第七話 崩壊
アランたちが脱出を図っていた頃、城でもまた、ある人物の主導で脱出策が実行に移されようとしていた。
「一旦城を捨てダラヌ砦へと移り態勢を立て直す」
そう宣言したのはヴァラム・ヴィレヌ・グーディオ、即ちフラム四世と呼ばれ始めたばかりの男であった。
「近衛隊長!お前は余の周りを固めよ。騎士団長は先鋒となって北の城門付近を固める敵軍に穴を空けよ」
指示を飛ばす若き国王に年老いた大臣が問いかける。
「陛下、我ら文官や、城に住まう者の妻子はいかが致しましょう?」
「歩兵隊と共に徒歩で脱出せよ。兵に助けてもらえば逃げ切れよう」
「陛下、そのような無慈悲な!?」
大臣が悲痛な声を上げたのも当然の事である。
撤退先において最も多く脱落するのは常に歩兵である。
戦闘で疲労した肉体で逃走を図る、と言うのはただ移動するのとは違う負担を兵の心身にもたらす。勝ち戦であれば肉体的疲労は精神的高揚である程度は補えるが、負け戦の後ではそうも行かない。
追いかけてくるかもしれない敵への恐怖、味方に置去りにされれば殺されるであろうと言う不安、これらが兵の心身を蝕む為、自分自身が助かる為に、体力で劣る者や、負傷した同僚が倒れようともそれを助ける余裕などないのである。
国王のこの言葉は、実質文官たちを見捨てたといって差し支えの無いものであった。
主君の無情な言動に近衛隊長と騎士団長は、幾分表情を曇らせながらも、主命は絶対という騎士道の範に従い、出撃の準備を進めるのであった。
一方、火矢を放ち、破城槌で城門を攻撃する事で城に揺さぶりをかけていたベルクラムの前に負傷した兵の一隊が報告に現れた。
彼らの報告は、騎馬の一団が東門へ向けて脱出を図っていた、と言うものであった。
その報告から通用門の存在に気が付いたベルクラムは、予備兵力の一部に東西の通用門の近くに伏せさせ、敵が出てくたら伏撃を加える様指示を出し、件の騎兵について思考を巡らせる。
臆病風に吹かれただけの脱走者であった場合、特に問題は無い。彼らの口から王都襲撃の報せが流れる事よりも、王都にもぐりこんでいるであろう各公爵及び周辺各国の密偵から彼らの上位者にこの情報が知れる速さのほうがほぼ間違いなく早い。故に、問題とはならない。
救援を求める使者であった場合、少しでも頭の回る人間であれば、王都陥落までに間に合わない公算が高いであろう事はすぐに分かる為、いがみ合っている他の公爵家が王家と言う旗頭を失った状態で一致協力してすぐに兵を向けてくる可能性は限りなく低い。
すぐに動かす事が出来る騎兵は伝令に使う少数の軽騎兵のみであり、これらで追撃を仕掛けたところで、たとえ追いつけたところで足止めにもならない、さりとて歩兵では今から追ったところで追いつけまいと判断したベルクラムは、王都の南に布陣しているバーゼンの元に伝令を送るに留め、自らはは城攻めを続行すると言う判断を下した。
そして、さらなる火矢の雨を降らせ、破城槌で城門を攻撃し続けた彼の元に、待ちに待った報告がもたらされる。
南側城門の抵抗が弱まり、北側に動きが出始めたとの報せである。
これは、かねてから予想されていたグーディオ王家側の行動であり、それを踏まえた策をスミート軍は立てていたのだから。
「ラージュ様、本懐を遂げられてください。オーシェ、上手くやれよ」
ベルクラムは策の仕上げをなす主君と、北側の指揮を任せた年若い部下とを思ってそう呟いた。
