帝国内部の闇3
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19
森林焼き払い作戦の失敗から三日後、皇帝は撤退を命じた。
「一時撤退だ」
皇帝ガイウスは、悔しそうに言った。
「冬が来る前に、態勢を立て直す。春になれば、再び北方を攻める」
誰も、その言葉を信じていなかった。
千二百もの兵を失い、何も得られなかった遠征。
完全な、失敗だった。
帰路の行軍は、重苦しかった。
兵士たちの表情には、疲労と失望が浮かんでいる。
「なあ、聞いたか」
野営地で、兵士たちがひそひそと話していた。
「皇帝陛下、責任を誰かに押し付けるらしいぞ」
「誰に?」
「マルクス将軍だって」
俺は、耳を疑った。
「馬鹿な。将軍は反対してたじゃないか」
「関係ないさ。誰かが責任を取らなきゃならない。皇帝陛下が悪いとは言えないからな」
「第三軍団の兵が、一番多く死んだ。だから、マルクス将軍の責任だって」
拳を握りしめた。
これが、帝国の本質か。
失敗の責任を、現場の将軍に押し付ける。
許せない。
20
その夜、俺はマルクスのテントを訪れた。
「将軍、噂を聞きました」
「ああ」
マルクスは、落ち着いた様子で頷いた。
「私が、この遠征失敗の責任を取ることになるだろう」
「そんな、おかしいです! 将軍は反対していた!」
「それは、お前と私だけが知っていることだ」
マルクスは、苦笑した。
「公式には、私は皇帝陛下の作戦を支持し、実行した。失敗したのは、私の采配が悪かったからだ」
「嘘じゃないですか!」
「嘘も、真実も、権力が決める」
マルクスは、ワインを一口飲んだ。
「これが、帝国だ。桐谷、お前も学んだだろう」
「……はい」
「だが」
マルクスは、俺を見た。
「私は、もう我慢しない」
「え?」
「首都に戻ったら、動く」
マルクスの声は、静かだが、強い意志に満ちていた。
「何を、するんですか?」
「クーデターだ」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
「皇帝ガイウスを退位させ、新たな皇帝を立てる。そして、帝国を改革する」
「そんな……危険すぎます」
「分かっている。だが、やらねばならない」
マルクスは立ち上がった。
「このままでは、帝国は腐り果てる。兵は駒として使い捨てられ、異界の者は奴隷として搾取される」
マルクスは、俺の肩を掴んだ。
「桐谷、お前の力を貸してくれ」
「俺の……力?」
「お前には、知恵がある。そして、クラスメイトたちとの絆がある」
マルクスは、地図を広げた。
「クーデターを成功させるには、首都の守備隊を味方につけなければならない。そして――」
マルクスは、一点を指した。
「お前のクラスメイトたちを、救出する」
「救出……?」
「そうだ。彼らは、各所に配置されている。クーデターの混乱に乗じて、救出する」
マルクスは、俺を真っ直ぐ見た。
「お前は、参加するか?」
心臓が、激しく鳴った。
クーデター。
成功すれば、クラスメイトたちを救える。
失敗すれば、全員死ぬ。
「……やります」
俺は、答えた。
「みんなを、助けたい」
マルクスは、満足そうに頷いた。
「では、計画を立てよう」
21
首都に戻ったのは、出発から一ヶ月後だった。
市民たちの歓迎は、なかった。
静かな、冷たい視線だけがあった。
敗北した軍を、誰も歓迎しない。
宮殿では、すぐに査問会が開かれた。
「マルクス・アウレリウス・グラディウス」
皇帝ガイウスが、玉座から見下ろした。
「北方遠征の失敗について、説明せよ」
「はい、陛下」
マルクスは、膝をついた。
「森林焼き払い作戦において、風向きの変化を予測できず、我が軍に多大な損害を出しました。これは、私の判断ミスです」
嘘だ。
マルクスは、最初から反対していた。
だが、それを言えば、皇帝の責任になる。
「貴様の無能により、千二百の兵が死んだ」
皇帝の声は、冷たかった。
「これは、重罪だ」
「申し訳ございません」
「謝罪で済む問題ではない」
皇帝は、元老院議員たちを見回した。
「諸君、マルクスへの処罰について、意見を述べよ」
元老院議員の一人、白髪の老人が立ち上がった。
「陛下、マルクスは帝国に長年仕えた将軍です。今回の失敗は、確かに重大ですが、これまでの功績を考慮すべきかと」
「功績?」
皇帝は、鼻で笑った。
「過去の功績など、今の失敗を帳消しにはできん」
別の議員が立ち上がった。
アウグストゥス派の中心人物、セネカだ。
「陛下、マルクスは軍団長の地位を剥奪し、平民に格下げすべきです。そして、第三軍団は解体するべきかと」
