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【九】

 皇帝マティアス・ラウリ・ヴァルティアの勢いはとどまる所を知らず、大陸制覇まであと一歩。だが、広がりすぎた領土にはじわりじわりと綻びが生じ、それはやがて大きな亀裂となって都を襲った。


 窓から城下を見遣り、皇帝マティアスは自嘲気味に笑う。


 これが俺の限界か。


 美しい都は破壊され、火の海に沈む。やがて反乱軍が城門を破り、押し寄せてくるだろう。


 女たちには適当に金銀を与え、中立な立場の商人に託した。彼女たちは美しく、聡明だ。運があれば、もう一度幸せを掴むことができるだろう。


 いよいよ怒号が近付く。マティアスは剣を抜き、じっと扉を睨みつけた。ただでこの首をくれてやるつもりはない。理想の世を解さぬ愚か者どもを、地獄へ道連れに……


「陛下、こちらにいらしたのですね」


 扉の隙間から細い身体をすべり込ませたのは、寵姫セラフィーナだった。水がめを抱え、優雅にほほ笑んでいる。


「なぜ……なぜ、逃げなかった!」


 おまえこそ、死なせたくない。生き延び、幸せになってほしいのだ!


 セラは静かに水を注ぎ、そっと差し出した。


「わたし、まだ一度も陛下においしいと言っていただけていないんですもの」


「ばかが! そんなことのために……!」


 廊下に響く靴音が迫る。時間がない。


「あ……」


 腕を引かれ、はずみで杯を取り落とす。マティアスは顧みることなく駆け出した。


「いたぞ!」


「逃すな!」


 皇帝を見つけた反乱軍の士気が上がる。爛々と目を輝かせ、剣をかざし、殺せ殺せと狂気を叫んで二人を追いつめた。


 マティアスは剣を握りなおす。せめてセラを安全な場所に送り届けるまでは。


 反乱軍などたかが烏合の衆、一対一ならば敵ではない。弱点をつき、セラを抱えて再び走り出した。


「へ、陛下、おろしてください! わたし、自分で……!」


「うるさい。しゃべると舌を噛むぞ」


 廊下を抜け、階段を降り、幾つかの隠し扉をくぐり、途中に潜伏していた兵を斬り伏せる。どこをどう突き進んだのか、城下の裏路地にたどり着いた。


 黒く焦げた石材がもろく崩れる。まだ火の手はくすぶり、煙と血の臭いが混ざり息苦しい。


 マティアスは瓦礫の影に身を潜め、呼吸を整えた。が、いつの間に受けたのか、そこかしこに刃傷矢傷を負っている。血を流しすぎたせいで目がかすんだ。


「陛下!」


 愛しい娘の声が遠く聞こえる。


「陛下、しっかりなさって!」


「セラ……フィーナ……おまえは、逃げ……ろ……」


「いやです! わたしを、ずっとお側に置いてください……!」


 こぼれる雫……甘く、苦い……


「おまえの、水……たしかに……美味い……」


「いや……しっかりなさって、一緒に逃げましょう……どこか知らない街で、地位も身分も捨てて、お願い……マティアス様……っ!」


 セラはドレスの裾を裂いて、マティアスの傷を縛る。まったく、面倒な女に惚れたものだ。マティアスは一つ咳き込み、苦しそうに顔を歪めて笑った。


 剣を捨て、冠と指輪をはずし、ただ一つ小さな守り袋を懐に忍ばせ立ち上がる。瞳には再び強い意志。


「何も持っていないただの男だが、それでもいいなら……俺と来い、セラフィーナ」


「……はい」


 沈む夕日が廃墟と化した都を赤く染める。ふるさとの谷に似たその光景をしっかりと目に焼き付け、セラはマティアスの差し出す手をとった。


   *   *   *


  風よ届けて

  私はとても幸せだと

  もう帰ることのない遠い故郷

  愛するひとたち

  どうか泣かないで……


 かくて栄華を極めたヴァルティア帝国は終わりを告げる。


 美しい都、荘厳な城は砂に帰り、女たちの楽園も今は夢。


 谷間の花は種子を飛ばし、いつか真白な砂原に根付かん。


 ただ砂漠を渡る風が高く、低く、速く、遅く、不思議な旋律を歌い続ける……



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