僕の嫌いな小説トレーニング
「だからさぁ……」
僕はもはやうんざりしていることを隠そうとは思わなかった。声に苛立ちが露骨に滲み出る。
「何度も言ってるけど、榊さんには関係ないんだからほっといてよ」
ため息をついて見せると、彼女は眉をひそめて僕を見た。
なにそのかお。僕が悪いって言うわけ?
あー、まったくやりきれない。困ったものだ。
傷ついたような表情を作って見せるくせに、僕の手を離そうとはしないのだから彼女もなかなか図太い神経を持っている。僕の右手と彼女の左手は五本の指すべてを使ってしっかりと絡められている。現在進行形で。
「……あたしは深山のためになるかなって」
そう言いながら顔を赤くする彼女は素晴らしく可憐だ。うーん、若干そそられた。
こんな風に押し付けがましくないならいいんだけどなぁ、なんて、頭の片隅で考える。
僕はものがたりなんていう、嘘で塗り固められた妄想を人様に売っぱらってお金を稼いでいる。
まぁ、平たく言えば作家だ。
一応、賞なんかももらって、現役高校生作家!なんていう煽り言葉でもって全力プッシュされているところだ。
もちろん周りのクラスメイトなんかには秘密にしているのだが(顔出しNGってやつだ)、編集さんと、次回作について話した電話を同じクラスの榊さんに聞かれたのが運の尽き。
彼女は僕のファンであったらしい。
榊さんは次の日突然僕に本の感想をわめき散らし(自分の妄想の感想を他人の口から聞くととても死にたくなる)、けれどあそこはあまり好きではなかった、などとほざいた(自分の妄想の文句を他人の口から聞くと死にたくなる)。
彼女がいきなり押し付けてきた僕の作品の課題点は、いわく、感情描写、らしい。
生気が感じられない、冷たい、感情移入できない、とまで言われた。ぼろくそだ。
それでも賞を受賞することができたのは、多分僕の本がグロテスクな魅力の詰まったミステリーだったからだろう。
僕に他人の感情を察して書く能力があったとしたら、僕は今こんな人間になっていない。多分。
そして榊さんはいきなり提案した。本当に突然、突拍子もない、とんでもないことを。
あたしとふれあおう。コミュニケーションとろう。
聞いたとき目玉が飛び出るかと思った。
いや、嘘。はぁ?なにいってんだこいつと思った。
どこかで読んだぞそんな話。
彼女が言うには僕の“まったくもって温度がない”他者との触れ合いシーンで、特に一番ひどいのは好きもの同士の場面らしい。感情描写も好意、思いやり、友情などには一切温かさが感じられなかった、と。
逆に疑念、嫌悪、恐怖の感情は恐ろしいほどにリアリティがあった、と言われた。僕の人格にいささか不安が残るところだ。
余計なお世話だ、と声を大にして言いたくなる感想ばかりで、何度も遠回しな僕への嫌がらせなのではないかと思った。
ただ、彼女の言う感想はひどく的を射てるため、あまり無下にはできなかったのだ。編集さんと同じようなことをより的確に言うとは末恐ろしい女だと思う。
そして、最初は友達との一般的なコミュニケーションの取り方(誤解しないでほしいが、僕にも元々友達はいる。ただ、僕がそいつらを好きかどうかは別問題だ)を実践で習ったり、片思いの苦しさを彼女の友達の“恋バナ”を聞くことによって学んだり――僕がそれに迷惑していたのは別として、まぁ、健全なものであったのだが。
いま、僕らは放課後の教室で二人きり。互いに向かい合って座り手を絡めあう、という意味不明な状況にいる。
榊さんによれば、普段通り、小説のためのトレーニングらしい。
「……いつまでやんの?」
僕の言葉に、榊さんは「……深山、どきどきしてる?」という質問で返した。しかも何の脈絡もない質問だ。
「……いやー」
僕は笑って首を傾げる。残念ながらこんなことでいちいちときめいていられるほど僕の脳みそには可愛げがない。
榊さんは少し悲しそうに目を伏せた。
「……そ」
ごめんね、と笑うと、別に、元々期待してないし、と、妙にツンケンした答えが返ってくる。
可愛げがないのは榊さんもだなー、なんて呑気に考えてから、僕はにやっとした。
ちょっとした悪戯を思いついたのである。
うまく行けば、榊さんの可愛いところを見ることができる上にこの妙なトレーニングを終わらせることができる。
よし、善は急げだ。
ねぇ、と声をかけ、僕は笑って榊さんのことを見つめた。榊さんは視線に気づき、訝しげに僕の顔を見る。
「……なによ」
相変わらず怒っているような返事をする榊さんを、押し倒した。
どさっという重い音がして、長い黒髪が床に散らばる。
目を見開いた彼女は、わけがわからないらしい。まぁそれもそうか。
僕は仰向けになった彼女の身体の左右に手足をつき、にっこり笑った。
「これくらいすれば、まぁどきどきするかな」
言いながら、榊さんの小さな唇にゆっくりと近づく。驚きと困惑で動けないらしい彼女は涙目で震えていた。煽ってるだけにしか見えない。
可愛いなー、このひとほんと。可愛いを具現化したみたいだ。
するわけないのに、こんなこと。
僕はあと数ミリのところでピタッと動きを止め、なんてね、と呟いた。
素早く彼女のやわらかそうな唇から離れて、にやにやと笑って見せる。
「冗談冗談!やりすぎた?ごめんねー」
小さな声でぁ、とか、ぅ……とか言って口をパクパクさせている彼女は、多分怒っているのだろう。真っ赤だし。
「でもこんなことばっかしてると、そのうち襲っちゃうよ?いくら僕相手でも男の子ですし」
押し倒した状態のままそう言えば、一応は身の危険を感じてやめてくれるのではないか、なんて思って、ぼくはへらへら笑い続ける。
茹で蛸みたいな顔色で目に涙をためた榊さんは、べつに、と小さく呟いた。
「……やじゃないし」
僕が目を見開く番だった。
まじか榊さん。
心臓の音が少し大きくなる。僕はいまときめいたらしい。こういうとき、心臓の音って本当に大きくなるのか。初めて知った。
どこまで可愛い、可愛いことを言うのだ。
そう言われてしまえば、さっきとは話が変わってくる。僕は榊さんに顔をゆっくりと近づけた。
誰だ僕に恋愛感情ないとか思い込んだやつ。僕だけど。
あぁだめだ、どうしてもにやける。
「だいたーん」
そう茶化したら睨まれた。でもそれも可愛く思えて、僕って単純なんだなぁと呆れる。
「恋愛小説もいいかもね」
そう言って、僕は彼女に口付ける。
窓から西日が差し込んでオレンジ色に染まった教室は、いつもよりすこし綺麗に見えた。