ざわめきが広がった。
「解体だと?」
「はい。失態を犯した軍団を、そのままにしておくわけにはいきません」
セネカは、冷たい目でマルクスを見た。
「見せしめが必要です」
皇帝は、しばらく考えてから、言った。
「では、そのようにする」
「陛下!」
俺は、思わず声を上げていた。
「黙れ、小僧」
カッシウスが、俺を睨んだ。
「貴様に、発言権はない」
「でも、マルクス将軍は――」
「桐谷」
マルクスが、俺を制した。
「いい。これは、私が受け入れる」
「将軍……」
「だが」
マルクスは、皇帝を見た。
「一つだけ、お願いがあります」
「何だ」
「第三軍団の兵たちに、罪はありません。彼らを、他の軍団に配属させてください」
皇帝は、少し考えてから、頷いた。
「よかろう。兵は再配置する」
「ありがとうございます」
マルクスは、深々と頭を下げた。
だが、その目には――
静かな、怒りの炎が燃えていた。
22
査問会の後、マルクスは軍団長の地位を剥奪された。
第三軍団は、正式に解体された。
だが、マルクスの周りには、多くの兵士たちが集まっていた。
「将軍、俺たちはあなたについていきます」
「どこへでも、ついていく」
「将軍のために、命を捧げます」
マルクスは、兵士たちを見回した。
「ありがとう。だが――」
マルクスは、声を潜めた。
「これから、危険なことをする。ついてくる者は、覚悟しろ」
「覚悟はできています」
セウェルスが、前に出た。
「将軍が道を示すなら、俺たちは従う」
「ルキウス、お前は?」
「当然、ご一緒します」
ルキウスが、敬礼した。
「他に、選択肢はありません」
マルクスは、満足そうに頷いた。
「では、計画を話そう」
マルクスは、集まった兵士たちを見回した。
約五百人。
第三軍団で、マルクスに最も忠誠を誓っている者たちだ。
「三日後の夜、宮殿を襲撃する」
「宮殿を!?」
「そうだ。皇帝ガイウスを捕らえ、退位させる」
「それは……クーデターです」
「その通りだ」
マルクスは、真剣な目をした。
「反逆罪で、全員が処刑されるかもしれない。それでも、私についてくるか?」
沈黙。
長い沈黙の後――
「ついていきます!」
セウェルスが、叫んだ。
「俺たちは、将軍のためなら死ねる!」
「そうだ、そうだ!」
兵士たちが、次々と声を上げた。
「将軍のために!」
「第三軍団のために!」
マルクスは、目を閉じた。
そして――
「ありがとう。では、作戦を説明する」
23
作戦は、綿密に計画された。
俺も、参謀として参加した。
「まず、宮殿の守備兵を無力化する」
マルクスが、宮殿の見取り図を指した。
「守備兵は、約三百。夜間は、百名が交代で警備している」
「どうやって、無力化するんですか?」
「内通者がいる」
マルクスは、ある名前を挙げた。
「宮殿守備隊副長、ブルータス。彼は、私の古い友人だ。皇帝への不満を抱いている」
「信用できるんですか?」
「ああ。彼は、正義感の強い男だ」
マルクスは、次の段階を説明した。
「ブルータスが、守備兵の配置を変える。そして、西門を開ける。そこから、我々が侵入する」
「侵入した後は?」
「皇帝の寝室に向かう。護衛を排除し、皇帝を捕らえる」
シンプルだが、危険な作戦だった。
「そして」
マルクスは、俺を見た。
「桐谷、お前には別の任務がある」
「別の任務?」
「クラスメイトたちの、救出だ」
マルクスは、複数の地点を指した。
「彼らは、医療院、技術部門、文官宿舎、そして――鉱山に配置されている」
「鉱山……佐藤がいるところです」
「ああ。鉱山が、最も遠い。そして、最も危険だ」
マルクスは、十人ほどの兵士を指名した。
「彼らを、お前の部隊とする。クーデターが始まったら、すぐに各地点に向かえ」
「分かりました」
「ただし」
マルクスは、真剣な目をした。
「時間は限られている。夜明けまでに、全員を救出しなければならない。それを過ぎれば、他の軍団が動き出す」
「間に合いますか?」
「間に合わせるしかない」
マルクスは、地図を畳んだ。
「桐谷、お前の判断に任せる。誰を優先して救うか、どのルートを取るか――全て、お前が決めろ」
重い責任だった。
だが、俺はやるしかなかった。
「分かりました」
24
決行の日が、近づいた。
俺は、こっそりとクラスメイトたちに会いに行った。
まず、医療院。
「麗華」
小声で呼びかけると、麗華が顔を出した。
「桐谷? どうしたの、こんな時間に」
「話がある。外に出られるか?」
「……分かった」
麗華は、看守に何か言い訳をして、外に出てきた。
