第三話 来訪者
執務机に突っ伏したまま、ネッドがうめくように声を絞り出す。
「まさかこうもぎっしり予定を詰め込んでくるとは…」
酒場でのやり取りから二日、ネッドは多忙を極めていた
当日はみっちりと説教を受け、次の日からは領地経営の勉強の名目でろくに休憩を挟むことなくウィレムが付きっ切りで書類仕事をさせられていたのだ。
「次はターリンド王国からの外交使節の出迎えです。ネッド様、支度をお急ぎ下さい」
なれない書類仕事をしたせいでぐったりとしているネッドに、ウィレムが容赦なく次の予定を告げる。
「そいつは親父が対応するのが筋じゃないのか?」
ネッドの疑問も当然の事だった。
隣国であるターリンド王国は国土こそフィサラード連邦王国より広くはないが、国としての歴史の長さは大陸でも屈指で、兵もまた精強であった。
「もちろん公爵様もおいでになりますが、先触れの使者が言うには、使節の方がヴェルスクの街を見物したいとの事です。そこで、日頃から街に出歩いているネッド様がご案内をして差し上げるよう、公爵様のご指示です」
「街に詳しい奴なら、俺以外にも大勢いるだろう」
「ネッドさまであれば、街にも詳しく、また生半可な兵を護衛につけるよりも適任だろうとの事です」
それまであからさまに不機嫌だったネッドだが、剣の腕を認められていたことにはまんざらでもなかったのか僅かに態度を軟化させた。
「そういうことなら仕方ないな。で、その使節の名前は?」
「ルシア・ルキード・レイテス様です」
「まさか、あのレイテス卿の縁者か?」
レイテス卿こと、セルディック・ルキード・レイテス伯爵は、この近隣で知らぬものが無いといわれるほどの騎士だった。
昔からターリンド王国は大陸東部平原地帯への玄関口となっている国である。
東部平原地帯は数年前まで遊牧民族や城塞都市国家が多数せめぎあっていたのだが、数年前に統一され、ルガルスク帝国を名乗るようになった。しかし、それ以前は、ターリンド王国の東部地域を、東部平原を根城とする遊牧民族の襲撃を何度も受けていた。
中でも、15年前の襲撃は大規模なもので、その戦いの折に活躍したのが、レイテス伯爵であった。
武を志す者にとって、レイテス卿はいわば一種の憧れと言っても良かった。
「はい、そのレイテス伯爵のご息女だそうです。ターリンドの内情にも多大なる影響力を持つ方のご息女ですので、くれぐれもご無礼の無い様にお願い致します」
「了解だ。後確認しておくが、街に出る時はいつもの服を着させてもらうからな」
「先方も、お忍びで見物なされたいとの事ですので、その辺りは問題ないでしょう。それと…」
「なんだ、まだあるのか?」
「いかがわしい場所に連れて行くのだけはご遠慮下さいますよう」
ウィレムの一言に、ネッドはがっくりと肩を落とす。
「俺だってそのくらいはわきまえてる。お上品なお嬢様のお気に召す場所を出来るだけ案内するさ」
「くれぐれも、お願いいたしますよ。では、私は先に準備してきますので、ネッド様もお急ぎ下さい」
そう告げるとウィレムは自分の準備をするのだろう、ネッドの部屋を辞した。
「ようこそいらっしゃいました、ルシア・ルキード・レイテス様。貴女の来訪をこのゼルグ・ヴェルスク・フォーリア、及びフォーリア家は歓迎させていただきます。当家の館にご滞在なされている間は、どうぞ我が家と思ってお寛ぎいただきたい」
「まず、この度の国王陛下御崩御を御悼み申し上げます。そして新国王陛下による御治世が平穏である事をお祈り申し上げます」
目の前で繰り広げられている、貴族同士の間で交わされる宮廷儀礼に則った挨拶を、ネッドは欠伸をかみ殺しながら見ていた。
この後、この宮廷儀礼を完璧にこなすお嬢様の護衛兼ガイドを勤めなければならないと思うと、暗澹たる気分であった。
「それと、先触れの方から伺っております、領内のご観覧につきましてはこちらにおります我が第二子、ネッドに案内するよう命じておりますので、御用があれば呼びつけてくださって結構です」
「フォーリア家第二子、ネッド・ヴェルスク・フォーリアと申します。何卒、お見知りおきを」
