第19話 幸せと呼ぶにはまだ切ない
物語は佳境へ
「忘れる」ことは見つけなければそれは「無い」と同じことだ。
「無い」と思っていたことを「有る」ことにするのは真実を知ることだ。だが、どこかで何かがきっかけで真実を知ることになる。忘れるとは完全に「無い」にはできないのだ。
なぜならそこに真実が必ずあるからだ。
家に帰ると秋音ねぇにかなり心配された。顔に腕に足に傷を負っていたので、カツアゲされたのかと思ったらしい。事情を話したら強く抱きしめられた。
春生ねぇと秋音ねぇと俺で軽く家族会議を開き、藤馬の家であったこと、藤馬さんのこと、すべて話した。春生ねぇも「よく頑張った」と褒めてくれた。でも無茶しすぎと怒られた。俺は疲れていたので早めに床についた。
***
「ねぇ、春生ねぇ。なっくんに本当のこと、言おう? きっとあの日のこと忘れてるんだよ。この間お母さんの部屋に入って遺品探してた。びっくりするほど忘れてたよ」
「そう。なつの中ではあのことはなかったことになっているのね」
「凜華ちゃんがそれでもなっくんのそばにいてくれるなら、大丈夫な気がする」
「もし、それが不可能なら、もうなつは戻らないかもしれないわね」
「それでも・・・」
「うん」
***
冬休みに入ってすぐに秋音さんから連絡があった。
「都合がよければ今からうちにきてくれないかな? 話したいことがあるの」と。いつもの元気な声ではなく落ち着いた声だった。気になったので私はじいじに頼んで月島さんの家へと連れて行ってもらった。
「ごめんね、急に。本当は私がいけばよかったんだろうけど」家について秋音さんの部屋に案内された。秋音さんはどこか元気がなさそう。どうしたんだろう?
「今日、月島さんは?」
「なっくんは買い物に言ってもらったからいないよ~当分帰ってこない」つまりは月島さんなしで話がしたいということなのか。もしかしてこの間の事、私が怪我をさせたことで叱られるのだろうか。
「こ、この間は月島さんに怪我をさせてしまってすみませんでした。あの、私に出来ることはなんでもするつもりです」私は深々とお辞儀をする。
「え、あー! そーいうんじゃないんだよ! ごめん! 誤解させてるかな? 私が真面目すぎるからかな?」
いつもの秋音さんだ。不安が一気に消えた。
「いえ、いつもと違った雰囲気だったので」
「だよね、私らしくないよね。でも、真面目な話なのは本当」
秋音さんは立ち上がって本棚にある古くて分厚いアルバムを取り出した。
「まずこれ見て。お母さんの遺品なの。凜華ちゃんのお母さんもいるよ」
「え?」
「聞いていない? 凜華ちゃんのお母さんと私達のお母さんは親友だったんだって。あの葉月先輩がライブで歌っていたあのバラード曲は私達のお母さんが学生時代に作った歌なんだって」といって高校時代の写真を見せてくれた。
「お、お母様です。確かに」私は驚きを隠せず両手で口を覆った。
「運命、だよね」
「本当、ですね」お互いクスっと笑う。そして秋音さんが深呼吸する。
「?」
「凜華ちゃん。あなたに知っていてほしいことがあるの。聞いてくれる?」
秋音さんは本題を話そうとしているのを察して私は正座をして姿勢を正した。
「はい」
「そんな、かしこまらなくてもいいのに。でも、まぁ真剣な話だからいっか」
秋音さんも正座になる。
「あのね、なっくんのことなんだけどね。なっくん、昔死のうとしたの」
思いもよらない言葉に私は言葉をなくす。
「自殺しそうになったというのが正しいかな?」
また深呼吸をする。きっと話すことに抵抗があるんだ。私には分かる。
「私達のお母さんは交通事故でなくなったっていうのは聞いてるよね? あれはなっくんがお母さんに酷いことを言ってしまって外に出ていった後を追いかけたときに起きた事故なの。そのことをなっくんは後悔していたの。俺のせいで俺のせいでって。その時はずっと高熱出していてなっくん自身は何も覚えていないみたい。元気になるまでの間、何も覚えていないんだって」
