お花畑のお花は全部枯れたのよ
「そんなに焦らなくても大丈夫だよ、シア」
私が叫んだと同時に温かいマントが両肩に掛けられ、優しくて穏やかな声が頭上から聞こえた。
「…………カイナル様」
目を見開き見上げる。大切な人の名前以外、言葉が出てこなかった。
「ラメール侯爵は無事だ。大量の出血はあるが、命に別状はない。今は医療院で治療を受けている」
(この人は……本当に凄い)
決死の思いで聞き出した事を、当事者の私より先に把握し手を打っている。勿論、私が叫んだ理由も分かっていた。
「よかった……無事で良かった…………」
このまま死んでいたら、あまりにもラメール侯爵様が可哀想過ぎる。いや、貴族としては死んだ事になるかもしれないけど。それは、高位貴族にとって、普通の肉体の死よりも辛い事だと思う。それでも、私は彼が助かって心底安堵した。この先の未来に、幸せが待っているかもしれないから。
一瞬、緊張が緩み、安堵感から膝の力が抜けそうになった。だけど、ここで座り込むなんて醜態を見せれない。私の矜持にかけて。
「所詮、魔族の手先、しぶといですわ!!」
ラメール侯爵夫人の興奮したヒステリックな声が響く。それに答えるように、あの女が満面な笑みを浮かべながら言った。
「本当ですわ。でも、良かった。おかげで、血には困らないわね」
台詞の意味が分からなかった。
理解するのを拒否したの。でもそれは、ほんの数秒で、理解した途端、全身の血が怒りで燃え上がった。
この女にとって、ラメール侯爵は父親ではなく、ただの道具に過ぎないのだ。そこに、親子の情は一切ない。ほんの欠片さえない。
ただただ、カイナル様だけを追い求める、異常者。
今も、あの女は私の隣にいるカイナル様だけを見詰めている。恍惚な表情で。
「気持ち悪い」
私の口から出て来た声は、とてもとても低く冷たいものだった。
この時、私はこの女の目を本気で潰してやりたいと思った。でも出来ないから、私はカイナル様の前に立つ。そして、抑えることが出来ない殺気を放ちながら、更に凍えるような声で恫喝した。
「見るな。その穢れた目で、カイナル様を見るな」
「なっ、凄んでも怖くないわよ!! 私には貴女の侍女が、えっ!?」
音もなく、私の隣に着地するリア。その後ろには、御者さんが。エプロンと袖口、スカートの裾が赤褐色なのは、この際どうでもいい。ゴロツキたちは全員制圧したことが分かっているからね。
「少し考えたら分かりそうなのに、私がなんの策も練らずにここに来たと思ったの? 浅はかね。幼稚過ぎるわ」
真に怒髪天を衝いた時って、怒鳴りはしない。全ての感情が削ぎ落とされたような、静かで冷静な口調になるのね。
「「な、なんですって!!」」
(ほんと、仲良し親子。なら、仲良く地獄に落ちても平気よね)
私は水魔法で床の血を流す。魔法陣は消え、床は綺麗になった。
固まる妄想お花畑親子。
「人族だから、魔法が使えないとでも思った? 私、この国の魔術師師団に入団出来るくらいには魔法が使えるの。だから、無詠唱で床の落書きなんて簡単に消せるわ。そして、こういう事も出来る」
濡れていた石畳から、水の水滴が次々に生まれた。それは空中に浮かぶ。私は魔力を流し、それを氷に変化させた。氷は氷柱になり、一斉に尖った側を妄想お花畑親子に向ける。
妄想お花畑親子は短い悲鳴を上げ、逃げ出す素振りを見せる。
「何処に逃げるの?」
そう問い掛けながら、私は妄想お花畑親子に一歩一歩近付く。彼女たちは、私から少しでも遠ざかろうと後ろに下がる。さっきまでの威勢は全くない。
「詰んでる事に、まだ気付かないの? 私を誘拐した時点で、貴女たちは詰んでるのよ。理解出来ない? 脳内お花畑の頭は、詰まってないから仕方ないわね。でもね、もう、お花畑のお花は全部枯れたの。これから、貴女たちは、それを身に沁みて知ることになる。いくら王族の血を引いていようが、侯爵家の出だろうが関係ない。ねぇ……私、さっき言ったよね。私の大事な人を見ないでって」
私は侯爵令嬢の前に立つと、膝から崩れ落ちた女の顎を、私の方にクイッと持ち上げた。
「学習しないわね。それ以上見るなら、その両目潰すわよ」
「ヒッ!!」
侯爵令嬢は小さな悲鳴を上げ、ガクガクと小刻みに震えている。私は顎から手を放し、胸ぐらを掴んだ。やっと、こっちを見てくれた。構わず、私は続ける。
「貴女は大きな間違いをしたの。私の悪口なら、いくら言っても構わなかった。事実、平民たからね。でもね、貴女は私を貶しながら、カイナル様をも貶す発言を何度もしたの。大勢の中から、私を選んだカイナル様をね。そして、私が選んだカイナル様をね」
「……人族のくせに」
震えながらも、悪態を吐く余裕はあるみたい。
「そうね、私の行動と思考って、人族らしくないわね。別に亜人族の血は流れていないわよ。だから、特別な匂いを嗅ぎ取るわけではないし。でもね、ここが告げてるの。カイナル・コルディーは私の番だってね。貴女たちの誤算は、私を普通の人族の平民だと思って舐めた事。そして、コルディー公爵家を敵に回した事よ」
ここがと告げた時、私は掌を自分の胸に当てた。最後まで言い放つと、私は侯爵令嬢の胸ぐらから手を放した。凍える目で一瞥すると踵を返す。そのままカイナル様の元に戻り、呆けている彼に苦笑しながら話し掛けた。
「そろそろ、帰りませんか? 私たちの屋敷に」
その言葉に弾かれたカイナル様は、私を抱き締めると、私の肌を誰にも見えないようにマントで包み、横抱きにした。
緩み切った幸せそうな顔で。
「ああ、帰ろう」
「はい!!」
私は安心して、その温かい胸に身を任せた。