父親から紹介されたとあっては無関心を装っているわけにも行かず、進み出て宮廷儀礼の型どおりに挨拶をする。幼い頃からウィレムに叩き込まれていたおかげか、遅滞なく一礼し、挨拶を済ませる。
「手厚い歓迎と私のわがままをお聞き届け下さった、ゼルグ・ヴェルスク・フォーリア公爵様のお心遣いに感謝いたします。ネッド様、短い間ですがよろしくお願い致します」
「承知いたしました」
ネッドは言葉少なく返事を終え、すぐに下がる。
その後も、ネッドにとってはまだるっこしいやり取りが続く、ネッドは欠伸をかみ殺しながら、ただただ時間が早く流れる事を考えていた。
儀礼的な挨拶が終わり、使用人に命じてルシア達使節の面々をそれぞれの客室に案内させた後、ゼルグはネッドを呼び止めた。
「幼い頃より剣の腕を磨き、街に親しんでいるお前だからこそ任せるのだ。くれぐれも手落ちの無い様に頼むぞ」
「なあ、親父、ちっとばかし腑に落ちねぇんだよ」
念を押すように言う父に、ネッドは妙な事を感じて疑問を口にする。
「何がだ?」
「一つ目は、あのお嬢様の目的だ。今日見た感じじゃ好奇心溢れる世間知らず、という感じじゃない。そんなお嬢様が何で、街の見物をしたいなんて言い出したか? 二つ目は、俺の剣の腕が必要になるほど、この街の治安は悪くないだろ。ウィレムから聞いた時は、俺を乗せるために適当な事を言った、とも受け取れた。だが今の親父の口ぶりじゃ、まるで狙われちゃいるが、その相手がどこの誰か分からないからしっかり護衛しろと言ってる様に聞こえるって事だよ。親父、何か隠してねぇか?」
「耳聡くなったな、ウィレムの教育の賜物か?」
疑いの目を向ける息子にゼルグは、諦めたような、それでいて、いくばくかは嬉しそうな声色で答え、背もたれに頭を預ける。
「屋敷の外で、それなりに面倒ごとに首突っ込んでりゃ、このくらいは出来ねぇとお話にならねぇんだよ。俺のことより…」
「一つ目の疑問に関しては私にもわからん。だが二つ目の疑問に関しては…お前の推測通りだ。今この国が非常に不安定になっている事は理解しているな?」
「国王家が代替わりの真っ最中って事は、つまるところ、曲りなりにも連邦のまとめ役をしてた国王家の機能が低下してるってこったろ?」
フィサラード連邦王国はその名が示すとおり、国王家と、それに匹敵する権力、領土、軍事力を持つ4つの公爵家の領土が寄り集まって形作られている。
東部国境及びヴェルスク一帯を治めるフォーリア公爵家、その南方に位置する商業都市ハルスィン一帯を治めるヨフィン公爵家、西に位置する城塞都市サスム一帯を治め西方の雄国カルバート皇国ににらみを利かせるスミート公爵家、国王家の所領に最も近い位置にあるティーファ穀倉地帯一円を治めるヘイダー公爵家、これらが内部では自らが国政の主導権を握らんと権力闘争を繰り返しているのである。
それをまがりなりにも取りまとめ、国としての体裁を保たせているのが、首都ヴィレヌ一帯を直轄領としているグーディオ王家であった。
そして、先月末に国王であったフレム3世が崩御し、皇太子であったヴァラム王子が王位を継承し国事を司っているが、この年若い国王はまだまだ未熟としか言えず、国内は安定しているとは言いがたい状況であった。
「その通りだ。そして、我がフォーリア家はその所領ゆえに昔からターリンド王国と繋がりが深い。外交においても、交易においてもな。例え、連邦国内から食糧の流通を妨害されても、商業都市ハルスィンの通行を禁じられても、ターリンドを通して交易を行い、食料を手に入れる事が出来る。国内流通の要衝と穀倉地帯を抑えるヨフィン家とヘイダー家にとって圧力を掛け難い我がフォーリア家は邪魔者以外の何者でもないだろう。だが、この時期にターリンドからの使節が何者かに殺されたら、どうなると思う?」
「そりゃ、連邦とターリンドの国交にとんでもない悪影響を及ぼすだろ…う……な………」
自分で言っているうちに、それがどういう事かを理解し始めたネッドの声が徐々に小さくなっていく。
