第二章 アナログの迷宮
小章① 昭和の残響
九頭龍はマンションを出て、愛車の旧式ミニクーパーに乗り込んだ。 雨は激しさを増している。 彼は五代の経歴を洗い直していた。 五代剛造。元々は秋葉原の電気街で、ジャンクパーツ屋を営んでいた男だ。根っからの「オタク」であり、テクノロジーの信奉者。 だが、同時に極度のアナログ人間でもあったという証言がある。
「デジタルの資産を、デジタルで守るはずがない……」
九頭龍は、五代が生前足繁く通っていたという、神保町の古書店街へと向かった。 古びた雑居ビルの地下にある『夢幻堂』。ミステリーとSFの専門店だ。 店主の老人が、九頭龍の顔を見て眉をひそめた。
「五代さんの使いか? ……あいつも死んじまったか」
「五代さんが、何か預けていったものはありませんか? 本とか、書類とか」
「預かり物? いや、ないな。……ただ、死ぬ一週間前に来て、奇妙なものを買っていったよ」
「何です?」
「カセットテープだ。1980年代の、未開封のメタルテープ」
カセットテープ。 最強のデジタル資産を守る鍵が、昭和の遺物? 九頭龍の脳裏に閃くものがあった。 かつて、8ビットパソコンの時代、プログラムデータはカセットテープに「音」として記録されていた。 『ピー、ガー』という、あの不快な電子音だ。
「そのテープ、何に使うとか言ってませんでしたか?」
「ああ、気になって聞いたら、中野のブロードウェイにあるレトロショップの女性に音楽を録音してあげると言っていたな。集客用に古いラジカセでレトロ音楽を流すんだとさ。これが、今の若者にも意外と人気なんだとか。」
小章② 謎の女
中野ブロードウェイ。 サブカルチャーの聖地と呼ばれるその場所は、迷宮のように入り組んでいた。 九頭龍は、目的のレトロショップ『タイムカプセル』を探し当てた。 ショーケースには、古いウォークマンやラジカセが並んでいる。
店番をしていたのは、意外にも若い女性だった。 二十代半ば。黒髪のボブカットに、大きな丸眼鏡。地味な服装だが、知的な雰囲気を漂わせている。 九頭龍が五代のことを尋ねると、彼女は表情を硬くした。
「……五代さんの関係者ですか?」
「彼の遺産整理をしている者です」
「お帰りください。話すことはありません」
彼女は拒絶した。 だが、九頭龍は彼女の名札を見て、あることに気づいた。 『五代 栞』。 名字が同じだ。
「あなたは……五代さんの娘さんですか?」
彼女の手が止まった。 五代には息子が一人しかいないと、妻の美鈴から聞いていたが戸籍簿の確認はしていない。隠し子か?栞は観念したようにため息をついた。
「……父とは、絶縁していました。母を捨てて、金に走った父を許せませんでしたから」
「お父さんからカセットテープをもらったはずですが? そこに、彼の全財産を解く鍵があるかもしれない」
栞は、カウンターの下から一つの古びたラジカセを取り出した。 そして、一本のカセットテープを差し込んだ。
「父は、死ぬ直前にこれを置いていきました。『これをお前にやる。俺の人生のすべてだ』って」
彼女が再生ボタンを押す。 スピーカーから流れてきたのは、音楽ではなかった。 『ピー……ガガガ……ピロピロ……』 激しい電子ノイズ。データレコーダーの音だ。
「これが……五百億円の正体か」
九頭龍は震えた。 五代は、最新鋭のブロックチェーンの秘密鍵を、四十年以上前のローテク技術で暗号化し、物理的なテープとして保存していたのだ。 これなら、どんな天才ハッカーもネット経由では盗めない。
「これを渡してください。遺族が待っています」
「お断りします」
栞はテープを取り出し、握りしめた。
「これは父が私にくれたものです。あの人たちに渡す義理はありません。……それに、このデータの中身は、単なる『鍵』じゃない気がするんです」
その時、店の入り口のガラスが粉々に砕け散った。 銃声ではない。鉄パイプによる一撃だ。 覆面をした数人の男たちが、店内に雪崩れ込んできた。 ハッカー集団『アノニマス・ダーク』が雇った、現地の半グレたちだ。
「そのテープをよこせ!」
リーダー格の男が怒鳴る。 九頭龍は栞を庇うように前に出た。
「逃げろ、栞さん! 裏口から!」
九頭龍は近くにあった古いブラウン管テレビを持ち上げ、男たちに向かって放り投げた。 轟音と火花。 その隙に、二人は店の奥へと駆け込んだ。