秋音さんが少し震えているように思えた。私は黙って話を聞く。
「いつだったかな~高熱が下がらなくて私達もどうすることもできない時、なっくんがお母さんの部屋にいたみたいなの。何か探していたのかもしれないけどその時物音がして私と春生ねぇがお母さんの部屋に訪れた時になっくんは大量の薬を飲もうとしてた」
秋音さんは震えている。思い出したくないことを必死に思い出して私に伝えている。
「・・・。怖かった。なっくんまでいなくなるんじゃないかと思って、私たちは引き止めたの。そしたらなっくん『俺なんか生きている意味がない。親の命奪う存在なんていないほうがマシだ』って言いながら泣いていたの。そんなことないのに。そんなこといってほしくないのに・・・。」秋音さんの目から涙がボロボロ流れる。私はその気持ちが痛いほど分かる。それはいままでの私そのものだ。
「そういった後、なっくんを病院に連れて行ったの。熱もまだ40度近くあったし、入院させようって決めて病院で安静にさせることにしたの。それから三日間なっくんは起きなくてずっと眠り続けてて、目が覚めたときにはその時の記憶が全てとなくなっていたの」
「忘れている、ということですか?」
「うん。自殺未遂をしたことはすっかり忘れている。なっくんが凜華ちゃんに話している内容は覚えている部分。本当はその中でこんなことがあったんだよ」
「そう、なんですね」
「・・・凜華ちゃん。私達、このことをなっくんに話そうと思う。本当のことを話そうと思う。もしかしたらまた同じことになるかもしれない。でも凜華ちゃんがいてくれるなら、なっくんは受け入れるかもしれない。私たちは凜華ちゃんにかけてみたいの」
秋音さんが真剣な眼差しで私に訴えかける。今日はこのためにこの家に呼ばれてきたのか。
「・・・わかりました。月島さんには仮があります」
「ごめんね。他所様の人に頼るなんて本当はしちゃいけないのは分かってるんだ。身内でなんとかしないと行けないんだろうけど、春生ねぇと相談して決めたの。私達ではもうできることは全てやった」
きっとお姉さんたちは月島さんの幸せを願っている。そのためにはその忘れた記憶に立ち向かわなければならないんだ。
「わかりました」今度は私が月島さんを助ける番だ。
***
「今夜はすき焼きパーティーがいいな」と秋音ねぇが言うもんだから、高級和牛を買いにわざわざ隣町のスーパーまで行ってきた。なんで俺がこんなことを。と愚痴りながら家に帰ってきたら玄関に見慣れないムートンブーツがあった。これは誰のだ? 誰か来ているのか? 少し期待しながら俺はリビングに向かう。
「ただいま・・・あれ? 誰もいない」リビングに買い物したものを机において俺はダウンジャケットを脱ぐ。周りを見渡しても秋音ねぇもいない。もしかしたら秋音ねぇの部屋にいるのかもしれないと思い俺は買い物を冷蔵庫に移し替えていたら二階から扉の開く音がした。
「秋音ねぇ、誰が来てるの・・・え、凜華ちゃん?!」
「こ、こんにちは、月島さん」
「なっくんもう帰ってきたのー?」
「わりぃかよ。てか、あのスーパーめちゃくそ遠い! 近くの精肉店でもよくね?」俺は高級和牛を冷蔵庫に入れながら愚痴る。
「おおおお!! これはA5ランクの和牛ではありませんか! さすがなっくん!」
秋音ねぇが大興奮だ。少し微笑ましい。というか肉になるとテンション上がりすぎ。
「ふふふ、今日はすき焼きですか?」
「凜華ちゃんも食べていきなよ。買いすぎちゃったから」
「なっくんのくせだよね~。そろそろ三人分の量分かってよね~」
うるさいわい。あなたが大量にたべるんでしょうが!
「ところで、なんで凜華ちゃんがうちにきてんの?」
俺には嬉しいことなのだが、なんでなのかが分からない。秋音ねぇが呼んだのか?
