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SKY  作者: RUI


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25/44

Sky25-波が届く-



 その日は、雪の降り方まで、落ち着きがなかった。


 風がいちど強く吹くたびに、粉雪が横へ流れて、次の瞬間には真下へ落ちる。

 格納庫の開口部から入り込む冷気が、通路の床をうっすら濡らして、靴裏がきしむ音を増やしていた。


 整備棟の通路でも、食堂でも、喫煙所の灰皿の前でも——

 北方第七基地のあちこちで、同じ単語が口の端からこぼれていた。


「……艦隊配属?」


 SKY格納庫横のベンチで、あすみは、ねじれたボルトを指先でくるくる回しながら耳を傾けた。


 少し離れたところで、ラルフとジンが工具箱を挟んでしゃがみ込んでいる。

 手はしっかり動いているのに、口はそれ以上に動いていた。


「聞いたかお前。SKY部隊から最低一機は“持ってかれるらしい”ってさ」


「やめろよなんか物の言い方が物資扱いなんだよ。『薔薇一点、西方方面行き』とか伝票つけられるのか?」


「やめろその言い方こそ物資だよ」


 ジンが腹を抱えて笑う。


「でもさ〜、せっかくこっちで可愛がってきたのにさ〜。薔薇持ってかれるとか俺は耐えられんわけ。なあ?」


「俺に同意求めるな。……てか“薔薇”って整備記録に書いたら、上から本気で怒られるからやめろよ?」


「じゃあ略す? “赤一機”とか」


「もっとひどい!」


 二人のあいだに、ツナギとオイルの匂いと、いつものバカ話の空気が漂う。


 だけど言葉の端っこに、笑い切れない引っかかりが混じっているのを、あすみは聞き取ってしまう。


 ……持ってかれる


 ボルトを回す指が、ほんの少しだけ止まった。


 格納庫の天井は高くて、外の雪の気配はほとんど届かないのに、今日は人の声の向きが揃わない。

 誰かが工具を落とす音がして、拾う動きが遅れて、また別の場所で笑い声が途切れた。


 *


 その日の夕方、全隊員向けの呼び出しがかかった。


 場所はブリーフィングルーム。

 地上防衛隊も整備班も通信班も、SKYパイロットも、ぎゅうぎゅう詰めになって壁にもたれている。


「全員そろったか?」


 前方の壇上で、ハイルトン大佐——たぬき司令が、書類を片手にだるそうに首を巡らせた。


 隣にはキヌア中尉とリーサ軍曹。二人とも表情を崩さないまま、端末と隊列に目を配っている。


「では、大本営からの通達を共有します」


 キヌアが、手元の端末を見ながら読み上げる。


「“あくまで案の段階ではあるが、連合艦隊再編に伴い、各地SKY部隊の一部を西方前線艦隊へ派遣する方向で協議中”——とのことです」


 ざわ、と小さな波が起こる。


 後ろのほうで、誰かが小声で「やっぱ噂マジかよ」と言った。


 あすみは、セリの隣に立っていた。背中にはひんやりとした壁。前にはたぬきの顔。


「なお、現時点では“決定”ではありません」


 キヌアが続ける。


「具体的にどの基地から誰を、という話も、まだ確定していません。ただ——」


 ちらり、と一瞬だけハイルトンのほうを見る。


 たぬき司令は、めんどうくさそうに頭を掻いた。


「……ただ、まあ、“案”って言い方してる時点で、だいたい七割方決まりだと思っておいてくれ」


「司令」


 キヌアのツッコミが飛ぶ。


「本音を漏らさないでください」


「本音漏らさないと仕事続かないんだよこっちは。……ともかく」


 ハイルトンは、視線を隊員たちへ向けた。


「ここを空にして前線に出るのは、俺としては愚策だと思ってる。中立圏だからって北の境界線が勝手に静かになるわけじゃない。誰が見張るんだって話だ。だが、世界のほうが動いてるのも事実だ」


 ブリーフィングルームの空気が、静かに沈む。端末の通知音がひとつ鳴って、誰かが慌てて消した。


「だから、“行くな”とも、“行け”とも今は言わん。

 決まったら、その時はちゃんと話す。以上、現状報告だ」


 そう締めくくって、たぬきは書類を机にぽんと置いた。


「質問は?」


 手を挙げる者は、いなかった。


 代わりに、退出のざわめきの中で、小さな本音があちこちから漏れる。


「……行ってほしくねえな、正直」


 マルコ伍長がぼそっと言い、隣にいた若い隊員がうなずく。


「でも、どこかで誰かが前に出なきゃ、この戦争終わんねえしな。言いたくねえけど」


「せめて、“うち”からは誰も行きませんでしたって顔したいですけどねー」


 整備班の誰かが冗談めかすと、ラルフがすかさず肩を小突いた。


「お前さ、そういうとこ洒落になんないんだよ」


「いやでもさあ」


「でもじゃねえ」


 笑いとため息の中で、あすみは黙って立っていた。


 ハイルトンの「誰が見張るんだ」という言葉も、マルコの「行ってほしくねえな」も、胸のどこかに残っている。


 “誰が”


