【一】
風よ届けて
私はとても幸せだと
もう帰ることのない遠い故郷
愛するひとたち
どうか泣かないで……
* * *
照りつける日差し、むせ返るほどの汗のにおい、狭い谷間に石を切り出すのみの音が絶え間なく響く。休憩を告げる太鼓が鳴ると、男たちは道具を投げ出し水くみ女の方へ駆け寄った。
「あは、おつかれさま。冷たいお水をどうぞ。たくさんあるから、順番にね」
女たちの中にひときわ輝く笑顔の少女がいる。みずみずしい肌、きちんと束ねた亜麻色の髪、細い腕で水がめを抱え、くるくると動き回る姿が可愛らしい。男たちはなんとか振り向かせようと、四方から声をかけた。
「セラ、こっちにもおくれ」
「おれが先だよ」
「もう一杯もらえるかい」
すっかり暇を持て余した他の女たちは、やれやれと肩をすくめて苦笑する。
「セラのおかげで、あたしたち楽させてもらってるよ」
「本当に。元気で、優しくて、いい子だね」
彼女の笑顔にみな疲れを忘れ、穏やかな気持ちになった。この過酷な石切り場に咲く可憐な花は、清々しい香りで人々の心を癒す。
良質な石材の産地であるこの谷では、十五になると男は石切り、女は水くみの労役を課せられる。セラと呼ばれた少女はまだ十四だったが、足を怪我した母親に代わり、数日前から手伝っていた。
「監督官さまも、どうぞ」
指揮台の上でふんぞり返っていた監督官は、大きな瞳で見つめられてつい顔をほころばせる。
「……それは賄賂か?」
突然、頭上から降る男の声。監督官はあわてて手を引っ込め、セラは声の主を見上げて首をかしげた。
「暑くてのどが渇くのは、みんな同じかと思って……騎士さまも、いかがですか?」
「ばかもの、ひれ伏せ!」
監督官はセラの頭を押さえつけて、膝をつかせる。他のものはすでに平伏し、セラが咎められるのではと案じた。
立派な軍馬に乗ったまま、男はセラを値踏みする。ただの阿呆か大物か。
夜の闇のような黒髪、同じ色の瞳、精悍な顔におそろしい傷痕があるこの男こそ、広大な領土を治める皇帝マティアス・ラウリ・ヴァルティアである。
監督官に耳打ちされ、ようやくセラは事の重大さを知る。不敬罪は即処刑、青ざめ、震えた。
「これほど名を馳せても、まだ知らぬ者がいるとはな」
皇帝マティアスは愉しげに笑い、馬に鞭を入れた。馬は一つ大きくいななき、セラの脇を駆け抜ける。と、同時に、マティアスはセラを抱き上げた。
「来い。俺が何者か、とくと教えてやる」
一瞬のできごとに誰も止めることができず、ただセラの悲鳴が谷間に響き、消えた。