「私が呼んだの。今日はすき焼きパーティをしようとおもって♪」
「なら、そう言ってくれたらもっとごちそう買ってきたのに」でも俺の財布の中身はそんなになかった。
「凜華ちゃんはいいの? 閖華さんに言っておく?」
「はい。連絡しておきます」
「今夜は帰さないよ。・・・ってぐらい言わなきゃなっくん!」
何言ってんだこの人は。
「さっさっすき焼き準備しよー!」
「じいじに伝えておきました。私も手伝います」
すき焼きパーティの準備を開始した。
出来上がりそうになった時春生ねぇが帰ってきた。
「あら、凜華さん来てたのね、いらっしゃい」
「あ、その、はい。こんばんは」
リビングの机にコンロを用意し、鍋をおく。お皿を並べてみんなに席についてもらった。
俺と藤馬さん、正面には秋音ねぇと春生ねぇが座る。ん? この状態ってすごく贅沢な状態じゃないか? 世で言うハーレム状態、ではないか? そんな中贅沢なお肉を食べれるという俺は幸せじゃあないか。
俺は今、幸せなのか?
「月島さん? どうかしましたか?」
「ん? いいや、美味しいなーと思って」
「あたりまえじゃーん! だってA5ランクだからねっ!」
楽しい食卓だ。いつもの家族にプラス俺の好きな人が隣にいる。この上ない幸せなのに、なぜか俺はこの空気を自信を持って幸せだと言えない。なぜなんだろう。
食べ終わり、一段落ついたところで、俺達はまた席につく。なんだろう。何か始まるのか?
へんな緊張感が漂う。落ち着かない。
「まずは凜華さんに謝らなければなりません。この度は弟が藤馬に口をだしてしまったことを謝罪します。ごめんなさい」緊張感の空気を割いたのは春生ねぇだった。そして深くお辞儀をする。
「ちょ、春生ねぇ、それは俺が勝手に」慌てて春生ねぇの謝罪の言葉を否定する。
「私は構いません。そのおかげで私は自由を手に入れました。感謝しています」
「ありがとう」そのためにこの雰囲気だったのか?
「では、本題に入ります。今年最後の月島家族会議を開始します」
藤馬さんいるのに急に?! 俺は驚く。心が追いつかない。何が起きているんだ?
「今回の議長は私、月島春生が務めます。議題は「月島夏貴の過去」についてです」
「俺の過去?」俺のことを議題に?
「なつ、あなたは忘れていることがあるの。分からない?」
「え、何が?」胸騒ぎがする。俺は何かを忘れているのは確かだ。でも何を?
春生ねぇと秋音ねぇと会話してる最中によく思ってた。俺は何か忘れているんだと。そもそもこの二人は昔から俺に対して溺愛していただろうか? 秋音ねぇなんてこんなにスキンシップが激しかっただろうか? 春生ねぇも心配するようなことがあっただろうか? 思い返す。ううん。そんなことなかった。俺は溺愛なんてされていなかった。お母さんがいなくなるまでは。
「俺に対する態度が変わった?」
「そうね。変わったわね、秋音」
「うん。変わったよ。なんでだと思う?」
何故だ? 分からない。というか何の話をしているんだ、姉貴たちは。
「まわりくどいのは好きではないから、単刀直入に言うわよ」
空気が凍りつく。ふと右腕を引っ張られる感覚があったので右腕をみる。藤馬さんがぎゅっと引っ張っていた。
「なつ。貴方、死にたいとおもったことあるでしょ?」
「・・・そりゃ、ないっていえば嘘だけど? なんだよ急に」
「お母さんのお葬式が終わった後、覚えていないって言ってたわよね」
「うん・・・」なんだろう、更に胸騒ぎがする。この話の流れだと俺は・・・
「貴方は高熱でうなされていたわ。その時、貴方がした行動を、覚えているかしら」
ドッドッと心臓がなる。頭も痛い。俺はそんなことをしようとしたのか?
