【六】
娘を奪われた母親は、昼も夜も泣き続けた。
食事は喉を通らず、眠ることを忘れ、涙が涸れ果ててもなお愛しい娘の名をくり返し呼ぶ。
彼女の声は風に乗り、谷を抜け、砂漠を越えて都へと……
セラフィーナ……
セラフィーナ……
愛しい娘……
「おかあさん!」
セラは飛び起き、窓の方へ駆け寄った。身を乗り出し、ぐっと目を凝らしてみても、そこにはただ風が吹いているだけ。
高く、低く、速く、遅く、不思議な旋律を奏でる風の音は、女の泣き声のようにも聞こえる。
「泣歌だ」
マティアスは上着を肩にかけてやり、そっと髪を撫でた。振り向いた大きな瞳が潤んでいる。やっと、心も手に入れたと思ったのに。
「……なき、うた……?」
「夏から冬に変わる頃、谷の風が砂漠を渡り都に流れる。この風が止めば、厳しい寒さが訪れるから、泣歌、嘆き歌などと呼んで嫌っているんだ」
谷からの風と聞き、セラは目を閉じて耳を傾ける。大好きな母は元気だろうか。みんなはどうしているだろう。想いは遠くふるさとへと馳せる。
「この心は、俺のものだ」
マティアスは不貞腐れた顔でセラを抱きしめた。もちろんです、とセラは無邪気にほほ笑む。
「谷も、谷のみんなも、陛下のものです。陛下の心が、陛下の大切なものを想ってはいけませんか?」
「……おまえは、俺のことだけを考えていればいい」
我ながら理不尽だとわかっていても、気持ちを抑えられない。たかが奴隷女に、どうかしている。
セラは少しさみしそうに窓の外を見遣り、諦め、マティアスの胸に額をすり寄せた。やわらかい髪が鼻先をくすぐる。どれほど強く抱きしめても、くちづけても、求めても、まだたりない。
絶対の権力を以ってしても、得られないものがあると痛感した。
「……親のことが気にかかるなら、手紙を書けばいい。もちろん検閲はするが、物資の輸送係に預けることくらいは許してやる」
「ですが陛下、わたし、字が書けません。母も……」
「学べ、と言っているだろう。ここの女たちはたいてい字の読み書きくらいできる。他のことも。必要なことは、自分で勉強するんだ」
セラは考え、そしてにっこり笑った。
「陛下は、お優しいかたですね」
不意にくちづけられ、心の臓が止まるかと思った。