第三章 コールド・ストレージ
小章① 逃避行
中野の路地裏を、九頭龍のミニクーパーが疾走する。 助手席の栞は、カセットテープを胸に抱いて震えていた。
「あいつら、何者なの?」
「金の匂いを嗅ぎつけたハイエナたちだ。……君の父親は、とんでもないものを遺してくれたな」
九頭龍はバックミラーを確認した。追っ手の車は見当たらないが、油断はできない。 国税も、ハッカーも、そして遺族たちも、血眼になってこのテープを探している。 安全な場所など、どこにもない。
「解読するしかない」
九頭龍は言った。
「このテープの音声をデータ化し、秘密鍵を復元する。そうすれば、三千億円をどうするか、君が決められる」
「……解読できるの?」
「古い規格だ。機材さえあればなんとかなる」
九頭龍はハンドルを切った。 向かう先は、秋葉原にある九頭龍の隠れ家だ。そこには、あらゆる時代のデジタル機器と解析ツールが揃っている。
小章② 復号化の儀式
秋葉原の雑居ビルの一室。 九頭龍は、カセットテープの音声を最高音質のデジタルデータとして取り込み、波形解析ソフトにかけた。 ノイズの中に隠された「0」と「1」の信号を抽出する。 気の遠くなるような作業だ。
栞は、コーヒーを淹れながら、ポツリと言った。
「父は、昔は貧しい技術屋でした。秋葉原のジャンクショップで、壊れたパソコンを直して売っていたんです。……その頃の父は、楽しそうでした」
彼女の目から涙がこぼれた。
「ビットコインなんてものが現れてから、父は変わってしまった。金に取り憑かれ、疑心暗鬼になり、私たち家族を捨てた。……このテープは、父が失ってしまった『あの頃』への回帰願望だったのかもしれません」
九頭龍の手が止まった。 解析画面に、文字列が表示され始めた。 バイナリデータが、意味のある文字列へと変換されていく。
『Wallet Seed Phrase... Decoding...』
出た。 秘密鍵だ。 二十四個の英単語。これが、三千億円の扉を開く呪文。
だが、その直後。 九頭龍の隠れ家のドアが、爆音と共に吹き飛んだ。 閃光手榴弾だ。 目と耳を焼かれるような衝撃。 煙の中から、ガスマスクをつけた武装集団が現れた。
「動くな! 国税局査察部だ!」
マルサの強制調査部隊(実力行使班)だ。 犬飼が、防護マスクを外して入ってきた。
「見つけたぞ、九頭龍。……GPSの発信機を車に仕掛けておいて正解だったな」
犬飼は、PCの画面に表示された秘密鍵を見た。
「ご苦労だったな。これで全額没収だ」
部下たちが九頭龍と栞を取り押さえる。 栞が叫ぶ。 「返して! それは父の……!」
「黙れ。脱税者の娘が」
犬飼は冷酷に言い放ち、PCのデータをUSBにコピーし始めた。