「なっくんはさ、なんでお母さんのあの部屋にはいったの?」
「え?」
「高熱でているのに、その身体でなんでお母さんの部屋に行ってあんなことを・・・」
「何を言ってるの? はっきり言ってくれないと、わかんないよ」
「言ってるじゃない。死にたかったのか? って」
死にたかった? 俺が? 頭がズキズキする。誰かが警鈴を鳴らしているみたい。
「・・・私はずっと考えてた。貴方がどうして死にたくなったのか。これが原因なんでしょう?」そういって見せてくれたのは、diaryと書かれた一冊の赤い本だった。
「これ、何?」
「お母さんの遺品よ。貴方はこれを読んでしまったんじゃないの?」
春生ねぇは俺の前にその本を持ってくる。
「これ、お母さんの日記帳?」
俺はペラペラとめくる。俺達が産まれたことお父さんと不仲になったこと、そして離婚したくなかったこと、そして・・・。
「貴方はこのページをみて自殺を図ったんでしょ?」
「春生ねぇ・・・!!」
いつもどこかでもやもやしていた。その原因を言われていま、視界が広がった。
そう、俺はあの時、死のうと思ったんだ。
***
お母さんがなくなって数日経った日。
俺はずっとベッドの上で眠り込んでいた。寒い。だけど暑い。身体もだるい。涙も出し尽くしてもう流れない。やる気も出ない。俺なんて生きている意味が有るんだろうか。そんなことばかり毎日考えていた。
時々リビングに降りると春生ねぇと秋音ねぇが俺のことについて話している。時々お父さんもきていた。春生ねぇに何かを説得していたが、母方の叔母が味方になって説得してくれていたような気がする。俺のせいでみんなが苦しんでいるんだなと思った。俺なんていなくなればみんな苦しまずに生きていけるのに。お母さんもきっと思ってたんだろう。俺なんていなければあんな事故に遭わなかった。死ななくてすんだんだ。そう思いながら俺はお母さんの部屋に入る。まるで呼ばれたかのように俺は部屋に入る。部屋の中は生前のままだった。何も変わらない。ここだけ時間が止まっている。ここにいればお母さんが帰ってきそうな気がした。部屋のベッドに腰掛けて俺は放心状態になっていた。熱があったしやる気もなかったので頭の中は真っ白だった。ふと机に目をやると赤い本に目がいった。あの時の血の色にも似ていて俺はさらに自分を責めた。責め続けないと俺は俺でなくなりそうだったから。その本に手をやるとお母さんの字で何か書いてあった。日記だとすぐにわかった。ペラペラめくる。いろいろ書いてあった。最後のページになって俺の名前があることに気づく。
『今日、夏貴の三者面談の用紙を見つけた。どうして言ってくれないのだろう。私のせいだろうか、私がもっと母親としてしっかりしていないから夏貴は私を拒絶しているのだろうか。もっと自由に生きていてほしいのに。春生、秋音のように自由にさせられなくて、ごめんね。明日、仕事が終わったら夏貴と話し合おう。ちゃんとあの子のことを知ろう』
俺は何も知らないであんな酷いことを言ってしまった。更に後悔が深まる。自分の存在理由が消えていく。なんで俺じゃなくてお母さんがいなくったんだろう。なんで俺はいきているんだろう。そう考えていたらいつの間にか片手いっぱいの錠剤を口に放り込んでいた。
***
「・・・そう。俺は、そう、俺は生きている意味がないって思ったんだ。そう、俺はいないほうがマシなんだって思って、そう・・・」自分の手が震える。
「月島さん、大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫」そういったけど大丈夫ではなかった。頭は痛い、手は震える。心臓はバクバクいっている。自分ではどうしようもない状態だ。
「月島さん。今思ってることいってください。お姉さんたちもきっとそう思ってる」
「今思ってること?」
「そうです」藤馬さんは俺を強く見る。信じられる目だ。でもこんな小さな子に俺の気持ちを吐露していいのだろうか? こんな重い思いをぶつけていいのだろうか?
でも、俺は止まらなかった。
「本当は、俺、今でも後悔している。思い出しても俺のせいだって思う。だって本当に俺のせいなんだ。あの時外に出なかったら、あの時お母さんにあんなこと言わなければ、お母さんは死なずにすんだんだって思ってる。でももう帰ってこない。悲しみと後悔は消えない。だったら俺自身いなくなればいいんだって、思う。だから、俺はそんな酷いことをした俺を消したんだ」
受け入れた自分を作り上げた。いなくなったものは仕方ない。前向きな自分をいつの間にか作り上げていた。あぁだからなんだ。俺は幸せに思えない理由はそれなんだ。
「私は、月島さんに出会えて良かったと思っています。生きてくれていて嬉しいです」
藤馬さんは俺の腕を両手で抱きしめる。
「いなくならないで」藤馬さん泣いている?
