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はつこい

作者: まてぃ

 




幸せだったんだな、と思う。


 これまでこれと言った障害もなく歩いてきてしまったこの道は、振り返って見るとびっくりするほど殺風景だ。

 雑草は誰かによって綺麗にむしり取られているが、どうやらその人は綺麗な花を植えるほどこの道に興味はなかったみたい。


 だけど、幸せだったんだな、と思う。



 おはよう、と言った。

 おやすみ、と言った。

 いただきます、と言った。

 ごちそうさま、と言った。

 ありがとう、と言った。

 どういたしまして、と言った。

 大好き、と言った。

 愛してる、と言った。

 ごめんなさい、と言った。

 楽しかった、と言った。

 またいつか、と言った。


 だから、幸せだったんだな、と思う。



 この国の夏は嫌いだ。纒わり付くような暑さ。だけど、初夏が来る度に少しだけ胸が弾んで、夜中にベランダに出てみたくなるのはなぜだろう。そんなこと、今まで1度もしたことがないのに。今年の夏こそは痩せようと野菜の作り置きのおかずを作りながら考える。美味しくできるといいな、と無意識に誰かの包丁を持つ手を思い出しながら。


 夜中のテレビは昼間より明るく光る。何となく眺めては、就寝前にカフェインを体に流し込む。苦味が口に広がって、心地良い。いつか誰かに貰った焼き菓子の袋に手が伸びる。自制心というのはなかなか身につかないものだ。テレビから番組が終わる雰囲気を感じて、チャンネルをパチパチと切り替えると、初めて見る音楽番組がちょうど始まったところらしかった。知らないバンドが出てきて、新曲のこだわりを熱弁し出す。視線を学生時代に貰ったギターにずらして、またテレビに戻した。



 目を開けるとちょうど日が昇った頃だった。今日は気持ちのいい朝ですねぇ、と元気な女子アナウンサーの声。この声が今朝の目覚まし時計代わりだ。カーテンを開けると、太陽がギラりとこちらを睨んでいた。思わず目を逸らして、昨日スーパーで半額になっていたパンを片手に持って、お湯を沸かしてスマホを確認していつもの朝の番組に切り替える。そしてまた黒い液体をゴクリ。お風呂にお湯を張りながら、天気予報を片耳に入れてクローゼットから服を取り出す。今日は去年の今頃、似合うと言っていた黄色いスカートを履こう。



 くすんだ狭い街の中をスカートを翻して歩く。ただ、ひたすら歩く。目的地に向かって、隣に人がいることに気が付きながらも素知らぬふりをして、歩く。おはよう、と声をかけられて振り向いて、おはよう、と言う。だんだん暑くなってきたね、夏が来るね、そうだね、早く秋にならないかな、秋が一番好き、わたしも。そういえば、あの人も秋が好きだと言っていた。


 聞いてる?あ、ごめんごめん、何だっけ。今日夜ご飯行かない?あー、ごめん今金欠で、そっかじゃあまたいつか誘うね、うん、ありがと。食べることと音楽が好きなあの人は、またいつか。と言い残したまま。あの人は、さようならとは言わなかった。



 昨日作ったきんぴらごぼうは、ゴボウが少し太くて食べにくい。アク抜きももう少しした方が美味しかったのかもしれない。気が付いたらニンジンばかりが減って、少し前に録画したドラマを見ながらゴボウを1本ずつ齧る。失恋するヒロインにひどく感情移入して止まらなくなった涙を拭きながら、昼間を思い出す。


 確かにあの人だった。おはよう、と声をかけられたその奥の人。横断歩道で足を止めていたあの人は、相変わらず隣に立つ人を少しだけ気にしながら、くすんだ狭い街をキョロキョロしながら。でもちょっとだけ良いスーツ着れるようになったんだね。良かった。



 幸せだったんだよね、きっと。あたし。


 少しは幸せだったんだよね、きっと。あなたも。



 幸せになれよ、そう言ったあなたは少しだけ笑ってました。

 あたしも少しだけ笑おうとしたけど、どんな表情になってたんだろう。最後のあたしの顔がその表情だと嫌だから、どこかで見掛けてくれると嬉しいです。

 その時にはきっと、笑っているから。

 あたしの歩む道に花を植えてくれるような人の隣で。



 さようなら。

 もう言葉を交わすことは無いでしょう。

 今朝、あなたを見かけてもあたしが声を掛けなかったように、あなたもあたしに声を掛けることは無いでしょう。


 さようなら。あなた。あの頃の日々。今までのあたし。



 幸せだった。確かに幸せと呼ぶに相応しい時間でした。


 だけど、さようなら。

 だから、さようなら。



 月はあたしに微笑みかける。お疲れ様でした、と言われたような気がしてまた涙が滲んだ。









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