第二話 それぞれの事情
「ゴブリン討伐がとんだ大仕事になったぜ」
「そいつは大変だったな。だが報酬の上乗せが期待できると考えれば、そう悪い仕事じゃなかっただろう?」
ぼやくネッドを厳つい顔をした店主が宥める。
二人はフィサラード連邦王国東部に位置する街、ヴェルスクの酒場にいた。
「これで上乗せがなきゃ暴れてるぜ」
なおも言い募るネッドに店主が笑いかける。
「まあ、良いじゃないか。オーガーを倒せたとなれば、年齢を理由にどうこう言うやつもいなくなるだろう。何より、こうして無事に帰ってこれたんだ」
そう言った後、これは俺の奢りだ、と二人に酒盃を差し出す。
「それよりも、報酬の上乗せ交渉のほうをきっちりと頼む」
念を押すように言うフェイルに店主は笑って応じる。
「その辺は任せておけ、しっかりふんだくっておいてやる。それはそうとネッド…」
「なんだよ?」
「お迎えが来たらしいぜ?」
「ゲ!」
呻いて、恐る恐る振り向くネッドの後ろには、身なりの良い初老の男が立っていた。
「おかえりなさいませネッド様、3日もどこをほっつき歩いていたのですかな?」
穏やかに問いかけるその男の目は、決して笑っていなかった。
「いや、ははは、なあウィレム、少し落ち着いて話さないか?」
ネッドは引き攣った笑みを浮かべながら初老の男、ウィレムに返す。
「ご安心くださいませ、私はこの上なく落ち着いております。その上でネッド様が更に落ち着いて話しをしたい、と仰せであれば、このような騒がしい場所ではなく、もっと静かな場所で話し合いましょう」
「う、ああ、いや、俺はここでも…」
「例えば、ネッド様が幼い頃からお好きであった、説教部屋などで」
ウィレムの言葉にネッドが青ざめる。
「ま、まあ、待て。俺の話を聞いてくれ」
「またいつもの様に、兄君がしっかりしていらっしゃるのでお父上のお仕事に差し障りはない、等と仰るおつもりですか?」
「ぐ…あ…う……あ…」
自分が今まさに言おうとした言葉を完全に読みきられたネッドが口をパクパクさせるが、もはや意味のある言葉は出てこなかった。
「全く、嘆かわしい。その辺りの事も含めて、しっかりと話し合う必要がありそうですな。店主殿、フェイル様、ネッド様を連れて行かせていただきますが、構いませんな?」
口調も表情も穏やかだったが、相変わらず目は決して笑っておらず、有無を言わさぬ迫力があった。
ネッドが、必死の表情で二人を見るが、店主は苦笑を浮かべ、フェイルは「またいつもの事か」と言わんばかりの表情で了承の言葉を返す。
「は、薄情者ぉ!」
「さ、ネッド様、参りましょう」
大柄なネッドが悲痛な声を上げながら、さほど大柄でもないウィレムに引き摺られていく様を、二人は肩をすくめて見送る。
店を出るか出ないかというところでウィレムが振り返り、フェイルに声を掛ける。
「それとフェイル様、当家の門はフェイル様に対して常に開いておりますゆえ、お心がお決まりになられたらおいでくださいませ。それでは、失礼致します」
そして、フェイルの返事を聞くこともなく、ウィレムは去って行った。
「まだ諦めてなかったんだな、あのじーさん。で、フェイル、やはり気は変わらないのか?」
「ネッドの様に、身分に縛られかねないのはごめんだ」
あまり知られてはいないが、ネッドのフルネームはネッド・ヴェルスク・フォーリア、つまりこのヴェルスク一帯を治めるフォーリア公爵家の次男、つまり第二位爵位継承権所有者であった。
ウィレムはそのフォーリア家に仕える魔術師であり、ネッドの幼い頃からの教育係でもあった。
そして、名高い戦士であったフェイルの父にネッドの剣の教授を依頼したのもまた、ウィレムであった。
フェイルは以前からその父親仕込みの剣の腕を買われて、仕官を要請されていた。
「まあ、お前らしいと言えばお前らしいが、普通いねぇぜ、士官の口を断る冒険者なんてよ」