「なつ、私達だってそう思ってる」
「なっくんのいない世界なんて考えられないよ」
姉たちも泣きながらいう。
それをみて俺は気づく。
「俺、自分のことしか考えてなかった。春生ねぇと秋音ねぇの気持ち、考えてなかった。ごめん」
「月島さん。前に進みましょう。ちゃんと苦しみを知って、覚えて、それでも生きていきましょう。私も頑張ります。頑張りたい」
「うん。俺、今でも思ってしまうことはある。だけど、凜華ちゃんから離れたくない。その気持ちのほうが上回っているんだ」俺は藤馬さんに笑いかける。藤馬さんも涙ながら笑う。
「うわーーー! やっぱりしんみり耐えられなーい!! なっくん、もう隠し事なしだよ!」
「うん」
「そうね。心配事や悩み事は必ず家族会議を開くこと。いい?」
この会議だってもしかしたら姉たちが俺のために作ったものなのかもしれない。溺愛し始めたのも俺のためなのかもしれない。俺に愛を忘れないように姉たちも後悔をしないように。
「私達の愛より、凜華ちゃんへの愛のほうが勝ったのは悔しいけどね~」
「そうね。姉として失格よね。でも感謝しているわ。ありがとう」
姉たちは藤馬さんに感謝する。
「私は仮を返しただけです。それに」
藤馬さんが俺の方をみる。ドキッとする。
「月島さんは、可愛いです」ニコリと笑う。どこが可愛いんだ?!
「確かにね! 凜華ちゃんも分かるようになったね」
「さすがだわ。凜華さん。いつでもうちに来ていいわよ」
どうやら姉たちにすごく気に入られたみたいだ。
ありがとう。藤馬さん。
夜も遅くなったので、井上さんに迎えを頼んだ。
「凜華ちゃん。河原のところに来てもらうように言ってもらっていい? 少し凜華ちゃんと散歩がてら話がしたい」
「いいですよ?」
「んじゃ、俺は凜華ちゃんを見送ってくる」俺はダウンジャケットを羽織り、マフラーを巻いて外にでた。外の気温はキンキンに冷えている。雪でも降りそうな雰囲気だ。
「今日はごめんね、俺のことで巻き込んで」
「そんなことありません。ですが、もう、あんなこと考えないでくださいね」
死にたいだなんて、もう思うはずがない。こんな天使をおいて。
「大丈夫だよ」俺は藤馬さんの手を握る。
「だ、だだだだいじょうぶならいいですすすす」動揺している。可愛いな。
「生きててよかった」そう思えた。これを幸せと呼ぶのだろう。
俺は幸せになっちゃいけないと思っていた。悲しみや辛さを抱えてずっと生きていかなきゃいけないんだと、思っていた。だけど、藤馬さんに出会った。藤馬さんのことを知った。それだけで俺は結構救われている。
「ありがとう。凜華ちゃん」言葉じゃ足りなくて握っている手を強く握りしめた。
「こ、こちらこそ。私、月島さんに出会って本当によかったです」
「ねぇ、あの歌、歌ってよ。なんか聞きたくなってきた」
「あの歌、私達のお母様が作っていた歌だったんですね」
「うん。すごいよね。運命感じたよ」
そして藤馬さんは歌いだした。やっぱりうまい。お母さん譲りなんだろうか。
俺のお母さんが歌っていたときを思い出す。いい歌だ。
Happy Days タイトル通りの歌だ。
この歌のおかげで俺たちは運命に出会った。
あの歌を藤馬さんが歌っていなければ今の俺はいない。そう考えたら凄く怖くなった。俺は幸せを知らずに生きていくとこだったのだ。
河原まできたところに井上さんの車があった。
「もう、帰らなきゃ」
「そうだね」少し名残惜しくなる。もっと一緒にいたい。そう思うのは俺だけだろうか。
「もっといたいと、思うのはなんていう気持ちなんでしょうね」ボソッと藤馬さんがいう。
「そう、だね。俺も今そんな気持ちだよ。だけど迎えが来てるから今日はここまで」
俺は手を離す。離したところに冷たい空気が触れて温もりを求めてしまう。
「月島さん」
「は、はい!」
「今度会う時に、その、返事をしたいんで、まってていただますか?」
「う、うん?」
「もう少しで答えがでそうなので」なんのことだろうか?
「では、また!」藤馬さんは井上さんのところへ走りながら俺に手を振る。
「ありがとな!」俺も手を振る。名残惜しさを押し殺して、見送る。
冬の夜は空気が澄んでいて星がきれいだった。あの時もたしか冬だった。俺は星空をみる余裕ができていたことが嬉しくてずっと空を見ながら、お母さんに謝罪をこめてお辞儀をした。
俺の幸せはもう切なくない。
ついに次話で最終回です!