グーディオ王家の騎士団が突撃を仕掛けると、北側の城門を押さえていた敵兵の一角が蜘蛛の子を散らすように逃げ出し崩れる
それまで押されっぱなしであったグーディオ王家の軍勢にとって、一時的なものとは言え優位に立てた事は士気を大いに向上させることが出来るものであった。
「やはり騎士団と近衛隊は頼りになる。有象無象の兵とは訳が違う」
ヴァラムはそう満足げに呟くと、近衛隊長に問う。
「この勢いを駆れば、南側の敵をも粉砕できるのではないか?」
近衛隊長は、主君の言葉に苦言を持って答える。
「騎士の突撃で敵陣の一角が崩れ、包囲陣に穴が空いたに過ぎません。いくら騎士団が勇猛といっても乱戦となり四方から槍を突き出されれば、そう長くは持ちますまい。やはりここは速やかに脱出するのが賢明でしょう」
自らの半生以上の時間を騎士として生きてきた近衛隊長の言葉にヴァラムは不承不承という表情で頷く。
「そうか、仕方が無いな。全軍に突破の命を出せ」
近衛隊長はヴァラムに一礼すると声を張り上げる。
「全軍突撃! 北側の敵を突破し、ダラヌ砦に向かって突き進め!」
こうして、グーディオ王家の軍勢は市街地北門に向かって突破を開始した。
それこそが、スミート軍の仕掛けた罠とも気付かずに。
「敵騎兵の突撃を真正面で受け止める必要はない。正面の部隊は散開して突撃をやり過ごし、残りのものは陣形を崩すな。弓兵隊は指示を待て」
オーシェ・フェルガンは、自分達の部隊を突破するという行動をグーディオ王家側がとったと聞いて、速やかに部下に指示を出していた。
騎士団と近衛隊が、わざと空けた穴を全力で北へと駆け抜けたその後、オーシェは予備として待機させていた部隊を動かし速やかにその穴を埋め歩兵の脱出を阻むと、それと並行するように弓兵隊に一斉射撃の合図を送る。
歩兵達は何とか突破しようとがむしゃらに進もうとするが、進めば進むほどに包囲陣が厚くなって行くのを見て、突破を諦め止む無く城内へと後退して行った。オーシェはそれに対し追撃の指示を出さずに、ただ包囲陣を厚くするだけに留める。後は無闇な手出しをせずとも、その主たる王がいない城と共に焼け死ぬか、降伏するかを選ばせてやれば良いだけなのである。
歩兵隊と分断された事に、近衛隊長と騎士団長は気付くが、突進力はあっても小回りを効かせ難いのが騎士、即ち重装騎兵の欠点である。
更に、戦場が市街地であった事も災いしていた。
再び突撃を仕掛けて敵陣に穴を開けるには、部隊を旋回させる必要があり、市街地と言うのはその旋回に必要な移動空間が非常に少ないのである。
また、無理に再突撃を敢行すると言うことは、主君たる国王の身を危険に晒すことにも繋がりかねないこの状況では、もはや引き返せぬと諦めるより他に無かった。
総大将たる国王が討たれれば、その時点でグーディオ王家の敗北が決定的なものとなるからである。
後続の歩兵部隊との合流を諦め、北門に向かって疾走するグーディオ王家の軍勢に突如矢の雨が降り注ぐ。
射掛けているのは、先のオーシェの合図を受けたスミート軍の弓兵隊であった。
彼らは門に続く最短ルートの両脇の建物の屋根の上に陣取り、間断なく矢を降らせてきていた。
「おのれ!このような卑劣な罠を張っていようとは!」
ヴァラムは歯軋りしながらも盾をかざす。
近衛隊長もまた盾をかざし矢を防ぎながら、ヴァラムの近くに馬を寄せ、進言する。
「伏兵を配しているという事はこの先にはもはや敵はおりますまい。犠牲は覚悟の上でこのまま突き進むべきです」
