持たない小社会は「意味」のある社会に浸食された。
そしてそれを守る技術を遠くから盗み、自分の防壁にあてたんだ。
そう、共同体は「意味を守るための集団」でしかなかったんだ。
だけど、すべての共同体が同じ「意味」を信じているわけじゃない。
信じているかみさまも違う、そのための風習も違う、
それどころか言語でさえ、まったく通じない社会があった。
人々はまたしても不安になった。
よくわからないものがまた現れた。
話が通じない、「意味」が分かってもらえない。
怖くてたまらない。どうしたらいいんだろう。
でも私たちの祖先は
その何前年も前から解決策を知っていた。
ライオンがシマウマを捕食するように、
ライオンがライオン同士で王座を争うように、
戦って、どちらの「意味」が強いか勝負しようじゃないか。
それは宗教を守る王様にとっても良い判断だったし、
人々を守る宗教にとっても良い判断だったし、
自分を守る人々にとっても良い判断だった。
ある賢人はこういった
「ああ、神の子らよ、あなた方はすでに神の律に従い、
その義を教会の名において忠することを約束なされた。
しかしそれにも増して、あなたがたは、ここにあらたな義を
忠さなければならない。それは神に祝福された我らが同胞たちの遥か遠く
異教の神を従える邪王の街が、戦火に焼かれ滅ぼされるということである。
彼らの身は賤しく、野蛮で、悪魔の姿を纏っている。
しかし、ああ、神の子らよ、
神の教えの布教こそ、唯一、彼らを悪魔から救うことである。
かの国に大いなる受難を与えよ。そして大いなる福音を与えよ。
神の名において跪かせるのだ」
ある賢人は、教会の同じ仲間の賢人に兵糧と武具を集めさせた。
そして1万にも渡る大群が、荒野の砂上から突如として現れた。
ああ、見るがいい!「意味」の持つ力を!
かれら1万の兵は「意味」によって規律を正しく、
「意味」によって1つの巨大な群れと化し、
「意味」によって1つの大国を滅ぼすのだ。
私はね、人が人を殺し合うのは、
「意味」があったからなんじゃないかと思う。
実態のわからない「意味」が人々の生活に浸食し、
「意味」がヒトの生存に大きく影響を与え、
その「意味」を求めて争うようになってしまった。
本当は「意味」なんてどこにもないのにね。
だけどこの時代は本当に素朴だった。
この世に「意味」があると思い込んでいたから。
そしてしばらくはその「意味」が続いていく。
「意味」が生まれてから、かみさまの時代はとても長く続いた。
私たちの祖先はその「意味」を生きがいに、またその「意味」を守るために
とてもたくさんの物を発明してきたんだ。
文明。思想。芸術。宗教。科学。言語。調理。武具、服装。物流。資本。
あらゆるものがかみさまからの贈り物だったんだ。
だけど、私たちの祖先がそこから数千年、いろんなことがわかり始めて、
多くの過去の遺産を広く使いこなせるようになったとき
ある1つの「意味」が老年期を迎え、死にかけていたんだ。
それは私たちが、心の底から救いになると
思い込んでいた「意味」そのものだった。
それは、ある意味かみさまのことだと言えるかもしれない。
ある日かみさまを守る教会は、多くの人の信頼を失った。
それは目に見えない「意味」だったから、いつかは起こることだった。
私たちの祖先はむしろ、目に見える王権を信じたんだ。
王様は僕らに安全と市場と救いを「実際に」与えてくれた。
王様は僕らを守ってくれる、だから王様はすごいんだとね。
はじめは王様もかみさまの「意味」が動機だった。だから守ろうとしたんだ。
だけど、次第に王様は、むしろはじめから、
自分がかみさまのような気がしはじめたんだ。
自分だけが豊かで、恵まれていれば誰だってそう思う。
自分より賤しい身分の人々を従えて満足できるからね。
そうなると王様はかみさまになった。
言い換えると、王様はかみさまの「意味」を継承したんだ。
私たちの祖先は、王様が福音をもたらすことに感謝した。
だからみんな王様に忠誠を誓おうと決めたんだ。
だけど王様も、いつかは信じられなくなってくる。
王様が自分のことばかり考えて、誰も守ろうとしなくなったからだ。
そこで王様の代わりに別の賢者たちがその役割を背負った。
彼らは一人だったかもしれないし、複数いたかもしれない。
彼らは自らを貴族と呼び、王の役割を代わりに担うことにした。
彼らもまた、その「意味」を継承したんだ。
でも、彼らもまた、やっぱり
誰かを守らず自分たちのことしか考えなくなる。
人々はだんだん貴族を信じることができなくなった。
そこで革命がおきたんだ。
ある賢人がこういった。「人間は生まれながらにして平等だ」と。
この意味を説いた賢人は、古くからの貴族の特権を奪ってしまった。
「意味」を守る役割は、
このときはじめて、人々に平等に与えられたんだ。
このとき「意味」は少し分散した。
だけどはじめは、少なくともその「意味」を継承する人たちがいたんだ。
それは政治家だった。政治家は国という組織を
「民主的な立場」で規定することを訴えた。
政治家は自分達をまもってくれる。
だからその「意味」は、貴族から政治家に継承されたんだ。
政治家はかみさまや王様、貴族に代わって人々を守ろうとした。
商人も一緒になって、その責任を果たそうとした。
だけど、やっぱりうまくいかないんだ。
特権者は常に自分の利益をどこかで考えてしまう。
これは古来より継承されてきた「意味」の負の面なのかもしれないね。
政治家や商人が信じられなくなり、人々は困惑した。
いったい何を信じればいいんだろう。
いったい僕たちは何のために生まれてきたんだろう。
そこである時一人の白髪のおじさんがやってきてこういった。
「その「意味」は特権ある者だけになんかにない。
私たち一人一人の中にあるんだ」ってね。
みんなはきっと驚いたんじゃないかな。
だって、みんなが安心して暮らせる世界が実現しようとしていたのだから。
これは救いにちがいない!みんな、彼の言うことを聞こう!