人気のない路地で、俺は打ち明けた。
「三日後の夜、クーデターが起きる」
「え……?」
「マルクス将軍が、皇帝を倒す。その混乱に乗じて、みんなを救出する」
麗華は、信じられないという顔をした。
「本気なの?」
「本気だ。でも、危険だ。失敗すれば、全員死ぬ」
「……」
麗華は、少し考えてから、言った。
「私は、行く」
「本当に?」
「ここにいても、未来はない。賭けるしかないでしょ」
麗華は、決意に満ちた目をした。
「他のみんなにも、伝える?」
「ああ。でも、参加は強制じゃない。自分で決めてもらう」
「分かった」
次に、技術部門。
山田と、他の数名がいた。
「桐谷! 久しぶりだな!」
「ああ。ちょっと、話がある」
俺は、同じことを説明した。
山田は、目を輝かせた。
「マジか! やっと、この地獄から抜け出せるのか!」
「でも、危険だ。死ぬかもしれない」
「構わねえよ。どうせ、ここで一生奴隷やるよりマシだ」
山田は、拳を握った。
「俺も、戦う」
他のクラスメイトたちも、次々と決意を表明した。
最後に――
鉱山。
25
鉱山は、首都から馬で半日の距離にあった。
俺は、夜中にこっそりと抜け出し、鉱山に向かった。
「誰だ!」
見張りに見つかった。
「第三軍団参謀、桐谷だ。視察に来た」
「参謀? こんな時間に?」
「緊急の用件だ。通せ」
権威を使って、強引に押し通った。
鉱山の内部は、地獄だった。
薄暗い坑道。汗と土の匂い。
痩せ細った労働者たちが、黙々とツルハシを振るっている。
「佐藤!」
俺は、彼を探した。
「佐藤健吾!」
「……桐谷?」
奥から、やつれた声が聞こえた。
佐藤が、現れた。
一ヶ月前とは、別人だった。
痩せ細り、顔は土で汚れ、目には光がない。
「何の用だよ」
佐藤の声は、投げやりだった。
「お前の望み通り、俺は地獄にいる。満足か?」
「違う。お前を、助けに来た」
「助ける……?」
「三日後の夜、クーデターが起きる。その時、お前を救出する」
佐藤は、信じられないという顔をした。
「なんで、お前が」
「お前も、クラスメイトだからだ」
俺は、真っ直ぐ佐藤を見た。
「俺のこと、嫌いだろ。帝国の犬だって、思ってるだろ」
「……ああ」
「でも、それでも、お前を置いていけない」
俺は、手を差し伸べた。
「一緒に、帰ろう。元の世界に」
佐藤は、俺の手を見た。
そして――
ゆっくりと、手を伸ばした。
「……悪かったな」
佐藤の声が、震えた。
「お前のこと、誤解してた」
「いいよ。気にしてない」
「いや、気にしろよ」
佐藤は、苦笑した。
「俺、ひどいこと言った。お前は、ずっとみんなのために戦ってたのに」
「……ありがとう」
「三日後だな。待ってる」
佐藤は、力強く俺の手を握った。
「必ず、助けに来てくれ」
「ああ。約束する」
26
決行の夜。
月のない、暗い夜だった。
マルクスと五百の兵士たちが、宮殿の西門前に集結した。
全員、黒い外套を纏い、武装している。
「ブルータスからの合図は?」
「まだです」
ルキウスが答えた。
緊張した時間が流れる。
そして――
西門が、ゆっくりと開いた。
「今だ! 侵入しろ!」
マルクスが叫んだ。
兵士たちが、音もなく宮殿内に流れ込む。
俺は、別働隊を率いて、反対方向に走った。
「桐谷殿、まず医療院ですね」
「ああ。急げ!」
馬を走らせた。
医療院に到着。
守衛は、すでに麻酔で眠らされていた。
内通者の仕業だ。
「麗華!」
「こっち!」
麗華が、他の女子たちを連れて出てきた。
「みんな、準備できてる!」
「よし、馬車に乗れ!」
次、技術部門。
山田たちが、すでに外で待っていた。
「遅いぞ、桐谷!」
「悪い。急ごう!」
そして――
最後、鉱山。
時間がない。
夜明けまで、あと二時間。
馬を飛ばした。
鉱山に到着した時、異変に気づいた。
見張りが、倒れている。
「まずい……誰かが先に来てる!」
坑道に飛び込んだ。
そこには――
佐藤が、血まみれで倒れていた。
「佐藤!」
「桐谷……遅いぞ……」
佐藤が、苦しそうに笑った。
「看守が……気づいて……」
周りには、看守たちの死体。
佐藤が、一人で戦ったのだ。
「馬鹿野郎! 待ってろって言っただろ!」
「待てなかった……お前、来ないかもって……思ったから……」
「来るって、約束しただろ!」
俺は、佐藤を抱え上げた。
「医者を呼べ!」
「大丈夫……致命傷じゃ……ない……」
佐藤は、俺の肩を掴んだ。
「サンキュー……桐谷……」
「喋るな! 体力温存しろ!」
佐藤を馬に乗せ、首都に戻った。
空が、白み始めていた。
次回もお楽しみに