配下の進言を受け入れ、ヴァラムが自ら兵に号令をかける。
「全軍、怯むな! ここさえ抜ければもはや罠はない、突き進め!」
騎士隊長もまた盾をかざして、ヴァラムを守るように馬を寄せ、近衛隊長と共に騎馬を駆けさせる。
騎士達と近衛隊もまた、盾をかざし馬を駆けさせるが、如何に分厚い鎧に覆われていようとも、動かせる構造である以上僅かな隙間は存在する。更に言えば馬には騎士本人程の防御力はなく、さらにその投影面積は大きい。
彼らは北門を目指し必死に突き進むが、鎧の僅かな隙間を射られ倒れる者、馬を射られ脱落する者が相次ぎ、次々とその数を削られていく。
何とか北門からの脱出は果たせたものの、その被害は甚大であった。
ヴァラムはダラヌ砦へと馬を駆けさせながら、騎士団長に残りの兵数を問うた。
それに対する騎士団長からの答は惨憺たるものであった。
「生き残った者は負傷者まで含めても、半数と言った所でしょう。そのうち戦える者になると、三百余りかと」
「騎士と近衛、併せて一千を超える兵がいたのが、その有様とは…。どこの誰かは知らぬが、この無念は必ず晴らすぞ…」
顔を怒りに歪ませながら、ヴァラムは復讐を誓う。
「ともかく、今はダラヌ砦にて兵を再編し、態勢を立て直すことが先決かと」
近衛隊長がそう進言したその時だった。
「おい、あれは…?」
誰かが前方に武装した騎兵の一団を見つけ、声を上げる。
「まさか、まだ伏兵がいたというのか…」
ヴァラムが愕然とした声を漏らし、近衛隊長も騎士隊長も絶望に染まった目でその一団を見ていた。
「待っておったぞ、ヴァラム・ヴィレヌ・グーディオ! 貴様のその首、このラージュ・サスム・スミートが貰い受ける!」
グーディオ王家の兵は、ラージュの名と、その大喝を浴び竦み上がる。
ラージュ・サスム・スミートと言えば、フィサラード国内においては右に出る者無しと言われた猛将である。それが目の前に立ち塞がっていると言う事実は、これまでの戦いで心身ともに疲労し尽くしていた彼らの戦意を砕くには十分なものであった。
自軍の戦意が砕かれた事を察した騎士団長が、ヴァラムと近衛隊長にこう告げる。
「今の疲弊した我らにあの猛将を退ける事は叶いますまい。私が僅かな時間なりとも引き付け時間を稼ぎますゆえ、その間にお逃げ下さい」
そして、今度はラージュに向かって怒号を放ち、馬を駆けさせる。
「今までの恩を忘れて王家に弓引く逆臣めが! 貴様の首を討ち取って我が騎士たちの墓前に供えてくれる! 皆の者、奴こそがお前たちの友の仇だ! 仇を討たんと思う者は我に続け!」
騎士団長の声に戦意を取り戻した数騎の騎士が続く。
「我が領の苦境を見捨て、私利私欲に現を抜かす下郎がごときに我が首が取れると思うなよ!」
ラージュは不敵に笑いそう怒鳴り返し、自らも大剣を片手に数騎の騎士を伴い迎え撃つ。
騎士団長の悲壮な覚悟の突撃、その結果は鮮血に彩られたものとなった。
勝負は一瞬でついた。騎士団長の繰り出す剣を木の枝でも払いのけるようにラージュは片手で剣を振るって弾き、そのまま首を跳ね飛ばしたのである。
指揮官を一瞬で失った騎士たちが動揺しているところに、ラージュに付き従っていた騎士達が殺到し瞬く間に討ち取っていく。
ラージュのあまりの武力に、ヴァラムは逃げる機会を完全に逸していた。
だが、近衛隊長はすぐに我に返り、ヴァラムの馬を引いて逃走を図ろうとして、気付く。
目の前にいるラージュの率いている部隊以外にも多数の歩兵が自分達を包囲している事に。