「今の暮らしに満足している、とは言い切れないが、それでも、今の自由気楽な立場は気に入ってる」
そう言い切ると、フェイルは席を立った。
「帰るのか?」
「ああ、ここでの用事は一通り済んだしな」
「さっきのアレもその一つか?」
意地悪い笑みを浮かべた店主が言うと、
「まさか、俺にとっても予想外の一件だ。アンタの方こそ、混んでる店の中でよく一発で見つけれたな」
「お得意様は大事にするのが商売人ってもんだしな。お前こそ、報酬の話を切り出すタイミングが絶妙だったじゃないか」
とぼけながら言う店主に、
「ああいう話はタイミングが重要だからな」
フェイルがどうとでも取れる言葉を返し、二人は揃って確信犯の笑みを浮かべる。
「ま、そういうことにしておいてやるか。早いとこ帰って、ティアちゃんを安心させてやりな」
「明後日にでも報酬の件でまた寄らせてもらう」
からかうように言う店主に、フェイルが苦い物でも飲み込んだような表情を浮かべながら言葉を返し、フェイルは店を出た。
自宅に帰りついたフェイルを待っていたのは、幾分不機嫌な表情をした少女だった。
「おかえりなさい、義兄さん。また危ない事してたのね」
「いきなりそれか、ティア」
少女、ティアはフェイルをジトリとした目で見据えて、言葉を続ける。
義兄という表現から分かるように、フェイルとティアに血の繋がりはなく、更には、二人はともに父親とも血の繋がりはなかった。
二人の義父は若かりし頃から冒険者として大陸中を旅しており、その途中で、孤児となった二人を拾ったという話だった。
フェイルの方が先に拾われ、それを機に、それまでの冒険で得た財を使ってヴェルスクに居を構え、それ以降、ティアを拾った冒険を最後に、その後は町の人々からささやかな依頼を受けてはそれをこなすと言う日々を送っていた。
もちろん、フォーリア公爵家から仕官の話も何度となくあったが、気楽な身分でいたいと言う理由で全て断っていた。
それでもと何度もウィレム老人が頭を下げるので、やむなくネッドの剣術師範だけは、自宅まで通わせると言う条件をつけて引き受けたのだった。
そしてその義父も3年前病でこの世を去り、フェイルは冒険者に、そしてティアは神官見習いとして神殿に奉公に出ることで、日々の糧を得ていた。
「神官長様は神殿で神官戦士の技術指導員に今後も雇いたいって仰ってくださったのに」
「俺がガキの頃からやってるのと同じ訓練をしたら、苦情が来るようなのはお断りだ」
以前フェイルは神殿の依頼で見習いの神官戦士達の訓練官として雇われた事があった。
神官長が二人の父の名声を知って、ちょうど良いと頼んだ仕事だったのだが、初日からあまりにも訓練が厳しいと見習い神官戦士達からは大いに不評だった。
「続けてたらそのうち慣れるわよ」
「有力者の息子がその中にいたおかげで、訓練をもっと加減しろとか偉いさん連中にネチネチと言われたがな。で、加減したらしたらで、基礎は十分だから実戦形式の訓練を早くさせろと言い出す。あんな頭が痛くなるようなこと続けてたら、慣れる前に気が狂う」
それを聞いて流石にティアも黙る。
当時のフェイルの不機嫌さは尋常ではなく、何かきっかけがあれば、暴発してその有力者の息子を再起不能にしていてもおかしくない事を思い出したためだった。
「それに、お前の伝で声が掛かった仕事で問題を起したら、お前が神殿で苦労する事になるだろ。その話はなかった事にしておけ」
フェイルにしてみれば、自分ひとりであれば訓練の名目で半殺しにでもして、そのまま街を出ても良かったのだが、義妹の事を考えたらそういう訳にもいかなかったのである。
幾分頬を膨らませたティアが、不満気に言う。
「義兄さんは自由に生きすぎなのよ」
「血は繋がってなくてもあの親父の息子だからな、仕方ない」
フェイルとしては義妹の事を考えた上での結論なのだが、流石にそれを言うわけにも行かず、苦笑しながらこう返すより他になかった。
遅筆ながらも2話をようやく投稿。