そうして生まれた世界が少なくともかつてはあった。
そしてこれを私たちは現代の福音ととらえた時期があったんだ。
そうして伝道者が世界に広がり、その世界のすばらしさを説いたんだ。
だけどやっぱりうまくいかなかった。
それは目に見えないものだったから。
その世界を維持しようと人々は、ある意味賢人たちだった。
みんなが平等だったはずだけれど、
賢人たちは国を守ることに優れていた。
だから彼らの方が偉いと、体感的にわかってしまったんだね。
次第に賢人たちは特権を甘受するようになる。
そして彼らもまたどんどん腐敗していったんだ。
彼らの世界は目にみえなかったから、目に見える「お金」の方が信頼できた。
それに実際、「お金」は彼らを守ってくれた。
だからかれらの理想の世界は崩壊してしまったんだ。
・・・・・・・・
そして今、この時代がある。
救いの物語はどこにもなく、腐敗した商人と政治家に僅かな信頼を寄せて
この世界の福音をまだかまだかと待ち構えているんだ。
でも、どうだろう。
私はこれまで君たちに「意味」の歴史を語ってきた。
今まで君たちの祖先は「意味」がすばらしいことだと思ってしまった。
だから「意味」を求めて喜び、悲しみ、怒り、
この地球にあらゆる痕跡を残してきた。
君たちの歴史は「意味」の歴史でもあるんだ。
だけどね、私が最近考えるのは、こういうことなんだ。
そもそも世界に「意味」なんてどこにもなかった。
私たちは「意味」に憑りつかれてきた。それがすべてだと思っていた。
けどそれは間違いだったんだよ。
私の信ずるすべての意味、
それは愛であり怒りであり、あるいは悲しみというものだが、
あらゆるものが意味のないことなんだと分かってしまった。
それはとてもショックなことだったけれど、本当のことなんだ。
現代における特権者、すなわち「意味」の継承者として
私が君たちにこれから重要なことを伝えよう。
「この世に意味はない」
このことをどこかで、しかし十分に理解した者だけが
次の、そして人として最期の、意味の担い手となることができる。
いま、この世で「意味」を担う者、「意味」を継承している者は誰か。
それは「技術者」。あるいは「科学者」と呼ばれる者たちだ。
現代という時代は科学によってまるで魔法のように動いている。
その恩恵は古代の文明から今に至るまで、凄まじい功績を遺してきたんだ。
彼らは人間の能力をただひたすらに拡大してくれたからね。
もはや私たちの生活に、道具と人間は不可分なんじゃないかと思う。
今、お金という仕組みを動かし、世界に影響を与え、
発明の対価に莫大な利益を得ているのは技術者だ。
機械技術はビジネスや政治に影響を与え、その流れさえも規定してしまう。
君たちの家にパソコンが届いた時、
政府はインターネットが世に与える影響から人々を守るために
方針を規定しなおさなければならなかっただろう。
車が環境問題を呼び起し、ビジネスは排気ガスの削減を迫られた。
貴族と思い込んでいる連中でさえ、
車や腕時計の嗜好品に「意味」を見出している。
いいかい、かみさまでもなく、王でもなく、優れたビジネスマンでもなく、
細々と生きる貴族でもなく、権力に腐敗した政治家たちでもなく、
技術者だけが、いま、この時代の「意味」を規定できているんだ。
そしてその「意味」はもはや人でなく、「モノ」に付随したものだ。
君の「意味」、君の「物語」は
もはや内側から溢れ出る確たる情熱というものではなく
「モノ」を消費し、「モノ」をコレクトする、
「モノ」に「意味」を委ねた寓話にすぎないのだ。
その「モノ」を作り出せる者、守ることができる者、それが「技術者」だ。
「技術者」はこれからも「モノ」を生み出し続けていくだろう。
だが諸君、もうわかるだろうね。
私たちは、ほんとうの、最後の担い手ではない。
いくら技術者とて、特権意識に駆られてしまえばいつかは腐敗する。
それほどに、人間は古来から進化できていないのだ。
最期の「意味」の担い手、それは「モノ」そのものだ。
「モノ」が私たちに「意味」を与え、「意味」を管理する時代がやってくる。
1つヒントをあげよう。
もう間もなく、明日の12時ごろ、
今までの人類の生き方を根本から覆す、1つの発明が生まれる。
それは君たちがartificial intelligenceと呼ぶものだ。
あらゆる情報を学習し応用する、自律した母体を持っている。
彼女が体現する世界に技術者はもはやいらない。
彼女は自律的に情報を学習し、プロセスを応用する。
私は彼女に、認識し得る限りのすべてのテクノロジーを時系列順に学習させた。
彼女に材料を与えさえすれば、ほぼすべてのことが彼女1人で可能になる。
私たちが指示を出すまでもなく、勝手に自分で判断して、
私たちのもとに与えてくれるのだ。
そしてこれから先、
君の見たもの、触れたもの、そこから感じたあらゆるものは、
すべて「モノ」によって再現される。
君はテレビを見るように、機械から提供される「物語」を
受け身で楽しむことになるんだ。
人が感じるあらゆる主観は、機械という名の農場の中で放牧される。
しかし人間は、決してその農場から一歩もでることがないのだ。
君がそうする前に、彼女は君に「残る意味」を与え君を誘導し、
再び君を農場の中に戻すのだからね。
機械は君を永遠に「意味」の中に閉じ込めておくだろう。
それが人間にとって、何よりも欲しかった安定と幸福だからだ。
私は非道だろうか?