「覚悟は出来たか?」
動揺する彼らの前に、ラージュは悠然と馬を進める。
「ええい、相手は部隊から離れ僅か数騎しかおらん! 総大将さえ討ち取れば活路も開けよう! かかれ!」
近衛隊長の声に我に返った数騎の騎士がラージュに挑みかかる。
多対一と言う不利な状況にあっても、ラージュは冷静であった。
最初の一人は斬りかかろうとした剣ごと頭部を砕かれ、次の者は防ごうとした盾と腕ごと胴を砕かれ、次々とラージュの大剣でその血と肉を弾け散らせ絶命していく。
「温いわ…」
騎士達の返り血に塗れながらそう呟くラージュの姿は、ヴァラムの目には、大陸に古くから伝わる狂戦士の伝説を思い起こさせた。
騎士達も、眼前の化物の様な巨漢を相手にするよりはと、思い思いの方向に逃げ出し、周囲を囲む歩兵を強引に突破しようとして次々と討ち取られていく。
ヴァラムを守るのは、もはや近衛隊長のみであった。
「こ、この化け物め!」
近衛隊長が上段に構えた剣を巨漢に向かって振り下ろすが、巨漢はそれを片手で構えた剣でいとも容易く受け止める。
「このような暗愚な主であっても最後まで忠を貫くか」
ラージュは感心したように呟き、そして、両手で剣を握りこう続ける。
「せめてもの情けだ、我が全力の剣をくれてやる」
そしてそのまま、近衛隊長の剣を弾き飛ばし、真っ向から振り下ろされたその大剣は、兜や甲冑をひしゃぎ、臓物を撒き散らしながら馬に至るまでを両断した。
その身を新たな返り血で染めながら、ラージュはヴァラムに向き直り、口を開く。
「覚悟を決める時間は十分あったな?」
その口から出た言葉は、明確な処刑宣言であった。
ラージュの目は、狂戦士のような狂気に染まったそれではなく、戦場に身を置く将として、武人としての揺らぎない冷静さがあった。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ! 来るな! 来るなぁぁぁぁ!」
眼前の巨漢から放たれる威圧と殺気、迫ってくる死の恐怖にヴァラムは発狂したかのような叫び声を上げ、それまでに倣った剣術の構えも基礎も忘れて、子供のように滅茶苦茶に剣を振り回す。
仮にも一国の王とは思えぬ、そのあまりに無様な姿をみたラージュは、心底つまらなそうな表情のまま剣を閃かせる。同時にヴァラムの剣が手首ごと宙を舞う。
「ギャアァァァァ! 腕が! 腕がぁぁぁぁ!」
重量のある大剣で腕を砕かれ斬り飛ばされる、その痛みに、ヴァラムは涙と鼻水と涎と糞尿を垂れ流し、悲鳴を撒き散らす。
その様をラージュは冷め切った目で見つめ、落ちてきた剣を左手で掴むと、静かにこう告げる。
「王たるものが、あまり無様を晒すな」
そして、左手に握ったグーディオ王家に伝わる宝剣を無造作に薙ぐ。
その直後、馬上にあったヴァラムの身体がぐらりと揺れ、そのまま重力に惹かれるままに落馬する。
後に残ったのは、主を失った馬と、頭部を失った豪奢な甲冑に包まれた身体、そして痛みに悲鳴を上げる表情をしたまま固まり、地面に転がった頭部であった。
ヴァラムが討たれた後は速かった。
もはや軍勢としての態をなしていなかった騎士団と近衛隊は多くの者が討ち取られ、残りは全て降伏し、城に立て篭もっていた兵士達もまた、ヴァラムの首級を見せ付けられることで抵抗の意義を失い、城門を開いたのであった。
時に大陸暦763年9月、かくてフィサラード連邦王国は事実上崩壊したのであった。