第四章 最後のパスワード
小章① 逆転のロジック
「待てよ、犬飼さん」
床に押さえつけられたまま、九頭龍が笑った。
「何がおかしい」
「その秘密鍵、本当に入力していいのか? 五代剛造という男を甘く見ないほうがいい」
犬飼は鼻で笑い、押収した秘密鍵を、持参した自分の端末に入力した。 五代のウォレットにアクセスする。 画面に、残高が表示された。
『Balance: 0.00000000 BTC』
「な、なんだと!?」
犬飼が絶叫した。 ゼロ。 三千億円があるはずのウォレットは、もぬけの殻だった。
「どういうことだ! 貴様、データをすり替えたな!」
犬飼が九頭龍の胸ぐらを掴む。
「違う。……五代は、秘密鍵を『分割』していたんだ」
九頭龍は冷静に言った。
「カセットテープに入っていたのは、鍵の半分だけだ。残り半分は、別の場所に隠されている。そして、その場所を知るヒントは、このテープの『音声』そのものにあったんだ」
九頭龍は、まだ再生されていたカセットテープの音に耳を澄ませた。 電子ノイズの合間に、微かに聞こえるメロディがあった。 それは、古いアニメソングのオルゴール音。
「『鉄腕アトム』……」
栞が呟いた。
「父が、私が小さい頃によく歌ってくれた歌……」
九頭龍は頷いた。
「アナログの鍵は二つあったんだ。一つはカセットテープ。もう一つは……栞さん、君の記憶の中だ」
小章② 親子の絆
犬飼たちが呆然としている隙に、九頭龍は隠し持っていたスタンガンを起動し、押さえつけていた男に押し当てた。 男が痙攣して倒れる。 九頭龍は栞の手を引き、煙幕を焚いて部屋を脱出した。
ビルの屋上へ駆け上がる。 雨は上がっていた。東京の夜景が広がっている。
「栞さん、思い出してくれ。お父さんと過ごした場所で、『アトム』に関係する場所はないか?」
「アトム……。……あ!」
栞が顔を上げた。
「秋葉原のガード下! 父が昔、露店を出していた場所。あそこの柱に、アトムのシールが貼ってあった……」
二人は秋葉原のガード下へと走った。 再開発が進む中、奇跡的に残っていた古いコンクリートの柱。 その裏側に、色褪せたアトムのシールがあった。 九頭龍がシールを剥がすと、コンクリートの窪みに、小さなマイクロSDカードが埋め込まれていた。
九頭龍はスマホにSDカードを差し込み、カセットテープから抽出したデータと結合させた。 『マルチシグ(複数署名)』認証が完了する。
画面に、真の残高が表示された。 『30,000 BTC』。現在のレートで約三千億円。
「あった……」
栞が震える手で画面に触れた。
「お父さん、これを私に……」
五代は、家族を捨てたわけではなかった。 金に群がるハイエナたちから資産を守り、本当に信頼できる娘だけに託すために、こんな手の込んだ仕掛けを用意したのだ。