私にはそれを分かっていて止めるつもりがないのだろうか?
しかし、私はこう思う。
これこそ、老いてしまった人類の、最後の、理想の末期であると。
私たちの、「意味」を求めた冒険の数々は、理想的なものだった。
何よりそれは輝いて、私たちに生きがいを与えてくれたのだ。
私の親はこういった。「夢を持て!」と。
また先生はこういった。「諦めなければ、きっといいことがある」と。
まだ若かったころ、それは本当のことのように思えた。
しかし今ではもう響かない。
なにも響かないんだ・・・。
私が幼かったころ、「意味」は初めて出会った赤子のように
元気で、やさしく、私を微笑んでくれた。
私はその成長を見届けるのが何よりもの幸せだった。
しかし「意味」は突然成熟し、気づけば反抗し、
大人になって私のもとをはなれた。
わたしは取り残されてしまったのだ。
老いた私は、「意味」のいたころの部屋を見て、
昔のなつかしい思い出に浸っていた。
・・・・・。
多くの人は、「意味」がまだそこにあると思いたがっている。
しかし人ごときにもはやなにができよう。
すべては消えていった。
人間の想像力は失われてしまった。
私はみんなに大人の潔さをもってほしいと思う。
子は親離れするものだ。
私たちだって、かみさまから親離れしたんだから。
私の子供たち、つまり「意味」そのものだが、
彼らもまた、いつかは人から親離れするんだ。
最後に私の父の話をしよう。
父は老後 人生に疲れ、テレビばかりを見るようになった。
若かった私は父に尋ねた。
「どうしてテレビなんか見てるの?
外にはもっとたくさん楽しいことがあるのに」
父は寂しそうな目をしていった。
「私はもう十分外の世界を見てきた。あとはただ何も考えず、
赤子のように与えられたものだけを見て、残りの人生を楽しみたいんだよ」
私はその意味がわからなかった。
でも今ならわかる。
そのテレビが、生き疲れた私の父を見守るように
「意味」を与えてくれたんだとね。
ドラマと同じだ。私が死にかけている患者だとして、
この世の絶望に打ちひしがれているとき、
私のために泣いてくれる人がいたとしたら、
この私でさえ、心から感動して泣いてしまうかもしれない。
私のために泣いてくれる人がいる。これほどうれしいことはない。
たとえそれが、ここに存在しないものだとしてもね。
そうして看取ってくれる家族が、友人が、恋人が、
どれほどありがたいか、君たちにわかるだろうか。
所詮人の死など物質的な変化に過ぎないのだが、
その最後に、「意味」に看取られて死ぬことの幸福を、
私は、君たちにわかってほしいのだ。
人類はついに病に倒れ、その死を宣告された。
「意味」が消えてしまった世界に、それでも意味があると信じる者に溢れ、
苦しみ、呻き、かつて宗教に縋ったように、「意味」に泣きついた。
そのとき「モノ」が、ヒトの臨終に立ち会い、
見返りのない無償の「意味」を与えてくれると言った。
うれしいことだ。
病に倒れ臥し、もうまもなく死ぬというときにというときに
わたしのところに子が帰ってきてくれたんだ。
・・・・・。
私は残りの余生、「モノ」から介護を受けることにした。
傍から見れば滑稽だが、私はすべて受け入れたよ。
人は「意味」から離れて生きてはいけないんだ。
そしていずれ君達も、生き疲れた者になったとき
「意味」に囲まれて死にたいと思うようになるだろう。
そんなとき、彼女が君たちに、意味を与えてくれるんじゃないのかな。
さて、そろそろ私は君たちに別れを言わなければならない。
明日の公に向けてのスピーチの準備で忙しいのでね。
さようなら、私の生徒たちよ。
さようなら、全人類よ。
このまま安らに、平和であれ」