「分かったようだな。その被害をもっとも顕著に受けるのが、我がフォーリア家の所領であるこのヴェルスク一帯だ。関係悪化の全責任をかぶせられた上に、戦争になれば当然戦場になり、たとえ戦争にならずとも、東側の交易路を完全に断たれる事になる。そうなればヨフィン、ヘイダー両家が、我が所領の生殺与奪の権限を握れるようになる。食料の流通を止める、交易の流通を止める、そう脅されるだけで、両家に対し服従を強いられるだろう」
父が苦々しく言う最悪に近い未来予想に、ネッドが顔をしかめながら言う。
「そういう事情があるなら、尚の事何であのお嬢様の我が侭を聞き入れたりしたんだよ? 断るべきじゃねぇのかよ?」
「出来るものか。そんな事をすれば国王が代替わりして国の基盤が揺らいでいますと喧伝するようなものだ。要求を受け入れ、その上で問題なく彼女達を王都ヴィレヌまで送り届け、何事もなく帰国させる、なんの捻りも無いがこれが最良の手だ」
「この街を出た後はどうするんだよ? 他の領主が手を出しても、結果としちゃ同じじゃねぇか」
「そんなことは分かっている。アランに騎士の一隊を指揮させて王都まで護衛させる手はずだ」
アランとは、歳の離れたネッドの兄で、幼い頃から次期後継者としての期待を受け武芸と学問に励み、剣の腕では領内でも有数な上に、近隣でも聡明と評判な人物であり、気さくな人柄も手伝ってかフォーリア家に仕えるものたちはもちろんの事、領民にも慕われていた。
家を継ぐ気がなく、折を見つけては冒険者の真似事をやっているネッドに対してもアランは気軽に話しかけてくるが、ネッド自身は、この文武に優れた兄に気後れしてしまう為、少々苦手な相手であった
「仰々しい護衛だな。あのお嬢様に不審がられやしないか?」
「万一があっては両国の関係に要らぬ諍いが起きる、それを防ぐ為に屈強な護衛をつけるのは、使者を丁重に扱うという観点で見れば、そう大袈裟なことでもない」
一連の問答を終えた後、ゼルグは僅かに目を細めて、息子を見る
「ついこの間まで、剣を振るって喜んでばかりいる子供と思っていたお前と、まさか国事に関する話をすることになるとは思ってもいなかった」
「俺だって、いつまでもガキじゃないさ」
「冒険者の真似事等を始めた時は、どうなるかと思っていたのだが、そう悪い事ばかりでもなかったか」
そう呟くとゼルグは、何事かを考えるように顎に手をあて、目を閉じる。
そして、次に出たのは、ネッドにとっても意外な言葉であった。
「冒険者、ネッド・フォーリアにルシア・ルキード・レイテス外交使節の護衛を正式に依頼したい」
「……親父、今、なんて言った?」
あまりに唐突な父の言葉に、ネッドは一瞬、何を言われたか分からず、聞き返す。
「冒険者としてのお前に、ルシア嬢の護衛を依頼すると言ったのだ。父親からの命令としてやるよりも、そっちの方がお前もやる気が出るだろう?」
ゼルグの言葉は、ネッドの図星をついていた。
「期間は三日間、ルシア嬢がこのヴェルスクを出立するまで、報酬は…そうだな、銀貨50枚というところでどうだ?」
世間では4人家族が一月暮らすのに必要な金額がおよそ銀貨15枚から20枚と言われている。ゼルグが提示した報酬は三日間の稼ぎとしては破格といえる金額だった。
「勘違いするなよ。何も身内だから高めに提示しているわけではない。私としては、今回の件は重要な仕事であると言う事だ。仲間の助けを借りても構わん、人選はお前に任せる。その代わり、必ず完遂しろ」
そういうと、ゼルグは自室に戻るのか席を立った。
返答も聞かずに立ち去ろうとしているゼルグに、ネッドが確認するように声を掛ける。
「おい、親父、俺はまだ引き受けるかどうかの返事すらしてないぜ?」
「顔を見れば返事など聞かずとも分かる」
ゼルグの言うとおり、呼び止めた当初と違って、ネッドの顔には僅かながらも不敵な笑みが浮かんでいた。
「お見通しかよ。ああ、謹んで引き受けさせてもらうぜ、親父」
超遅筆ながらも第3話投稿。
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