 自分か、誰かか。

 自分たちか、別の基地か。


 まだ「アルファ隊」とか「古賀・アンダーソン」という具体的な名前は、どこでも出てこない。


 それでも、肌が先に分かってしまう。


 ……たぶん、私たちだ


 セリが隣で小さく息を吐く気配がした。彼もきっと同じことを思っている。


 *


 その日の夜、食堂の隅っこが、妙に大人率高めになった。


 マルコたち地上組と、整備班、年上の通信兵。

 仕事上がりのコーヒーと、誰かがこっそり混ぜたアルコールの匂い。


「ってわけでよ」


 マルコが椅子の背にもたれながら、マグカップをくるくる回した。


「昔な、うちの基地に、“白銀の獅子”って呼ばれてたパイロットがいてな」


「来ましたよマルコ伍長、昔の話」


 ジンがポテトをつつきながら笑う。


「お前しゃべんな。空気が逃げるだろうが」


「いやでも、白銀の獅子って、絶対ネーミング盛ってますよね」


 ラルフが半眼になる。


「実物見たことあるんですか?」


 若い通信兵が食いついた。


「いや、俺は遠目に一回だけだな。金髪で、目つき悪くて、SKYから降りてきても全然疲れた顔してねえの」


「うわ〜、強いやつじゃん」


「で、その人何故か全盛期にSKY降りて、今はLAAで教官やってるらしいんだけど、

 教え子は皆、前線で暴れるって有名だったんだよ。“獅子の子ども”ってな」


「暴れるって言い方」


「誉め言葉だ。たぶん。たぶんだぞ」


 笑いが起こる。


 カウンターの端でその会話を聞いていたあすみは、「白銀の獅子」という単語に、心当たりがありすぎてスプーンを落としかけた。


「……セリ」


「ん」


 向かいに座っていた彼に、小声で身を乗り出す。


「ねえ、“白銀の獅子”って」


「あー」


 セリは、カップを持ったまま目を細めた。


「LAAで噂になってたよ。“あの教官に当たると死ぬほど鍛えられる”って」


「それ、うちらのミュラー教官のことだよね」


「そうだな。“白銀の獅子”って言ってたやついたわ。直接呼ぶと怒られるって噂付きで」


 軽く笑いながらも、セリの声にはどこか懐かしさと、ちょっとだけ胃が痛くなる系の思い出が混じっていた。


「……ミュラー教官、知らなかったけど。そんな噂になってたんだね」


「本人は絶対嫌ってたと思うよ。あの人、そういうの似合いすぎて逆に嫌いそうだし」


「たしかに」


 思い浮かべた金髪の男の顔は、苦味のあるコーヒーみたいな表情をしている。


 あすみとセリは、顔を見合わせた。


「ってことはさ」


「うん」


「“白銀の獅子の教え子”って、今度は私達なんだよね」


「うん」


 声に出してみると、妙にこそばゆくて、笑うしかなかった。


 ジンが、こちらを振り返って大げさに肩をすくめる。


「ほら見ろ。“獅子の子ども”枠がここにいるじゃないですか〜。本部が使いたがるに決まってる〜」


「お前ほんとその口縫うぞ」


 マルコが頭をはたく。ジンが「いった!」と叫ぶ。

 いつもの光景なのに、笑いの底に、薄い膜みたいな不安が張っている。


 行ってほしくない。でも、前が止まったら、どこかが割れる


 皆がそれぞれ、同じことを考えている顔をしていた。


 誰も口には出さないけれど。


 *


 夜、点呼も終わってから、あすみは一人で格納庫に寄った。


 照明は半分落ちていて、自分のSKYだけが、天井のスポットライトを浴びて銀色に光っている。

 機体の足元には、ラルフが置いていったらしい工具箱が、きちんと閉められて並んでいた。


「……」


 機体の前に立つと、不思議と落ち着く。

 金属の匂いと、油の匂いと、まだ微かに残っている空の匂い。


 この機体で、北の空を何度も飛んだ。

 避難列を護衛して、境界線をなぞるように飛んで、時々撃ち落として、時々守り切れなくて。


 ここに残って、境界線を守る自分


 想像してみる。

 今まで通り、雪と雲と中立圏の街を見下ろしながら飛ぶ自分。


 ナイルとハルが、冬を越して春を迎えるのを、ここから見守る自分。


 ……艦隊で、空を切り開く自分


 同時に、それとは別の映像も頭に浮かぶ。


 ニュースの中の西方会戦。


 海の上の艦隊。

 見たことのない敵機。新兵器。


 その中を、この機体で飛んでいる自分。

 知らない街と、知らない人を守るために、知らない空域へ飛び込んでいく自分。


 どちらも、自分で。

 どちらも、自分じゃないみたいだ。


「……行ってほしくないけど、行かなきゃ戦争終わらない、か」


 マルコの言葉を、真似して口にしてみる。

 声は小さくて、機体に吸い込まれていった。


 北方第七基地は、相変わらず雪と風とため息の匂いがする。


 遠い無線室のほうから、夜勤の交信音が微かに混じってくる。どこかで扉が閉まる音がして、格納庫の空気がひとつだけ揺れた。


 世界のほうが、本気で動き始めている。

 その波がここに届くまで、きっとそう時間はかからない。


 あすみは、SKYの脚にそっと手を置いた。そのまま小さく呟く。


「……どこに行っても、一緒だよ。」


 誰にでもなく、機体にでもなく、たぶん自分自身に向けて。


 その言葉は、格納庫の冷たい空気に紛れて、静かに消えていった。



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